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増える過労自殺、拡がる格差 政治がすべきことを。名ばかり管理職は過酷なタイムプア

2011-12-23 | 哀 / 労働問題 
 
いまこそ政治は、政治がすべきことを  森岡 孝二


奴隷労働の「名ばかり管理職」

 格差社会のなかで、「ワーキング・プア」も「貧困」も、すっかり「なじみ」のある言葉になってしまいました。今日は、そんな言葉のなかでもおそらく、これから焦点になるであろう「名ばかり管理職」の話からはじめたいと思います。さきほど、雨宮さんが弟さんの話をされましたが(第2章)、まさにその話です。

 その「名ばかり管理職」が、2007年の秋にNHKの『クローズアップ現代』という番組で取り上げられました。私はその番組でコメンテーターを務めることになり、スタジオに入る前に映像をみたのですが、その内容に、非常に大きなショックを受けました。その現状については、もちろん知っていたつもりでした。ですが、それでも「ここまできているか!」と言うほかない過酷な内容だったのです。

「名ばかり管理職」。文字通り、実質を伴わない、名前だけの管理職。そうでありながら残業代が支払われないまま長時間労働を強いられています。

 番組のなかに、一人のコンビニ店長が出ていました。コンビニやファストフード、家電量販店などではいま、アルバイト雇用が非常に多く、パートが高い比率を占めています。そういうなかに少数の若い正社員がいて、店長を務めている。「名ばかり管理職」の典型です。

 その店長は、店長という「名ばかり管理職」になって収入は残業代が無くなった分だけ下がり、1日12時間以上の労働がずっと続くという働かされ方でした。そうして働いているうちに、彼はうつになり、店を辞めたのです。その元店長にマイクを向けると、次のようなことを話していました。

 「アルバイトやフリーターのような不安定な状態に身を置くよりは、正社員になるほうが、希望があると思っていました。正社員になってすぐに、店長にさせられました。会社は管理職にしてこき使って使い捨てにするという感じです」。

 もう一つの例として、ある大手紳士服販売会社の社員が出てきました。

 その人もやはり店長になり、店舗の洋服を、自腹を切ってたくさん買うまでして、店の売り上げを伸ばす努力をしました。しかし、収入は店長になって下がってしまった。まさしく「ただ働き」です。こういう管理職は、じつは労働基準法(労基法)でいう本来の管理監督者には当てはまらないので、当然、労働時間管理の適用対象となり、使用者には残業代の支払い義務があるはずなのです。にもかかわらず、管理の対象からは除外して、残業代を支給せず、体よく低賃金で働かせている。それが日本の管理職の実態です。

管理職と管理監督者はどう違うのか

 マクドナルドの店長の裁判などでも争われましたが、一般にいう課長、係長などの管理職と、労働基準法でいう管理監督者はおおいに違います。そして、管理監督者でない管理職は、労働者とみなされ、労働時間管理がなされなければなりません。

 では、管理監督者とは、どういうものでしょうか。まず、係長や課長などといった肩書きを持っていることとはかかわりなく、その職責や、勤務様態、待遇などによって判断されることになっています。管理監督者であるということは「人事・労務について経営者と一体的な立場にある」こと、「出退勤の時間について自由裁量を有する」こと、「給与・手当等で地位にふさわしい待遇がなされている」こと、などを満たす場合のことをいいます。自分の周囲にいる管理職を思い浮かべたとき、このような条件をすべて満たしている人は、いったいどれほどいるのでしょうか。

 日本の管理職は、ほとんどが管理監督者ではない、といっても過言ではないと思います。ですから、このような条件を満たしていない管理職に対して、「管理職だから」という理由で残業代を払わないことは、違法なのです。


タイム・プアかマネー・プアか

 「名ばかり管理職」として働かされているのは、正社員です。いまのような、非正規雇用労働者が3割(女性では5割)を占める状況のなかでは、恵まれている側にいる、と周囲も本人も思いがちです。しかし、いまの労働現場は、非正規労働者にとって非常に過酷なものであるとともに、正社員にとっても過酷なものになっています。

 労働者は、どちらの過酷さを選択するのかが迫られている、とも言えます。一方で雇用が不安定で賃金がいつまでも上がらない非正規雇用であれば、非常に低い収入しか得られない。他方で、正社員になって雇用が安定するかと思うと、猛烈な働き方を要求されて、働きすぎの状態になる。大雑把に言ってしまうと、一方を選ぶと貧困が待っており、他方を選ぶと働きすぎ・過労が待っている。極言すると、一方にはワーキング・プア、他方に過労死がある。いまの日本の「格差社会」は、その二つの極端―ワーキング・プアと過労死―が、抱き合わせのセットになってあらわれているところが、大きな特徴です。よく勝ち組、負け組という言い方をしますが、勝ち組といわれる人々がハッピーかというと、必ずしもそうではない。

