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今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

忘れない七夕 ~みうのこと~

2020年07月06日 | (故)みう(おかあさん)
早いもので明日はもう七夕ですね。
特に七夕に思い入れがあるわけじゃないけど、忘れもしない昨年のあの出来事。
みうが突然の変調をきたした日です。
その日の晩、自分は「後悔先に立たず」という記事を書きました。
何故そんタイトルになったのか。

倒れる1日前、つまり昨年の今日のみう
少し前から、リビング中心の生活からオジン部屋に居場所が変わった

みうにはもともと気になる病気があった。
目の縁が赤く腫れたり、血の目やにがでたりひどい涙目になったり。
耳の縁にかさぶたができてボロボロ落ちたり、耳に水虫のような膨れができたり。
調子がよくなったり悪くなったりを繰り返していた。
保護したときから近くの先生に診てもらって投薬を繰り返したけど治らず。
別の先生に難聴の診断を受けたときも、「アレルギーですね」くらいの話だった。

同日、同じ2階にあるかつての"みうの部屋"にて
当時はあおり止めで入口の幅を調整して大柄なニャーが入れないようにした
ニャーを締め出してリラックスできた当時を思い出していたのだろうか

みうが倒れる直前の記事タイトル「みうよ、今は幸せかい?」が示すように、
本当に何度も書きますが、みうは自分にとって特別思い入れのある子でした。
家裏ノラ時代にはテツと、テツを介護する自分を毎日のように励ましてくれた。
奥ゆかしくて控えめで、それでいていつも前向きだった。
苦労猫のみうがわが家のリビングで少しづつ居場所を築いていく。
そんな姿を見守るのが何より楽しかった。

そのときの左目は特に調子が悪そうだった
今にして思えば、陰で重大な病気が進行していたのに違いない

みうが突然倒れ、明らかに異常な動きをしていた昨年七夕の朝
思い出したのはハナが脳梗塞で倒れた6年前。
急いで同じ病院に駆け付けた。
診断の結果は前庭疾患。大量の耳ダニが原因だった。
ああ、もっと早くこの先生に診てもらっていたら。
その悔恨の念が、「後悔先に立たず」というタイトルに繋がったのでした。

1か月後、8月8日のみう
みんながキッチンで食事中、一緒に食べたくてベッド(奥)から少し出てきた
まだ食欲があってしかも自力で移動したことが、本当に嬉しくて勇気づけられた

みうはそれから1ヶ月の闘病を経て、ついに力尽きる
後悔どころか取り返しのつかない結果を招いてしまったのです。
そのとき以来1年もの間、悔恨と未練が渦巻いていた頭の中。
ようやく最近になって当時を振り返る余裕の隙間ができてきた。
結果的にみうの異変は、"耳ダニに起因する"なんて単純なものではなかった。
みうの追悼記事で約束したみうの病気について、今なら冷静な目で書けそうです。
予告通りの3部作とはいきませんが、近々改めて簡潔に書いてみようと思います。
永遠に薄れることのない、みうの思い出とともに。

しかし、そのときのみうの形相を見てはっとした
哀しげで何か達観したようで、何より生気がなかった
みうはこの翌朝、激しい痙攣を起こして亡くなりました


※現在大変な大雨洪水が九州を襲っています。
 被災されたみなさんやノラたちの無事を心より祈っております。

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あれから半年経ちました

2020年03月05日 | (故)みう(おかあさん)
正確には7ヶ月です。書き始めてから終えるまで1ヶ月もかかってしまった。
もっともそれまで手をつける気もしなかったので、少しは気分的に回復したのかもしれない。みうの思い出、第一弾です。

2016年8月 テツとみう(当時の名はおかあさん)の貴重な写真
※本記事の写真の説明は本文最後尾にあります

これがいわゆるペットロス? 自分の心を支配したのはみうを失った悲しさよりも寂しさよりも、割り切れないもどかしさだった。理不尽な運命に対するもどかしさ。そして後悔。ふがいない自分自身に対する苛立ち。

