~本記事は全5話からなるシリーズです~
その3 ノラへの道(後編) より続く;
その日は1日だるかった。頭がボーッとして、身体が火照っているような感じだった。仕事が山のように溜まっていたが、どうにも手がつかずお茶濁しのようなことばかりしていた。自分は風邪をひいたことが殆どないので気付かなかったが、実は相当な熱だとわかったのは翌日のことでした。
ノラと家猫の違いって何だろう。同じことを何度も何度も問い返し、「不条理を生きる」の中ではその答えを"運命"だとした。「ノラが家猫になるとき」では、ノラの中に家猫同様の愛くるしさを見出した。同じ猫なのにまったく平等じゃない。それは彼らが人間社会の中で生きているからだ。とにかく人間社会には、格差や不平等が多すぎる。自分も含めて、人間の心には不条理が多すぎる。
クウがわが家を出ても、人間社会の中で生きようとする限りこの不条理からは逃れられない。灰白くんや白黄くんを避けてわが家から離れれば、食にありつける可能性はもっと低くなるだろう。クウはまだ子供。ノラとして放たれた経験もない。心配は尽きないが、行方不明となった以上は助ける手立てもない。それでもクウは、この至らない保護者を恨むことすら知らないんだろうなあ。 などと嘆息しながら、やたらにスリスリしてくるテンちゃんを余計に愛おしく思うのでした。
しかしそのとき、自分は大切なことを忘れていたのです。というより、その何かを本当に理解していなかった。自分がどんなに心配しても、結局クウは思い通りにはならない。いや、思い通りになんてもってのほか、というのが妻の考え方。それは妻が育った環境を思えば納得できる。妻の実家は筑摩山地の西側中腹にある農家で、眼下に松本盆地、その向こうには北アルプスの壁を一望にし、晴れた日には槍や穂高から乗鞍の頂まで全てが見える。天と地が融合し、雲の切れ間から何本もの光柱が盆地に注ぐ光景は、最近テレビで見るどんな景観よりも雄大で、優美で荘厳なものだ。こんなところで育った人間はいったい・・。東京育ちの自分には到底理解できないことでした。
人間と違って動物たちは自然の申し子。だから自然の匂いを多く残した人間ほど、動物たちにとっては身近な存在なのかもしれない。その日、自分が店でボーッとしていた頃、妻は午前中爆睡してしっかり休んだ。しかし小さい頃に畑仕事を手伝った娘は、トシをとっても体力根性まるで違う。昼には回復し、家の掃除やらなにやらに追われたらしい。午後になってふとリビング前の置き餌を見ると減っていて、しかも残りが日に当たっていた。目を覚ましたときに白黄くんを見かけたので、食べた主はわかっていた。
新しいのに変えなければ、そう思いつつ、思い出したようにドア開け作戦を試みたのです。キーとリンを1階の和室、ニャーとみうとちび太を2階の部屋にそれぞれ待機させ、リビングの網戸を少し開けた。1時間ほどビデオを観て、やはりクウの気配はどこにもない。諦めて今度は庭の草むしりを始めた。狭い庭だが伸び放題の雑草、前から気になっていた。30分ほどむしっていると、何か視線を感じた。しかし振り返っても誰もいない。顔から垂れる汗がうっとおしくなって、もうそろそろ切り上げようかと手を止めたそのとき、また何かの気配と視線を感じて振り返ると、2mほどの至近距離にクウがちょこんと座ってこっちを見ていた。
「クウ、あんた、いたのォ。」 思わず声をかけた。身体の細いクウはさらに痩せていたが、穏やかな目をしていた。クウは妻の顔を見ながら置き餌の方にそろそろと向い、食べ始めた。置き餌は古いままだった。「あら、ちょっと待ってなさい。」 妻はためらいもなく家に戻り、クウの好きな缶詰をドンブリに入れて、再び外に出て待っていたクウの目の前に置いた。そしてクウが食べ始めたとき、妻は一計を案じたのです。
クウの食べ始めたドンブリを取り上げ、開いていた網戸の隙間からリビングの中に置いたのでした。そして自分も中に入ってリビングで待機した。クウは思案していたが、妻がまたビデオ1本観終わる頃には姿を消していた。妻はでも、クウは間違いなくまた来ると思ったらしい。案の定、夕食の準備を始めてしばらくした頃、リビングに目をやるとクウがドンブリ飯の最中だった。そっと近寄り、網戸を閉めようとしたがちょっと遠い。窓の直ぐ内側で食べているクウは警戒心も全開だろう。窓を閉めるには開き過ぎているし、網戸を閉めるにはさらにクウに近寄らなければならない。どちらも、うまくいくとは思えなかった。
そこで妻は食事中のクウからそっと離れ、勝手口から外に出てリビングに回ると、網戸の隙間からクウの尻尾が外に出ていた。そーっと網戸に近づいて隙間を閉めた。クウの尻尾が、中へと消えた。
やっぱりキーとクウは大の仲良し
クウは暴れこそしなかったけど、不安げに鳴きながら家の中をうろついていた。しかし妻が和室を開け、中からキーが飛び出してきて兄弟が再会すると、クウの表情は一変した。横倒しにされて、ベロベロに舐められるクウ。そのクウの喉元が、キーと同じように爆竹のごとく鳴ってキーとの二重奏になっていた。初めて聞くクウのゴロゴロだった。そのうちキーの荒っぽいお出迎えに、ニャー、みう、ちび太も加わってクンクン始めた。リンだけは、キーのとき同様ちょっとそっけなかった・・・。
閉店近くになって、自分はその一報を受けました。天地がひっくり返るほどの驚きだった。とりあえず同じSC内でワインとケーキを買って、祝杯に備えました。自分が忘れていたこと、それは妻とクウの間にある絆です。1ヶ月前の脱走の際にも無事帰還を果したあの絆でした。おそらく本人たちも気付いてないほど自然で、控えめで、対等で、自己主張のない絆。一切の見返りを求める事なくあるのは献身だけ。でも信じ合うということは、何よりも強いことなのだ。
この光景が戻ってきました
その夜は、人間と猫が一緒になって祝杯をあげました。妻の話を聞きながら、自分にはできないと何度も思った。自分もテツとは相互理解者だったと自負していたし、最近はニャーとも気心が知れてきた。そして彼らが何かを望めば自分のことを後回しにしてでも、献身的にその期待に応えてきたつもりだった。でも妻の話を聞いていて思うのは、そもそもが違うのです。そもそも、猫が人間に何かを望むなんて状況があってはいけないのだと。
自分はクウの帰還が心底嬉しかったし、安堵もした。でも、自分の大喜びとは裏腹に妻は素っ気なかった。クウはクウだ。もともと自分の所有物でもなければ従属物でもない。そう言っているように思えたのでした。
その後のクウはリビングメンバーの中心に?
(左みう、中キー、右上クウ)
その5「エピローグ みんなが幸せに」へと続きます。
シリーズ「ノラと家猫と」
その1 灰白くん、白黄くんと地域問題(前編) 2018.6.13
その1 灰白くん、白黄くんと地域問題(後編) 2018.6.15
その2 事件勃発・高齢保護者の限界 2018.6.17
その3 ノラへの道(前編) 2018.6.20
その3 ノラへの道(後編) 2018.6.20
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