 ワーキング・プアは、働いても働いても稼ぎが少なく、まともな生活ができない、というマネー・プアを指して言いますが、プアという言葉でいうと、もう一方の正社員の人々の多くはタイム・プアなのです。とにかく仕事が大変で、時間に追われて、自分の時間がない、ということです。たとえば、パートナーと付き合ったり、家族と団らんをもったりする時間すら持てない。自分が健康を害してうつ状態になっているのではないかと自覚しながらも、治療のため、診療のために病院に行くことも、忙しすぎてできないのです。そのような毎日を過ごしている。ましてや新聞も読めない、選挙にも行けない、といったような生活では、とうてい、自分の現在の苦境を訴え、変えようとする気力さえないでしょう。

 他方のマネー・プア、非正規雇用の不安定な身分に置かれている人は、こちらはこちらで生きること、生活費を稼ぐことに精一杯で、しかも、それさえ覚束ない状態です。ですから、自分の状態を世間に向かって訴えたり、自分の怒りを表明したり、なんとかしてくれ、と意思表示する場も、そんな余裕もないのです。どちらの置かれている問題も、その解決には、政治の力が必要です。言い換えれば、政治で解決すべき問題なのです。にもかかわらず、現在は、政治がその問題からいちばん遠ざかっている、というのが私の認識です。

世界の言葉となった日本語「過労死」

 「過労死」という言葉は、いつごろから広まりだしたのでしょうか。
 資本主義の歴史を遡ると、海外でもずいぶん古い時代から、働きすぎによる死はあります。日本においても明治維新以降、そのような事例―「働きすぎで死ぬ」という事例―は枚挙にいとまがないほどあります。しかし、過労死という言葉が広まったのはごく最近のことです。しかも、この言葉は、海外ではなく、日本で生まれました。

 私の住んでる大阪に大阪過労死問題連絡会ができたのは、1982年でした。それから6年後の88年、日本はバブル経済の絶頂期で、猛烈に残業量が増えました。「過労死」という言葉は、ちょうどそのころ、言葉として広まっていったのです。
 その年、過労死が多発する、残業の多い状況のなかで、「過労死110番」という電話相談の受け付けを大阪で実施しました。

 その最初の「過労死110番」を実施した際に、過労死に関するシンポジウムも開かれました。そしてその模様をテレビや週刊誌、新聞などのメディアが一斉に報じるなかで、あっという間に誰もの口にのぼる時事用語になりました。現代社会を象徴する、現代国民用語になった、と言ってもいいでしょう。
 それから、ほぼ20年が経ちました。過労死は減るどころか、むしろ30代を中心に、しかも過労自殺という一際むごい形で増えてさえいます。

 しかも、20年前の過労死が語られだしたころには、あまり議論されていなかった格差の問題が、いま、議論されるようになっています。さきほど、佐高さんが学生時代の格差の記憶を鮮明に語られました(第1章)。その佐高さんの思い出のように、日本は古くから「格差社会」ではあったのです。しかし、いまのような将来に希望のない惨めな状態と比べると、そのころは、まだましであったと言えるでしょう。
 
そして登場した、ワーキング・プア

 1988年に過労死問題が語られはじめたときには、少なくとも、いまのように貧困やワーキング・プアは、大きな社会問題にはなっていませんでした。
 ところが、いまは「ワーキング・プア」という言葉が言われます。この言葉はいつ、どういうふうに広がったのでしょうか。
 じつは、この言葉はアメリカにおいて、以前からありました。また、イギリスでは「レーバーリング・プア」つまり「労働貧民」という言葉が、さらに古い時代から使われていました。しかし、日本において、この言葉が広く語られるようになったのは、じつは2006年からで、ごくごく最近のことなのです。
 2004年に、アメリカのジャーナリスト、デイヴィッド・K。シプラー氏が『ワーキング・プア』(岩波書店)という本を著しました。川人博さんや肥田美佐子さんとともにすぐに翻訳作業を開始したのですが、結局、邦訳の刊行は2007年1月でした。アメリカでこの本が出版されたこともきっかけになり、「ワーキング・プア」という言葉が使われるようになります。日本においては、2004年には、ごく一部例外的に、雑誌記事検索で1件、この言葉を使った記事が出てきます。2005年には、私が言及したものも含め、8件がヒットします。ところが、2006年になると、もう数え切れないくらいにこの言葉が多用されています。

