今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

猫愛 ~ほんわか、でもやっぱりせつない猫たちの物語・第3話~

2022年10月07日 | 猫愛 ~特選・猫たちの物語~
第2話のマーチの話、ケージ飼いの悲劇はよくありそうな話です。
悪意がなくても、日本にはもともと動物を繋いだり檻に入れて飼育する文化があるからです。実際、「猫 ケージ飼い」をネットで検索すると沢山の記事がヒットする。獣医師さんや獣医師さん監修の記事も多い。それらのタイトルだけ見ればケージ飼いを肯定する記事ばかり。実はそれが問題なのです。あの"ノラ猫への餌やり禁止"と同質の問題が、ここにもありました。

当ブログでは何度も繰り返しているように、いかなる自治体の条例も餌やり自体を禁止していません。法律違反だからです。禁止しているのは環境に配慮しないなど"不適切な方法"での餌やりなんですが、一見では餌やり禁止としか見えない。それと同じで、ケージ飼いを肯定する記事の中身を読めば、タイトルとは裏腹にケージの使用を一時的なものとするよう断っているのです。自分も養生のときなどケージの必要性は認めます。しかし基本的に猫には自由や運動が必要なことは言うまでもない。ちなみに「猫 完全ケージ飼い」で検索したところ、何と最初に出てきたのは愛読している「ねこちゃんホンポ」の記事。タイトルでは完全ケージ飼いを肯定しているのに、内容的にはやはり「毎日外に出しての運動が欠かせません」だって。何をかいわんやです。

自治体の条例や専門家気取りのネット記事が、どうしてこんなに読み手を惑わすような書き方しかできないのか、その結果としてどんな文化が生まれてしまうのか、動物福祉後進国日本がこんなことで生まれたのだとしたら本当に残念な話です。


ニャー:猫族にとっては何より自由が大切なんだニャ

さて、今回の話。
Sippoには佐竹茉莉子さんの他にも、自分の好きな書き手さんが大勢います。「猫はニャーとは鳴かない」シリーズの宮脇灯子さん、「家猫庭猫」シリーズの安彦幸枝さん、等々。飾らない文章で事実だけを淡々と繋ぐ。それでいて人の気持ちも猫の気持ちも痛いほど伝わってくる。何回読み返しても胸にジーンとくる感動があります。それはきっと、決して飾ることのない、そして運命に従順な猫(特にノラ)の生き様に相応しい書き方だからなんだと思います。

今回は、その中から安彦幸枝 さんの「庭猫スンスン」のお話。本にもなってるのでご存知の方も多いと思いますが、スンスンとの出会いから別れまでが淡々と綴られる物語。そこに描かれるのはノラの悲哀か、ノラの幸せか。安彦さんと一緒に考えたくなるテーマです。この話は5話からなるシリーズ。各回の記事下から次の回に飛ぶことができます。安彦さんへのインタビュー記事も一緒にリンクしておきます。

「庭猫スンスン」

※単行本発刊に際して
(いずれもクリックしてポップアップ)


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モドキは生きている、でも・・

2022年10月05日 | モドキ
心不全の再発でドクターストップがかかり、モドキの捜索は中止しました。
モドキの消息は、スタッフみんなの気がかりです。
先週モドキの記事以降も、残業で遅くなった店長さんの目撃情報が。
レジギフト室からちらっと見た軽量鉢小屋の置き餌を食べていた何か。
店長さんはモドキだと思った。
が、確認のため近づいたときはいなかった。

モドキの行動にしてはおかしい。
店長さんの自信は消え、自分は端から懐疑的だった。
と言うのも、その時の置き餌はモドキが食べないものだったからです。
翌朝には空だったらしいけど、シンが食べた可能性が高いと思った。
でも、そんな情報にすがりたい気持ちは人一倍強かった。

この春軽量鉢小屋にて、まだ夜のお店の番人(猫)だった頃

その後、間違いのない情報を得たのはあの心不全の最中でした。
病院の待合室でMさんにお会いしたのです。
さっそくモドキの話に。
Mさん宅にも最近は来ないのだとか。
しかし最後に見た日、それは隣地区で白黒猫が路上死した3日後だった。
Mさんはその日をはっきりと覚えていた。
なぜなら町内会の一斉掃除日だったから。
Mさん宅ではなく、他の家の庭でボ―ッと休んでいたそうです。

かくして、店長さんの見間違い説は消えました。
モドキは生きている。しかも夜遅くには店に来ている可能性がある。
モドキの来店に備えないと。いつか再会を期して。

昨年は事務所に入ってきて休むこともあった

と、店の雰囲気は明るくなった。でもMさんには新たな心配事が。
昨年の初夏に生まれたモドキに似た子を、最近見なくなったというのです。
Mさんもたまにお世話していた外猫だ。
そうなんです。誰かが事故に遭い、その猫生を奪われたことに変わりはないのです。
年間30万匹のロードキル。猫たちが安全に暮らせる方法はないものか。
ノラや野生動物との共存は、無理なのだろうか。

