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石原都知事の脅迫状 / 実は過労死の歌 ♪線路は続くよ どこまでも・・・ ランラランララン・・

2012-09-19 | 哀 / 労働問題 
ここ日本のど真ん中で、ジャイアン程度の精神年齢の老人たちが世を仕切っている哀しさ


2012年4月26日(木)  しんぶん赤旗日刊紙

きょうの潮流


 「イエローカードが2枚、3枚になったら殴るからな」「覚えておけ、おれ、本当にやるからな」

 ▼聞いていた人は、耳を疑ったかもしれません。多くの記者がいる中で、政治家の口からまさかこんな…。一昨日、石原都知事がある全国紙の記者にすごんでみせました。記事が気に障っていたらしい

▼野田首相が同様の言葉をはいていたら、さっそく「首相失格」と大騒ぎでしょう。しかし、石原氏の暴言を、スポーツ紙以外、大手全国紙は報じていません。脅しが効いたのか。あるいは、“石原氏なら仕方ない”ですませたのか

▼世界各国で、独裁政権が相次ぎ倒れています。しかし日本の新聞やテレビは、石原氏や橋下大阪市長のような独裁型の政治家をもてはやします。いっこうに変わらない政治に業を煮やす、人々の気持ちをすくいとる形をとりながら

▼“なにも決められない政治”を批判する橋下氏。同調する新聞・テレビ。野田政権も、“決める”“決める”です。消費税増税や年金、保育などいくつもの法案を十把ひとからげに提案できる特別委員会を、国会に設けます

▼「先送りできない」(首相)と、なにがなんでも決めようとする。まともな議論はいらない、国会議員は採決ロボットでいい、というわけです。しかし、「言論の府」の国会は、議論が命です。世論調査でも、“早く増税を決めよ”は少数にすぎません。なのに、議論を封じ“決める”“決める”では、政権が国会と国民に殴りかかるような独裁型の政治です。


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  埋められた労働者 「線路は続くよ どこまでも・・・」


 ところで、誰もが知っている「線路は続くよどこまでも」という歌、

 原題は「I've been working on the railroad 」(オレは線路で働いていた)で、
 線路がつながり汽車が走り出すとともに労働者が力尽きる、という過労死の歌だったことをご存知ですかにゃ。

  「つらい仕事でも しまいには
 つらい仕事でも 果てがくる
 汽車のひびきが 鳴り渡れば
 つるはしを置いて 息絶える」

  詳しくは

 

 埋められた労働者 万国の労働者 団結せよ



1 「鉄鎖」に縛られた労働者

 鉄鎖以外に失うものは何もない ― 年配の方には懐かしい言葉だと思いますが、若い読者には馴染みがないかもしれません。これは、「プロレタリアは、この革命によって鉄鎖のほかに失うものを持たない。彼らの獲得するものは全世界である。万国のプロレタリア、団結せよ!」という【共産党宣言】の結びの文章からきているものです。

 この「鉄鎖」というのは、「鉄のように固い束縛」の比喩で、生産手段や権力を持たず、搾取され続ける階級として世代を超えて再生産される労働者階級を表現したものです。
 『資本論』でも「ヘファイストスのくさびがプロメテウスを岩に釘づけしたよりももっと固く労働者を資本に釘づけにする」と述べているところもあります。見事な表現です。

 ところが、この「鉄鎖」というのは比喩ではなく文字どおり「鉄の鎖」でもあったのです。

 かつて、北海道の開拓には多数の囚人が労働力として送り込まれました。厳冬の中で道路や鉄道の建設に携わる過酷な労働です。過酷な労働から逃げ出す人を防ぐため、囚人は二人ずつ鉄の鎖で繋がれ鉄球を付けられ、働かされました。栄養失調やケガなどで死亡者が続出しましたし、監督に抵抗した者は、その場で殺されることもありました。
 死んだ囚人たちは、そのまま現場に埋められ、鉄鎖で繋がれた人骨も発見されたり、鉄鎖を墓標の代わりに置いたと伝えられたりしています。このなかには、自由民権運動を担った活動家=「思想犯」もいたのです。北海道北見市の緋牛内(ひうしない)にあるこの囚人たちの墓は「鎖塚」と命名されて、供養されています。

 さて労働者を縛り付ける「鉄鎖」はマルクスが生きた19世紀のドイツや明治時代の北海道の話でしょうか?。自分と家族が生きるために劣悪な条件でも働き続けなければならない労働者や、年金改悪のために「第二の人生は悠々自適に」という小さな願いまで粉砕された労働者の背後に「鉄鎖」が透けて見えるのは私だけでしょうか。