 その理由には、さまざまなメディアがこのテーマについて取り上げるようになった、ということがあげられます。とりわけ、NHKが二度にわたって放送した『ワーキング・プア』が特筆されます。このテーマについて、地方でも大都市圏でも、非常に丹念な取材をして放送しました。この番組が非常に大きな反響を呼んだことが、一挙にワーキング・プアという言葉が広まった、ひとつの大きなきっかけだろうと思います。すさまじい勢いでこの言葉が浸透したその背景には何があるのでしょうか。ここには、日本の社会のある面において、「信号機」が壊れ、社会全体が音を立てて崩れていっているさまが、出ているように思います。

アメリカに向かってひた走る日本

 1980年代後半のバブル経済以降の日本社会は、ひたすら、全速力で走り続けてきたかのようにみえます。どこに向かって走ってきたかというと、まっしぐらにアメリカに向かって、走ってきたのです。総合規制緩和会議とその後続の規制改革民間解放推進会議の議長として、2001年の小泉政権の誕生とともに、小泉・竹中路線のもと、規制緩和の旗振りをしてきた宮内義彦オリックス会長は、その著書(『経営論』東洋経済新報社、2001年)のなかでこのように語っています。
 「今、日本に求められているのは、アメリカに向かって走れということではないでしょうか」

 まさしく日本はその言葉どおりに突っ走ってきました。そして、どうなったか。いまの日本は、そこに向かって走っていった、そのアメリカと同じように、少数の金持ちに富が集積する一方で、世界でもあまり例をみないほど数多くの貧困層がいる、という、いささか理解に苦しむ社会構造になってきています。

 「最も豊かな国なのに、最も大きな貧困がある」、ということです。そのことを端的に示したのは、2006年に話題になったOECD(経済協力開発機構)の対日経済審査報告です。2007年には『OECD日本経済白書2007』(大来洋一監訳、中央経済社)というタイトルの翻訳が出て、全文が日本語で読めるようになっています。

 その報告書に、「世界の相対的貧困率」という数字が出てきます。これはその国の中位の所得の半分未満の所得しかない人が、18歳から65歳の生産年齢人口において何%を占めるか、という数字です。中位の数字をたとえばわかりやすく、年収400万円であるとした場合、その400万円の半分、つまり年収200万円以下の人が何%を占めるのか、それが相対的貧困率です。これをものさしにして、貧困を国際比較しているのです。この数字の低いほうが、貧困層が少なく、数字の高いほうが貧困層が多い、ということです。

 どの国の貧困率が高いのでしょうか?日本は第2位です。名誉あるトップはどこかというと、アメリカです。アメリカが13・7%、日本は13・5%。その差はわずか0・2ポイントで、ほぼ肩を並べています。これが、日本がアメリカに向かってひた走ってきた結果なのです。

 この貧困率の数字をきちんとみると、じつは、当初に得る所得だけで計算した場合、日本よりも貧困率が高い国が、いくつかあります。フランスも、その計算では日本よりも貧困率が高いのです。しかし、フランスの場合、税や社会保障によって大幅に格差が是正されています。貧困者に対する減免税や福祉をおこなったあとの、所得再分配後の所得をみると、日本に較べ、格差はうんと縮まっています。日本は、世界の先進国のなかで税と社会保障による所得の再分配率が最も低い国なのです。端的にいえば、貧困層に高い税金を課しており、それにもかかわらず社会保障の給付は非常に貧弱である、ということです。

福祉詐欺、日本
 
 社会保障による所得の再分配が機能していない、ということについては、たとえば、生活保護を受給すべき人たちが受給できないでいる、ということに端的にあらわれています。

 よく、生活保護などについて、「不正受給」ということをいいます。「不正受給」という言葉は、かなり福祉攻撃的な使われ方をしています。受給者が、たとえば、それなりの収入があるのにそれを隠し続け、そのうえ生活保護を受けてぬくぬくと生活している、などという例が紹介されます。けれども、さきほど紹介した『ワーキング・プア』を書いたシプラー氏によると、じつは不正をしているのは給付する行政の側だ、ということになります。「行政は、受給資格のある人をあれこれいって追い返し、権利がある人に対して給付をしていない。これこそが一番ひどい福祉詐欺ではないか」と言うのです。

