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安保が解れば世界が見える、色々と /『北斗の拳2 ~ TOUGH BOY: TOM★CAT』

2012-05-18 | 日本共産党 基礎知識・PR MOVIE
『北斗の拳2 ~ TOUGH BOY: TOM★CAT』


 
 安保がわかれば世界が見える


はじめに
 TPPや原発問題、沖縄問題などの背景に日米安保条約があることが見えやすくなっているといわれています。しかし、皆さんの中にはアンポなんて言われても、自分の日常生活とはあまり関係ないと思っている人が、案外多いのではないでしょうか。

 確かに世の中の出来事を個々バラバラに眺めていても見えてはこないのですが、日々の出来事の相互関係に目を凝らし、歴史的な経緯を注意深く見ていくなら、私たちの日常生活が意外なところで日米安保と深くかかわっていることが、見えてくるのではないでしょうか。

1 消費税も、安保条約が押し付けた?

 そこで、今回は、私たちの暮らしと安保、あるいは労働者のたたかいと安保という視点からいくつかの問題を考えてみましょう。

 まずはじめは、いま国会で最大の焦点になっている「税と社会保障の一体改革」、消費税増税問題と日米安保の問題です。

 民主党の野田内閣は、国民が民主党政権を選んだスローガンである「生活第一」を投げ捨てて、2014年から消費税を8%に、15年から10%に引き上げようとしています。

「消費税率をあげて増税しなければ、国家財政が破綻してしまう」「超高齢化社会に対応する社会保障の財源を確保する」ということが、その主な理由だとされています。

 しかし、本来税金は、国が国民統治と行政に必要な財源を、国民所得から徴収するという性質のものなのですから、税の使われ方―たとえば所得再分配といった「原則」がどこまで実行されるか―が問題になるのは当然です。

 国民から集めた税金を、無駄な、また緊急性のない公共事業や、「米軍への思いやり予算」、米軍の再編費用、自衛隊の戦力強化に当てるのですから、社会保障にまわす金が足りなくなるのは当たり前です。


 なぜ、軍事費が巨額になるのかといえば、日米安保条約の第三条で「日米は、武力攻撃に抵抗するそれぞれの能力を維持し、発展させる」として自衛隊の装備の強化が義務付けられているからです。

 実は消費税が日本で最初に導入されたとき(1989年)にも、同じような議論があり、
自民党のある幹部は「年々防衛費を伸ばすという約束がございます。海外経済協力費というのも年7~8%伸ばしています。そうすると財源は足りなくなるわけでありますから、間接税というものをもう少し重視したらどうなんだという議論が出てくるのも当然」と語り、
軍事費と米軍への戦略的援助の補完・分担が消費税導入の目的だと言っていました。

 その時も、政府自民党は、国民には「福祉のために消費税を導入するのです」と言って誤魔化したのです。


2 食べるものにも、就職にも安保条約が・・・

 次に、日本経済のゆがみと貧困・格差、非正規雇用労働者の増大などと安保条約の関係について考えてみましょう。

 今年の4月28日は、サンフランシスコ講和条約・安保条約が発効して60年目の日です。この時の安保条約は旧安保と呼ばれ、1960年に改定された現行安保条約を新安保条約と呼んでいます。

 旧安保条約は、沖縄など日本全土に展開していたアメリカ軍の駐留と基地提供を主な内容とする条約でした。

 改定された現行安保条約には「極東の平和及び安全の維持」と書き込まれ、日本国憲法を無視した日米軍事同盟という性格のものになり、日本がアメリカの戦争に巻き込まれる危険性のいっそう強い条約に変わりました。

 また、新しく第二条に「日米経済協力の促進」がつけ加えられたことによって、安保条約は単なる軍事条約にとどまることなく、その後の日本の政治・経済に大きな影響を与えることになりました。

 60年安保条約が締結されて以後、「日米経済協力の促進」の名のもとに、アメリカの資本・技術・商品の導入に道が開かれ、政治的にも経済的にも日本はアメリカの戦略に組み込まれることになったのです。

 そして、農産物の輸入拡大(78年)、牛肉・オレンジの自由化(84年)、米の輸入自由化(93年)などによってアメリカの農産物が日本にどんどん入り込み、日本の農業はつぶされ、食糧自給率は39%にまで落ち込むという、国際的にみても異常な事態になりました。