9月 テツが外に出るとどこからともなく現れてゴロンゴロン
それは9/25テツ亡き後も、自分(オジン)を見るとしばらく続いた

「もしも人間だったなら」をはじめ、みうのどの記事にも自分の思いが溢れている。気立てがよくて奥ゆかしくて、運命に逆らわずいつも前向きで、周囲を刺激することも怒ることもない。みうがいるだけで心を洗われ、癒され、明日への糧になったのでした。

10月 最後の家猫テツがいなくなって窓を開放することも
すると、みうが家に出入りするようになった

不安もたくさんあっただろう。やりたいこともあっただろう。みうはそんな不安をおくびにも出さず、明るくしたたかに生きる強さがあった。何よりも幸せになるべき存在だとの自分の思いが、みうの記事には浸み渡っている。

10月 いつも外から見ていたキッチンをはじめ2階の隅々まで点検するみう
(テツを捜していたのだろうか)

個々の命にこれだけ入魂してたら保護活動なんてできないよ、と言うかもしれない。追悼文で予告したように、病気の経緯を徹底的に検証した方が後学のためになる?  いろいろあるだろうけど、今はまだ、みうの思い出に浸りたい気分です。

たかがネコに、と思うなかれ。みうはテツとともに、自分がノラたちと積極的に関わり始める強い動機になった猫なんです。

10月末 どうやらテツのいなくなったことに気づいた傷心のみう
(11月後半になるとソトチビがまたやって来てランデブーが始まった)

ニャーに次いで記事数の多いみう。保存した写真数は一番多い。その一連の写真を見直すと、いろいろなことが蘇ってくるのです。本記事の写真はこのブログを始めた頃、テツが旅立ってからニャーを迎えるまでの40日間のみうです。既に家に出入りしていたみう、わが家ではニャーより先輩だったんだ。

11月6日 3日前にやって来たニャーの様子を伺いながら通り過ぎるみう
(この数日後に脱走したニャーがみうを追い回し、2匹の関係が始まった)

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みう追悼 「君のいた時代」

2019年08月16日 | (故)みう(おかあさん)
みう、わが家は今日も相変わらずだよ
みんな暑くてダラダラしてるし
チビたちはドタバタドタバタ疲れを知らない
お前が闘病中に使っていたトイレもそのままだ
ひとつだけ変わったこと
もうこの家には、お前がいない

帰宅すれば真っ先に確認したお前の姿
お前はいつも見えるところにいた
お前の幸せそうな様子を見ることを励みに
これまでやって来たからね

お前との別れがあまりにも突然だったから
いまだに茫然としたままなのに
日が経つにつれてショックが大きくなってくる
これじゃあいつになっても、心の整理がつきそうにない

少し時間はかかっていたけど、お前は回復するはずだった
手足が不自由で移動がうまくできなくても
ひどいめまいで床は波打ち家は回転していても
お前はひたすら耐え、そして頑張った
また以前のように
オジンやみんなと暮らせる日々が来ると信じて
 
眼振再々発したみう、頑張っても頑張ってもぶり返した
 
みう、お前の過去記事を読み返してみたよ
どの記事にも、お前を幸せにする自分の決意が滲み出ていた
お前が倒れる直前の記事も、そんなタイトルだったね
 
自由奔放で足りないものがなかった家裏時代
ソトチビとの蜜月
でもこの家に興味を持って、オジンを信頼して
お前はこの家の子になった
そしてニャーからの隠遁生活、ベッド下の住人
いろいろな苦難を自らの力で乗り越えて
リビングの華、そして主になった

お前が一度だけ家から出ちゃったとき
心配するオジンのもとに自ら帰って来た
嬉しかったなあ
お前もこの家を終の棲家と決めたんだよな
これからいろいろエンジョイするぞ
まさにそんなとき、お前は倒れた

お前の気立てのよさは特筆もんだ
人間でも猫でも、もう2度と出会うことはないだろう
難聴のせいか首を傾げて見つめるお前の姿は
とてもチャーミングだったよ
でもお前は人並み以上の
とてつもない頑張り屋さんだったんだね
 