 錯覚かもしれませんが、このシプラー氏の話は、日本のことではなくアメリカのことを言っているのです。しかし、おわかりのように、そういう意味では、日本においても福祉詐欺を働いているのは、じつは行政なのです。少し前に、北九州市のことが問題になりました。まさしくあれは、受給できる人、支給しなければいけない人を行政が締め出して死に追いやったケースです。過労死ならぬ「貧困死」という言葉が使われました。餓死するまでになっても、公的扶助を拒否される、こういう状況が端的に日本の現状を示しているのです。

生活保護以下家庭

じつは、就業構造に関する統計を見ると、日本の全就業者、とくに雇用所得を得ている労働者のあいだでは、年収150万円未満が25%程度、150万円~300万円未満が同じく25%程度います。合わせて年収300万円未満の労働者が、全労働者のなんと5割にものぼるのです。働いている人の2人に1人が、年収300万円未満だということです。

 これは世帯単位で見ると多少違いますが、世帯単位で見ても、年収が300万円未満の勤労者世帯が18%にもなります。それでも、報われないまま、なんとかがんばって働き続けているのです。

 いったいなぜ、こういう国になってしまったのか。それは、さきほど述べたように、「アメリカに向かって走れ」という、小泉政権が推し進めてきた路線の結果に他なりません。「適度な競争はあったほうがいい」、「効率をよくすると消費者の満足にもつながる」、「市場に任せれば経済はうまくいく」、「格差があってなぜ悪い、むしろ格差は経済を活性化させる」、「企業が潤えば社会が潤う」、などという言説にひきづられて、この路線を進めてきた結果なのです。

 では、この現状をなんとかするために、どうすればいいのでしょうか。われわれにできることには、何があるのでしょうか。

 本来、政治は格差を是正する働きを持っているはずです。これが、佐高信さんのおっしゃった「信号機」の働きだと思います。しかし、それをいま、何もやっていない。つまりいま、政治はすべきことをまったくしていないのです。近年の日本の政治は、おそらく世界のなかでもほとんど例を見ないほど極端な形で、格差を是正するのではなく格差を広げる政策を選択してきました。その選択が、いまの状態をいっそう深刻なものにしているのです。


もう一度、政治の力を

 いまの日本は、国民の世論や要求など、そういう生活に根ざしたものと政治とが著しく離れてしまっています。また、われわれも、その離れてしまった状態に、慣れてしまっているのではないでしょうか。われわれの生活実態とはかけ離れたところで、企業が―経済界でいえば日本経団連などの団体が―政策をとりまとめ、政治献金をおこなって自民党を利益で誘導し、自民党がその政策を公明党とともに実行する。そして、その理由付け、大儀名分づくりのための諮問機関として審議会が開かれ、そこでお膳立てが整って提言がまとまれば、もう国会などはあってないようなもので、議論もろくにないままに法案は通過し、成立してしまう・・・。きっとわれわれは、「政治とはそういうものだ」と、かなり長い期間、それがごく自然なことのように思わされ、飼い慣らされてきました。でも、それは違うのです。

 違う、ということが明らかになったのは、じつは2007年夏におこなわれた参議院議員選挙によって、です。選挙で自民党が大敗し、民主党が大勝した。その結果、政治がどうも変わるらしい、とみんなが思いはじめたのです。民主党には、いろいろと足りないところ、危ういところも当然ありますが、それでも、変わりうるかもしれない、と考えるようになった。そうなると、いくつかの可能性が出てきます。それはそれで当然、さまざまな声があがりはじめます。そして、声があがりはじめると、物事は動き出すものなのです。


声をあげること、行動すること

 現に、いろいろな局面で動き始めたこともあります。さきほど例を出しました「名ばかり管理職」の問題でも、動きがありました。
 日本の課長さん、というのは人口的にはいちばん多い、「名ばかり管理職」の見本のようなかわいそうな存在です。課長さんは、管理監督者ではありませんから、残業代も請求していいし、過重労働を押し付けられたまま黙っている必要などないのです。しかし、日本の課長は、昇進や将来の家族の生活等もあって声をあげませんでした。やむを得ないこととして黙認するか是認する。これまでは、ずっとそうやってきました。

