白洲 正子文学逍遥記

故・白洲正子様の執筆された作品を読み、その読後感と併せて能楽と能面、仏像と仏像彫刻、日本人形、日本伝統美術についてご紹介

「白洲正子文学逍遥記-かくれ里-葛川 明王院 -02」

2016-08-12 | 日本の伝統芸術

 

 

「白洲正子文学逍遥記」

 

かくれ里 

-015 

 

 

 

大分長らくご無沙汰致しておりました。今年は異常に暑くしかも雨の少ない干ばつ気味の夏となっております。

私用の仕事も重なってブログを長らくお休みしました。毎日、白洲正子さんの写真に向かって、

今日は~~~休みます>の連続で、今日になってしまいました。

 

窓から見える辺りの景色

 

畑のバナナはこんなに大きくなりました。

      

 

南西諸島を代表する<島バナナ>

  

 

 

 

 

葛川 明王院

 

 -02

 

 

 

 

 

葛川 明王院への地図

 

 

 

不動明王

 

        

 

先回から「不動明王」について書き始めた。国内では「お不動様」というよう呼称で呼ばれている、

明王の位の仏様である。奈良、京都、鎌倉以外にも、東京の下町にも一般的に見られる仏像である。

木造の彫質や青銅造り、あるいは仏画絵にも作品は多くみられる。

 

曼殊院・不動明王

 

仏画には名作が多く、「赤不動、黄不動、青不動」のような名称がつけられている。

明王は五大明王として・・「降三世明王」「軍荼利明王」「大威徳明王」「金剛夜叉明王」の分類される。

一般的には「不動明王」以外は、大寺院の講堂でしかお目に掛ることはない。

京都の通称・東寺(教王護国寺)には素晴らしい彫刻の五大明王が祀られている。

 

「降三世明王」        「 大威徳明王」

    

 

東寺以外にも醍醐寺や高野山、興福寺などの寺院にも、傑作が残されている。

圧倒されるような雰囲気が辺りを支配している。不動明王は仏画や彫刻作品で個人で持仏として祀られている場合が多い。

筆者も、曼殊院の不動明王のお写真を額に入れてお祀りしている。自分の守り仏が不動明王だからである。

大津に居た時は 近くの神社の境内の中にある、神宮寺にお参りをしていた。

小さなお宮の中に一体の不動明王が祀られていた。夏の虫干しの時無理にお願いして中に入った。

薄暗がりの中に立つ一体の不動明王が見える。身の丈2mほど。

 

 

            不動明王立像(神宮寺の実際のものではありません)

 

神宮寺という形態は多くみられるもので、昔は大寺にあった仏像が戦乱によって焼け出され、

さまよった挙句に民衆が神社にお宮を建立して、そこに仏像を祀ることが多いのである。

神仏混交の中での一つの形態なのであろう。筆者が礼拝した不動明王もその例であった。

神社の宮司にも実際の来歴は不明で、何時の間にかどこから来て、ここに祀られるようになったということ・・・

 

 

 

ある夏の暑いに日礼拝に行くと、神宮寺の扉が開閉され虫干しをしていた。

江戸時代に印刷された「般若心経600巻」である。幾つもの葛籠に入っていた。

その時、初めて眼前の完全な姿の不動明王を観た。素晴らしい鎌倉・室町期の名作である。

大きな大寺に戦国時代まで祀られていた仏像であろう。近江には珍しくないのである。

 

 

 

不動明王は千日回峰行の行者のシンボル的な仏像であるとともに、一般信者も圧倒的に多い。

お姿からも解るように鬼神退散の風貌である。人は頼りたくなる。不動明王・不動縛り」と云うのがある。

練達の行者にこれを掛けられると身動きが取れなくなり、何れ死に至ることになる。

不動明王を礼拝した際には、御信奉として真言(マントラ)を唱えた方が良い。

ご自身の身を守って戴くことが出来る。これは確かである。

 

 

中呪 

ノウマク・サンマンダバザラダン・センダ・マカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン

マントラには大、中、小の呪文のような文章がある。今回はこれを参考に掲載したい。これは中呪である。

その際、「不動印」(不動根本印)を結ぶと更に良い。ご参考までに。大呪は相当長い。又、この他に「仏説聖不動経」というものが存在している。

筆者が毎日礼拝する時には、2対の不動明王の仏画に向かって、<中呪→大呪→仏説聖不動経>の順番で唱えるが習慣である。

不動印 (不動根本印

 

今回は「千日回峰行」までは行きつかなかった。次回から明王院に関連して書いてみたい。

密教は顕教と比べてなかなか複雑な仏教の一大宗派である。

 


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