みう、この家に来てくれてありがとう
たくさんの楽しかった思い出と
このオジンをやる気にさせてくれて
本当に本当にありがとう
命は尽きても、お前は不滅だ
このオジンがこの世にいる限り
 
 
 
 
◆◆追悼文に直接関連した過去記事◆◆
「何がみうに起こったのか ~中枢性前庭疾患について~」
「みうよ、今は幸せかい?」
「大難は小難に、小難は大難に??・・みうの巻」(「ノラと家猫と」カテゴリー)

◆◆思い出の写真集(みうのいた4年間)◆◆
☆家裏時代
(左)車の上からおはようの挨拶が日課 (右)リビングの前が昼間の居場所に(テツがいた頃)
(左)すっかり家裏生活が板についた頃     (右)遊び場はわが家の庭と周辺
(左)脱走ニャーに襲われてショック   (右)運動神経は抜群「気持ちいいんだニャン」
(左)徐々に馴れてきた頃    (右)ご飯も落ち着いて食べるようになりました
(左)寝床1号が小さくなってトイレで寝たことも (右)オジンを見ると条件反射でゴロンゴロン
 
(左、右)保護前日 : 家裏生活の最終日
 
☆ソトチビとのツーショット
 
(左)はじめまして、ソトチビについてやって来た   (右)2度の冬をソトチビと過ごした
(左)ご飯を譲るやさしさから旧名は「おかあさん」 (右)とっても絵になる平和な2匹でした
 
☆家猫に(正式保護)
(左)保護部屋での初日、生活用具一式も        (右)あっ、外にソトチビが
 
☆ニャーからの隠遁生活
(左)ニャーが入れないようあおり止めで固定したドア      (右)怖くて下りれない 
(左)ついにベット下の住人(猫)になった頃        (右)ニャーの睨みに堪える
 
☆改善するニャーとの関係
 
(左)関係好転のきっかけはイエチビ(右上)だった      (右)まだニャーが睨んでる
 
(左、右)かつてニャーが怖かったことがウソみたいに

☆多頭化時代・目立たない存在
 
(左、右)いつも誰かの後ろや物陰にいた頃
 
(左)女組の主導権はリンだった     (右)ピアノ上の定位置もリンに取られた
 
☆リラックス
(左)快心のリラックスポーズ     (右)童心に帰ってじゃれる
(左)初めてオジンの足にくっついたとき        (右)久々のひとり運動会
 
☆「リビングの主」
 
(左)平和な昼寝タイム(みうは一番奥)     (右)首かしげポーズがかわいい
 
(左)外猫が挨拶に来た         (右)おコタにかくれんぼのちび太と
 
(左)リンとみうは紅2点        (右)リビング入室も堂々と
 
(左)キャットタワーにて       (右)テレビの鳥が大きすぎる
 
(左)ピアノの上で          (右)並んで昼寝(窓側がみうの定位置に)
 
(左、右)誰もが畏れるテンちゃんとは一緒にいることが多かった
 
(左)ちび太とキーと       (右)リンとコタツを独占(女子連合)
 
(左)姿勢のよさも特筆もんです       (右)2階の出窓で日光浴
 
☆オジン部屋に根城を変更(発病1ヶ月前)
 
(左)オジンのパソコンラックの下が定位置       (右)昼間はベットを独占も
 
☆発病 : 最後の闘病34日間
 
(左)倒れた翌日は何とか歩けた        (右)2週間後に眼振の再発
 
(左)4週間後に眼振再々発 (右)5週目にはほぼ歩行困難に(それでもトイレから自力帰還)
 
 
◆◆予告編(期日未定)◆◆
みうの闘病記録・その1 「発病以前の3年10ヶ月」(前兆の有無を探る)
みうの闘病記録・その2 「七夕の発病から眼振再発までの2週間」
みうの闘病記録・その3 「その後の3週間と突然の別れ」
 