それに加えていま、原則すべての関税が撤廃といわれているTPP参加が大きな問題となっています。

 また、アメリカは日本に対して、新自由主義的改革を要求し、94年に規制緩和と行政改革について「要望書」を提出し、日本市場の構造をアメリカと同じ競争原理社会に変えることを求めてきました。
それは金融・保険、情報、医療、労働、サービスなどの広範囲におよび、規制緩和と市場の開放を迫るものになっています。

 そうしたアメリカの要求を率先して推進したのが小泉構造改革でした。

郵政の分割民営化が強行され、労働分野での規制緩和によって、非正規労働者が急速に拡大し、貧困と格差が大きな社会問題となるような状況が作り出されたのです。

派遣労働が原則としてあらゆる仕事で導入していいとしたのも、アメリカの要求に日本の財界が呼応したことによります。

 このようにみてくると、農業や食糧の分野のみならず、金融、医療、労働、貧困と格差などあらゆる分野で問題となっていること、日本経済のゆがみの根底に、日米安保条約第二条があることがわかります。

日米安保条約 第二条
 締約国は、その自由な諸制度を強化することにより、これらの制度の基礎をなす原則の理解を促進することにより、並びに安定及び福祉の条件を助長することによつて、平和的かつ友好的な国際関係の一層の発展に貢献する。締約国は、その国際経済政策におけるくい違いを除くことに努め、また、両国の間の経済的協力を促進する。


3 「安保がいい」という考え方も作られた

 さて、60年安保の安保改定闘争は、日本の労働運動にも大きな影響を与えました。

当時アメリカは、日本のエネルギー産業に対する支配を強めるために、日本に対して、石炭から石油へとエネルギー政策の転換を求め、政府もその政策を進めたことから、全国の炭鉱が閉山に追い込まれ、首切り、「合理化」が強行され、三井・三池闘争など労働者のたたかいが大きく広がっていました。

戦後最大の国民闘争

 そのたたかいと安保改定反対闘争が結びついたこともあって、日本の歴史を揺り動かすほど、戦後最大の国民的大闘争にまで発展しました。

 これらのたたかいの先頭に立ったのは安保改定国民会議に結集した労働者でした。

労働者の分断を

 日米支配層はこの歴史的たたかいの教訓から、たたかう労働者への分断と懐柔融和策を取るようになりました。

 安保闘争の後、アメリカのケネディ大統領の任命で日本に来日したライシャワー駐日大使は、日本人を妻とした知日派大使といわれましたが、「ケネディ・ライシャワー路線」を押し進めました。

 それは「日米人物交流計画」に基づいて、安保をたたかった社会党、総評、中立労連の幹部や学者・知識人を指名してアメリカに招待する、あるいは学生を留学させ、反共・親米の流れをつくり、親米派の育成に努めたのでした。

 また、アメリカは、アジア財団などを通じて主要単産の幹部のみならず、都道府県組織の幹部に至るまで大量の労組幹部をアメリカに招待しました。同時に、アメリカのAFL・CIOや国際自由労連の右翼幹部を日本に送り込み、親米的で反共・労使協調主義的な組合の育成に取り組みました。

 それが64年のIMF・JCの結成、全日本労働総同盟(「同盟」)の結成につながりました。そこが労働戦線の右寄り再編の拠点となったのです。

 そして80年代には社会党が安保を容認し「社公合意」が成立することになったのです。さらに、89年には反共・労使協調を旗印とする「連合」の結成へとつながったのでした。

 こうした経緯の中で、安保容認の意識と世論が国民の間に定着していくことになります。
 「安保もいいじゃないか」という考え方自体が作られたものなのです。


4 歴史をつくる主人公として
 しかし、いま、事態は大きく動いています。
 沖縄での基地撤去を求める運動が発展するなかで、沖縄では「安保をなくせ」の世論が多数派となっています。

 原発ゼロをめざす運動の中でも、そもそも原発が日本に持ち込まれたのは、アメリカの核戦略によるものであること、また、日本国民の中にあった「核アレルギー」を取り除くために、核の平和利用という大キャンペーンが取り組まれたことが明らかになるなかで、日米関係の歪んだあり方に批判の目が向けられるようになってきています。

 私たちは、歴史に流されて生きるのではなく、また、悪政の押し付けを許すのではなく、歴史をつくる主人公として生きたいものです。

 私たちの要求を実現するために、今、日米安保体制にどう向き合うべきでしょうか。
(大澤 進 おおさわ・すすむ/労働者教育協会事務局長)【学習の友 5月号】


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