 しかし、いまの若年層は、厳しい労働環境のなかで毎日、自分たちの将来が見えない、年金もどうなるかわからない、働いても報われない、自分の存在さえも認められない、というような不安や不満にとらわれて生活しています。ですから、いままでの日本の課長のように会社に義理立てをするようなことなどはありません。ではどうするかというと、労働相談をしている弁護士事務所・法律事務所はどこにあるか、あるいは雨宮さんがどういうことを発言しているか、などをネットで調べて、読んで、知って、そして出かけて、声をあげるのです。そのようにして声をあげはじめ、労働基準監督署にも出かけたから、「名ばかり管理職」の問題もようやく表面化したわけです。

 選挙だけではなく、このような一人ひとりが発言したり、行動する動きが出てくると、いまの状態が変わる可能性が出てくるのです。


ホワイトカラー・エグゼンプションから考えてみる

 いまの状態に目を向けた場合、とくに、働き方に関しては、ホワイトカラー・エグゼンプションについて、考えてみることが重要です。

 まず、アメリカの実態はどうなっているのでしょうか。

 日本とは違い、使用者が労働者に命ずることができる最長労働時間、端的にいえば労働時間の上限というのは、アメリカにはありません。その代わりに、オーバータイム、つまり、時間外労働に対する支払い基準として、「週40時間」があります。その時間を超えて労働者を働かせる場合には、1・5倍の割増賃金を支払わなければならないことになっています。たとえば、通常の時給が10ドルであれば、その1・5倍、時給15ドルを払いさえすれば、週に80時間、あるいは100時間働かせても、何ら違法性を問われない―これがアメリカの労働時間に関する法律の、第一の特徴です。

 もうひとつの特徴は、「エグゼンプション」です。第一の特徴である、その時間超過分の賃金の支払い義務を、かなり広い範囲にわたって免除しましょう、というものです。「エグゼンプト」というのは「免除する」ことをいいます。「適用除外」といってもいいのですが、簡単にいえば、その割増賃金の支払い義務を外すということです。これが第二の特徴です。

 この制度はかなり広範囲にわたって適用されています。アメリカのホワイトカラーの4割、そして全労働者の2割が、その対象になっています。つまり、「残業」の概念がない状態です。当然、残業手当もありません。どんなに長時間働いても、年俸制で得られる収入は決まってしまっていて動かない。そういう仕組みなのです。

 その制度(ホワイトカラー・エグゼンプション)を日本に導入しよう、ということが目論まれているのです。

 しかし、そもそもまったく労働条件や労働環境の異なる国の、まったく違った発想に基づいた制度なので、「導入する」ということからして無理があります。日本の労働基準法では、いろいろと法と現実の乖離はありますが、まず、労働時間の上限を週40時間、1日8時間と定めています。

 現状をみると、30代の男性正社員は、平均して週50時間は働いています。このことは、統計からはっきりと確認できます。また、そのうちの4人に1人は、週60時間以上働いているのです。これだけ長時間働かされているのが現在の日本の労働時間の実態です。ですから、その意味では、労働基準法の労働時間規制は実効を伴わない、死んでいるのだという見方もできなくはありません。もう、ホワイトカラー・エグゼンプションが導入されたのと同じような状態なのだから、実際に導入されても、何も変わらないのではないか、と。

 しかし、一方で法律がこのように取り決めている、ということは非常に大きな意味を持ちます。この、週40時間・1日8時間という枠は、確かに法律上は生きているのです。

 たとえば、工場がどんなにこの法律の枠組みを無視して労働者を働かせても、労働者が労働基準監督署(労基署)に事実を添えて申告すれば―これは告発と言ってもいいのですが―、労基署が監督・是正に入り、場合によっては、不払い賃金を払わせることができます。労働基準法には、申告の制度についての規定があるからです。また、このようなケースでは、裁判を起こせばほとんどの場合、労働者の側が勝っています。これは、いまの労働基準法があるからです。

 もしも、ホワイトカラー・エグゼンプションのような制度を導入してしまうと、たとえば労使交渉や裁判の際に、労働者が権利としてテコにする法律がなくなってしまいます。そして、労働時間に関する、基本的な規定そのものもなくなってしまうことになります。そうなると、過労死もただ働きも、一切お構いなし、という状態になりかねません。

(後略)

森岡孝二(もりおか・こうじ)
関西大学経済学部教授・株主オンブズマン代表。1944年生まれ。著書に『ワーキング・プア』(共訳)、『これ以上、働けますか?』(共著)、『働きすぎの時代』、『窒息するオフィス』(共訳、いずれも岩波書店)など多数。

岩波ブックレット
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/booklet/


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