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何がみうに起こったのか ~中枢性前庭疾患について~

2019年08月11日 | (故)みう(おかあさん)
昨日の午後、みうの葬儀を終えました。今でもみうを失ったことは信じ難く、諦めきれない気持ちだけど、新たに学んだこともあるし気持ちの整理の意味もあるので、いろいろ書いておこうと思います。(長文です)


生前のみう(下はリン)

大切なものを亡くせば悲しいのも淋しいのも当然。でも今の自分を支配しているのは悔恨、悔しいの一語に尽きます。何がって、自分自身の力のなさと非情な運命です。みうを語るならそのカテゴリーの全記事に溢れているように、一にも二にも気立てのよさだ。物静かで穏やかで控えめで奥ゆかしくて他人を優先する。それでいて茶目っ気があっていつも前向き。人間でも猫でも、こんな性格の持ち主に出会うのは初めてだった。(特に「女らしさはみうの華」「もしも人間だったなら」「リビングの華」など参照。) 「女らしさはみうの華」でも書いたように、みうは人間だの猫だのという次元を超えて、最後には幸せにならなければいけない存在だと思っていました。そうでなきゃ、世の中道理が通らない。

しかも、みうはニャーと並んで当ブログの現役最古参だった(3年10ヶ月のお付き合い)。そして自分の腹心だったテツの忘れ形見。テツのカテゴリーでも先日みうの応援を誓ったばかりだ。だからみうには目を掛けていました。別に贔屓するわけじゃなくて、いつも順番が最後で時として諦めてしまうみうが割を食わないように気を配る。難聴のみうにもみんなと同じように家猫生活をエンジョイしてもらいたい、それだけでした。

みうの出棺準備①:トイレ砂2種類、カリカリ、レトルトをまず入れて

そんなみうの人生(猫生)をこんな形で終わらせてしまった。しかも6歳前後(推定)という若さで。悔いが残るのは当然なんです。葬儀の後、一体みうに何が起こったのか調べまくりました。先日書いた「みう、頑張ってます」では、前庭疾患が末梢性であることに疑問を投じながらも信じようとしていた。しかしこういう結末になった以上、(2週間ほどで回復するはずの)末梢性ではなかったことが明白だ。みうの病魔はやはり中枢性前庭疾患だった? しかしこの中枢性についてはどう調べてもよくわからない。稀な病気らしく記述も少ないし学術用語が多いのです。そこで病院の先生に、今回の報告とお礼を兼ねて電話しました。自分としては自分に誤判断や落ち度がなかったか、それだけは確認したかった。

先生は診療中だったが夜遅くなって折り返して頂き、30分近く話をしました。まずその後の経過について説明すると、先生も「やはり中枢性だったね」と。ただみうの場合は耳ダニが相当ひどく炎症を起こしていたため、「まずは内耳炎に起因する(末梢性)前庭障害を疑うのが筋だろう」と。ちなみに、以前に「鼓膜の破損」と言ったのは先生の推測だったが、まず間違いないと。2週間経って眼振が再発したとき、再発ではなく中枢性なのではと思ったそうだ。さらに先生は、その時の確認事項としていくつかの話をしてくれた。


みうの出棺準備②:思い切りお花で飾りました

眼振について、自分の調べでは「水平眼振=末梢性」だったが実際にはそうではないという。垂直眼振や回転眼振は中枢性を示すが水平眼振は末梢性、中枢性の両方の可能性があるのだという。しかし末梢性の場合は頭位(頭の角度)によらない水平性を示すのでわかる。みうの場合、自分はそこまでは確認しなかった。

決定的だったのは先生のその後の話だ。中枢性前庭疾患、つまり脳をやられた場合の特徴としては姿勢反応(反射)の喪失とナックリング異常がある。姿勢反応喪失のうち立ち直り反応(跳び直り反応)の喪失とは、身体を持ち上げて再び接地させるときに手足がなよなよしてうまく使えず、あらぬ状態になって普通の姿勢をとれないことを言う。ナックリング異常とは、同様に接地させるときに手首が内側に折れて肉球が上向きになってしまうこと。実はこれこそまさにみうの最初からの症状そのもの、単なるふらつきに見えなかった自分の不安の根源でした。