2 「人柱」になった労働者

 鎖塚、北見、残酷労働・・・といえば常紋トンネルの話を紹介しなければなりません。
 このトンネルは道央の旭川と網走を結ぶ石北本線の金華駅(旧常呂郡)と生田原駅(旧紋別郡)の間にあります。この区間は周囲に人家もなく、同線の難所の一つでもあり、全長507メートルのトンネルを掘るのに3年を要した難工事でした。1914年、今から約100年前のことです。このトンネルを走行した機関士や常紋信号場の職員から「血を流した人間の姿を見た」「人のうめき声が聞こえた」といった話が広められ、「おばけが出るトンネル」として騒がれました。いま流行の言葉でいうと「心霊スポット」といったところです。

 事実、1968年の地震のときに壁面が損傷し、その改修工事の際に、壁から立ったままの人骨が発見されたほか、入り口付近でも大量の人骨が見つかりました。なかには頭をかち割られたような損傷のある人骨もあったといいます。その後の調査で、重労働と栄養不足による脚気から労働者は次々と倒れ、倒れた労働者は治療されることもなく現場近くに生き埋めにされたことが明らかになりました。
 もちろん「おばけがいる」というのは、言い過ぎです。機関士の話は、人家のない真っ暗な北海道の原野をひたすら運転するという感覚遮断のなかで幻覚・幻聴症状が起こったと解するのが科学的で合理的でしょう。

 鎖塚で紹介した囚人労働に代わって登場したのが常紋トンネルの工事に使われた「タコ」労働者でした。鎖はなくても暴力やリンチでつながれ、夜は鍵のかかる「タコ部屋」に寝かされました。「タコ」の言われには「いったん入ったら出られないタコツボのようだから」「タコが自分の足を食べて生き延びるように、自分のいのちを削って生きるから」「他の土地から騙されて連れてこられたから他雇=タコだ」と諸説あります。

 当時の留辺蘂町(るべしべ)(現在は北見市)によって「常紋トンネル工事殉難者追悼碑」が建てられ、いまでも供養祭が行われています。

3 線路工夫の哀歌

 鉄道建設における労働者の酷使は日本だけのことではありませんでした。日本が第二次世界大戦中にタイとビルマ(現ミャンマー)の間に敷設した泰緬(たいめん)鉄道に、連合軍の捕虜や周辺国民を含む多くの労働者が動員され、飢えと過労、マラリアなどの伝染病で多くの犠牲者を出したことは有名です。
 また、南北戦争期に敷設されたアメリカ大陸横断鉄道の工事には多くのアイルランド人と中国人が動員されました。とくに中国人が使われた地域は山脈を超える難工事で「枕木一本の下に中国人労働者が一体ずつ埋まっている」「クーリー(苦力=労働力)の屍が枕木になった」と言われるぐらい過酷な労働に従事させられました。
 
 ところで、誰もが知っている「線路は続くよどこまでも」という歌は、このときの過酷な労働に斃(たお)れた労働者の歌だったことをご存じでしょうか。
 この歌の原曲はアイルランド人工夫によって歌われたもので、原題は「I've been working on the railroad 」(オレは線路で働いていた)でした。日本に紹介されたときは「線路の仕事」という題名で比較的原詩に忠実に紹介されました。そのときの歌詞を紹介します。

 「つらい仕事でも しまいには
 つらい仕事でも 果てがくる
 汽車のひびきが 鳴り渡れば
 つるはしを置いて 息絶える」

 このように、線路がつながり汽車が走り出すとともに労働者が力尽きる、という過労死の歌だったのです。さすがにこれでは子どもに歌わせるにはあまりに衝撃的すぎるということで、いまの歌詞に代わりました。

 「線路はつづくよ どこまでも
 野をこえ山こえ 谷こえて
 はるかな町まで 僕たちの
 楽しい旅の夢 つないでる
 ランラランララン・・・」

 子どもたちが、遠足やピクニックに行くときに楽しく歌うこの曲から、地中に眠る線路工夫の叫びを聞き取るのは、もはや難しいのかも知れません。

 「埋められた労働者」というテーマで三つの話題を紹介しました。こんな残酷な話は過去のものだと言いたいところですが、使い捨てにされ、過労で倒れる労働者があとを絶たないのが現実です。
(学習の友2012・No:709)
http://www.jah.ne.jp/~gakusyu/tomosya.html


世の中は紆余曲折、一進一退ありながらも、大きく見れば平等社会に進むものだという歴史的事実がある以上、若者は未来に希望を持って、要求を実現させる選択を模索してみたほうがいいぞにゃ。総選挙くらいは。まぁ投票すりゃいいってもんじゃないのでくれぐれも慎重ににゃ~~ =^。 。^=^。 。^= 


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