谷口板長の鯖(〆鯖、鯖のみそ煮)とバスケのコーチ日記

八戸の鯖で作る鯖味噌煮(鯖みそ煮)を紹介し八戸の郷土料理の作り方、趣味のバスケっトを田面小でコーチする日々の話。

その後。

2007-04-22 09:31:13 | 田面小バスケ
 サブです。
春の長雨ですね、ランが出来る状況ではありません
毎週、日曜日に天候が
しかたありません、自然には勝てません!

高校の1年、入部したのは35人ほど、最後は4人でした
練習の厳しさとヤキの辛さから家出をした仲間もいました
私も辛く、ここまでして・・バスケをしないといけないのか・・
考える毎日でしたね

でも、自分の中で
「辞めたら何が残るのか?何も残らない・・ただの負け犬だよ」
「バスケを目指して入った学校なんだ、バスケを辞めたら学校も・・・」

2年になりバスケの体力が付いた頃から自分のプレーに幅が出始めて
練習中にバスケを楽しむ余裕が出始めました。
3m5cmのリングに手が届いたのもこの頃です。

辛さを乗り越えた時、人は大きくなれます、
チームカラーは「走る!攻めのマンツーマン」メンバーは歯車の1コ
デフェンスで相手を網に誘ってつぶして走る。

3年になり春の県大会2位から、高校総体へ最後の目標です。
大会は八戸が主会場、東高校がメイン体育館。

当時、千葉、東、工業、八高で全ての大会が行なわれました。
この高校の体育館はみんな小さい体育館なのです。
半コートで試合をすると足を使う場面が限られます、東体育館はまだありません。

市体育館は別の種目使用していましたし、決勝だけがセンターコート使用です。
ベスト4で三本木農業高校が相手、センターに185cの高さを置いて
ゾーンで守るチームが相手でした・・「エッ?マンツウマンじゃねー」

作戦負けです、小さな体育館で中を使えない、足で止めても点差が開かない
だんだん焦りが見えてチームがチームとして機能しない・・惨敗です。

国体の選抜、八戸代表のキャプテンになり4番を付けて県へ
相手は弘前、五所川原の市営体育館、ここで自分のバスケが見えました。
1試合めは4番を見せる事ができました、しかし・・

この弘前のガードとマッチアップ、テクニックは同じとして
スピードと高さで負けていました・・自分より高くスピードが上

同じガードのポジションで致命的でした、当然負けました。
この時、自分のバスケは終わりました、ガンガンするバスケは終わったのです。
次からは、楽しむバスケをしよう・・・です。

今でも高校のバスケは自分の心の大きな部屋です・・青春でした

高校のバスケをやり通して今の自分があります、辞めていたらどうなっていたか?
自分で決めた道は自分でしか歩けない、色々な人の協力のあったけど

最後は自分の心が映し出されて、その人が見えてくる!
今の自分があるのは、高校バスケがあったから・・・
バスケの会場に行くと昔の仲間、先輩、後輩等々が、私の顔を見ると
挨拶します、辞めていたらバスケの表舞台には出れません・・

みんな、辛さを乗り越えた時に自分が出来る・・ガンバ