夜になるとレジ外台に現れた頃

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心不全再び

2022年10月02日 | その他(分類なし)
私事で恐縮ですが(と言ってもブログ自体が私事だけど)、また心不全の話です。
最近では上皇陛下が罹患したりアントニオ猪木さんの訃報でも聞かれました。
とても怖い病気で、その予後はガンより悪いらしい。
しかも不治の病なので発症後は進行悪化を抑えることが努めになる。
自分は今頃になって本気で勉強し、その内容に驚きそして焦っています。
是非健康なうちに「心不全とは」で検索し、徹底的に調べておくことをお勧めします。

6月に文字通り九死に一生を得た自分は、その後は幸いに普通の生活に戻れた。
当時の記事タイトルが「昭和の男はヤワじゃない」・・緊張感のなさを反省しております。
自分には高血圧、高血糖(糖尿病の一歩手前)、不整脈などの基礎疾患がある。
不整脈については(確か「左脚ブロック」だったか)特に手当もしていません。
これらのことを、もう一度先生とよく話してみようと思っています。

写真は本日昼下りの家猫たち(ちび太、リン、ポニー、チキン)

話は先々週に遡ります。
6月以降は汗をかくほどの仕事や運動を控え、その他は普通の生活を送っていました。
その後8月に利尿剤を減らし、それでも体調がいいので先々週に利尿剤中止。
しかしその時の採血検査結果で心不全の再発が翌日にわかった。
病院から連絡が来たのに、自分はその電話を見逃してしまったのでした。

先週初めに、息を吐く度にまたヒューヒューと肺が漏れたような音がし始めた。
そして息苦しさも感じ始めた。
その時は自分の判断で余っていた喘息の薬を服用。
その頃から妙に首回りと肩が痛くなり、何か寝違えたのかと思った。
一方店では久々の運動を余儀なくされる事態が。
ゆっくりではあるが、モドキの捜索で30分ほど歩いた。
夕方になるとココレオの収納で歩き回る時間がさらに増える。
その度に、動悸が激しくなっていった。

キー

水曜日に呼吸困難がさらに悪化、しかも首回り肩痛までが悪化。
けだるさと顔の火照りで夕刻には動けなくなったが、ひとり残って何とかココレオを中に入れた。
21時帰宅。もう動けなかった。
6月時同様例によって横になると息ができなくなり、眠ることもできなくなった。
足首が多少むくみ始め、体重が4日で5kgも増えていた。

横になって寝ることができないので、一晩中いろいろ調べました。
そして「放散痛」という言葉に出会った。
本来は心臓の痛みが、神経が同じ場所を通っているために他部位の痛みに感じてしまうこと。
肩凝りの塗り薬が効かないわけだ。
寝違いなどじゃなく、心臓異常の可能性があったのでした。

クウ

翌朝病院に直行。心不全の再発を知った。
先生は「おお、ようやく来たか」とずいぶんのんびりしている。
不整脈の件もあるしどこかで精密検査を受けたいと申し出たが、とりあえず・・、
利尿剤を再開するだけ。
ネットで調べた肩痛=狭心症や心筋梗塞の可能性も、「いや、これで治るよ。」
その日から利尿剤の初期量服用を再開した。
が、その夜も呼吸困難は続き、横になれず寝ることができず、首回り肩痛も引かず顔の火照りもひどくなって氷嚢を使うほどになった。
30分おきにはトイレに行った。
しかし明け方には、いつの間にかベットで横になって眠っていたのでした。

ニャー

たかが利尿剤、されど利尿剤。
利尿剤の効果は格段に大きく、翌朝には首回り肩痛や顔の火照りは治まっていた。
そして多少の息苦しさは残ったが、ベットで横になって眠れるようになった。
その翌日、つまり昨日には息苦しさもほぼなくなった。
体重は3日で8kg減っていた。
ただ階段の上り下りを3度続けたとき息が上がり、首回りが少し痛んだ。
やっぱり関連してるんだな、と思いました。

心不全は身体中(特に肺と足首)に水が溜まる病気です。
今回は息吐く度に肺がヒューヒュー鳴ったとき、喘息などと勝手に判断したのが間違いだった。
だが直接的には利尿剤を減らしたことが、再発の原因だと先生は思ったようだ。
心不全は再発を繰り返し、その度に悪化してステージが悪くなる病気です。
だから再発させないことが重要な対処法なのです。
一方利尿剤には、特に高血圧の自分には副作用もある。
なので投与のバランスが重要なのです。

ケン

今回は本当にいろいろ勉強しました。何より大事なことは、心不全の予後が悪いこと。
自分は平均寿命まで生きられない可能性が高くなった。
余生に何か期待があるわけじゃないけど、自分には長生きしたい理由がある。
今、お世話している猫たちを幸せにする責任です。
彼らの幸せな終生を、見るか確信するまでは死んでも死に切れません。
なので、これからは節制に努めようと決意した次第です。
今回も多大な迷惑をかけてしまった他ならぬ伴侶のためにも。
(妻は本日自分に代わって出勤中。)

シロキ

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