おそらく、確信ではないが先生はわかっていたのです。でも自分が(末梢性前庭の)再発だと信じて疑わないので、その可能性無きにしも非ずと強くは言わなかったのでしょう。そうなのでした。この先生は保護者の希望を絶つようなことを言えないのです。そのせいでかつてハナやくもの入院を一縷の望みで続行させ、結果的に看取れず病院で淋しく逝かせてしまった。もちろんこの優しい先生に感謝こそすれ恨むなんてできません・・。 先生との電話の後でネットの記事を調べ直してみると、数は少なく断片的ではあるけど確かに同じことが書かれている。自分がきちんと理解していれば、みうは最初から中枢性前庭疾患だとわかるはずだったのです。ちなみに先生に伺った話のおさらいとして役に立ったサイトを、本記事の下に紹介しておきます。

(葬儀場にて)最後のお別れのひととき

先生との話はまだ続きます。
次に先生から聞いたのは"予後不良"という言葉だった。「中枢性の場合はだいたいが予後不良だからね。」 この言葉はネットで調べているときも時折見かけたが、予測不明のときの逃げ口上みたいであまり気にしていなかった。だが先生に聞いて驚いた。要は治る見込みがなく殆どの場合は死に至る、の意味。つまりみうの場合は初めて倒れたあの七夕の日から、既に助かる見込みはなかった・・・?  しかしまあ、それを知ったところで何かが変わったわけじゃない。いずれにしても自分は出来る限りのことをしたのだから。

でも、本当に治る見込みはなかったのだろうか。それを知るには、今となっては難しいだろうけど原因を突き止めなければならない。耳ダニに起因する内耳炎から前庭障害を起こし、それが脳性(中枢性)のものに進化したという自分の推測は、先生はやんわりと否定した。同時に発症したが原因は別だろうと。みうの場合はまだ若いので脳腫瘍や脳梗塞の可能性は低く、むしろ感染症が原因なのかもしれない。そしてクリプトコッカス(真菌)、トキソプラズマ(原虫)、FIP(伝染性腹膜炎・ウィルス)などの名前を挙げた。多頭飼いのストレスや抵抗力が弱っているときに発症し易い病気だが、みうの場合はいずれも症状的に当てはまらなかった。

先生が言うには、大変な経費と時間と(麻酔などの)リスクをかけて検査して、運よくその原因を突き止めたとしても、完治するのは難しい。強烈な抗真菌剤や抗生物質やサルファ剤を1年以上投与しても効果の判別すらつかないばかりか、むしろ副作用で二次的な問題を生じることが多いそうだ。つまり、だから「予後不良」なのだ。

オジンのメッセージも添えました

電話を終えて、やはりこれはみうの運命だったと思わざるを得なかった。こんなに気立てが良くて健気に生きてきた子に対して、運命は何と非情なことか。その短い人生(猫生)の中で自分と出会えたことが、みうにとってせめてもの幸せだったことを願うばかりです。

みう、こんなに早くお別れが来るなんて思いもしなかったけど
お前は本当によく頑張ったよ
今度はそっちでまた会おう

REST IN PEACE
美 宇

わが家の守り神になったみう(美宇) (右は先日亡くなったテンちゃん)


※タイトルの通り、役に立ったサイトです。
「役に立つ動物の病気の情報」  (「神経の疾患」→「脳の疾患」→「斜頸」の項目)
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みう、力尽きる

2019年08月09日 | (故)みう(おかあさん)
闘病34日目、それはあまりにも突然でつかの間の出来事でした。
今朝6時直前に妻に起こされた。「みうの様子がおかしい」と。飛び起きて階下のリビングに行くと、みうがいつもの場所に横たわっていた。左の後足で耳を掻いている。その足の動きがやけに規則的で力強く、目は逆に空ろだった。ちがう、これは痙攣だ。そう思ってみうを自分の膝の上に乗せた。そのとき、痙攣してたのは両足だったことがわかった。時計は6時ちょうどを指していた。

みうの上半身は落ち着いていたが、手や頭を動かすこともなく目は宙を向いたまま。みうの手足を揉んだり身体をさすりながら妻に状況を確認。妻が5時前に起きてリビングに来たとき、みうは布団から出てお膳の下にいた。不自然な体勢だったので名前を呼ぶと、はっきりと妻の方を見た。そして消え入りそうな声でミュウミュウと鳴いたらしい。そっと抱き上げて布団の上に戻すと落ちついたようだった。しかし6時近くにになって、みうの妙な動きに気付いたという。実のところはわからないが、みうが夜中に痙攣を起こして布団から転げ出た可能性もあると思った。

みうをさすっていると足の痙攣が治まった。少し安堵してそのままさすっていると、背中がひくひくと振動しているのに気付いた。背骨から腰骨のあたりが波打っている。それも痙攣のように思えたが、少し経つと消えた。そしてまた足の痙攣。とにかく抑えてさすって、みうに声をかけて元気つけた。しかし、みうの意識はもう定かではなかったようだ。

膝の上のみうは、朦朧としながらも頑張ろうとしているように見えたのだが・・

昨夜自分が寝たのは2時過ぎだ。みうは自分が抱くと喉を鳴らして喜ぶので、とにかく元気付けようと毎晩遅くまで付き合っていた。1時頃みうをトイレに連れて行くと、4日ぶりにウンチをしたので安堵した。トイレから自分の布団までは自力で戻る。3度目の眼振は治まったけど頭の横揺れがひどく、歩けば1、2歩で横転する。それでもみうは這うよりも高足で歩こうとして、何度も何度も転びながら自分の定位置に戻る。厳しいようだが、寝たきりで細り行くみうの手足を見れば、リハビリが必要なことは明らかだった。ただそのときは、自分の布団に戻らずこのオジンの方に来た。日頃物静かで遠慮深いみうが目で何かを訴えている。もっと一緒にいたいんだな、そう思った。

結局、そのときは小一時間ほどみうと一緒にいました。ニャーとちび太が早く2階で寝ようよと誘ってきたけど待ってもらった。寝る前にみうに飲み水代わりのチュールをあげた。みうの食欲は普段以上まで復活していて、そのチュールもあっという間に舐め終えた。結果的にそれが、みうと心を交わした最後となりました。

倒れる前日のみう :  当時はオジン部屋を根城にしていた

自分の膝の上でみうは静かだった。いや、静か過ぎる。手足を動かしてみると脱力状態で反応がない。目は一点を見たまま。 「まさか・・!」  そう思ってお腹をよく見たが息をしていない。心臓の鼓動もない。妻にライトを持ってきてもらって目に当ててみたが反応がない。みうは、既に臨終していたのでした。時計は6時5分を指していました。

自分にはそれが信じられず、みうをしばらく抱いていた。みうは動かないが固くなってもこない。どのくらい抱いていただろうか、やがてみうの身体を定位置の布団に移し、いつものように猫たちの朝ご飯の支度を、妻はトイレ掃除を始めた。みうの身体は1時間経っても硬直がなく、まだ命があるのではないかと、冷やそうとした妻を遮ったほどだった。しかし2時間近く経つと硬直してきたので、ようやく弔いの準備を始めました。そのときのみうは大量の失禁をしていた。オジンの膝の上ではなく布団の上で。


布団に移してもまだ寝ているように見えたみう

今日は店に用事があって午後から出社。正直なところまだ心の整理がついてないです。実は次の記事のタイトルは「どんなことがあろうとも。」 みうの闘病経過について書き始めていました。少しづつではあるけど病状が改善し、何より諦めずに頑張るみうの姿を見て、希望に満ちた明るい記事になる予定だった。そのために沢山の写真を撮ってあります。それが遺影になるなんて夢にも思わずに。


硬直が始まるまで諦め切れなかった

落ち着いたところでみうの闘病記録と追悼の記事を書きます。でもまずはしっかりとみうを見送ろう。みうの身体は、明日荼毘に付されます。

みうは今、リビングの定位置で眠っています(手前はニャー)

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