ワタシは深い雪の中にうまれた。1934年2月24日。陸の孤島と呼ばれる新潟県松之山赤倉。ワタシは村山家の6人兄弟姉妹の二番目の赤ん坊、ミチ、と名づけられた母の深い深いおなかの中に卵として息している。
松之山は世界で一番積雪量の多いところ。屋根まで雪で覆われる積雪3メートルを越す深い深い雪のなかで、やっとこ歩いてきたとりあげ婆さんの手で、ミチは取り上げられた。
祖母の名前はジョン。腰が曲がって背が低く、いつもしわしわの顔の小さい眼でニコニコ笑っていた。わたしが子供のころ、祖母がわたしの家に布団の打ち直しに手伝いに来て、布団皮を一緒に縫い合わせながら、母が「ミコったら、…」とはなしては、母娘でとてもおかしそうにわらっていた顔を思い出す。
祖母ジョンが、胃がんでなくなったのは63歳。わたしは10才だったが、おばあさんはとてもとしよりなんだとおもっていた。新潟市の道場山の自宅で、息を引き取った。布団の周りを囲んでいた娘たちがいっせいに大声で泣いた。わたしは母やおばたちが泣くのをうしろからみていた。
わたしのおさないころの母の昔語りで、ジョンの姉にあたる人が、結婚したのだけど何かうまくいかなくて、東京で汽車に飛び込んでなくなったんだって、孫親が「カワイソウナコトヲシタ」といつもいってたっけと話してくれた。
わたしは、花を胸に抱えて線路脇に立つ女の人のすがたが見えるような気がした。(わたしが20代のころ7年間付き合っていた男は、わたしがこの話をすると、わたしの眼を見つめて、「知っていたよ。」といった)
孫親(曾祖母)の名前はナカ。松之山水梨の出だ。母の語り口では、優しく愛情深い人だったように思われた。母ミチはきっとこの孫親に抱かれ育ったのだろう。一家の初めての女の子としてナカにかわいがられたのだろう。異郷の地で若くして亡くなってしまった姉娘の生まれ変わりと思って大事に育てたのかもしれない。
姉が亡くなったため、妹であったわたしの祖母ジョンが、婿をもらって家を継いだ。
婿の名前は宮澤三郎。松之山の隣村、松代の下山出身。頬骨が高く、背も高かった。母の昔語りでは、おっかなかったんだよ。「何してるんでい!」ておこられてさ。といっていたけれど、わたしには優しく穏やかなひとでニコニコ笑って、わたしを「ミコちゃん」とよんでいた。わたしが教育学部の学生で国語研究で方言の聞き取りをしたとき、キャンパスの近くに住んでいた祖父三郎にインタービューをしたことがあった。新潟市で鳥のから揚げやをやっていたおじ一家の二人の男の子供たちを祖父がおんぶしていたのを覚えている。
わたしの母の昔語りでは、材木を扱っていた宮澤家が、あらしで材木がみんな流されてしまい、おとこきょうだい四人、借金を返せず夜逃げのようにして村を出た、と語っていた。四男の与四郎は新潟市で寿司屋を出して、すし組合の会長を長く務めていた人で、子供ながらに、嵐で材木が流されて、村を去る羽目になったがゆえに、のちに母ミチもおじを頼って新潟市に出ることになったという関連が見えていたようにおもう。
宮澤という名は長野県に多いという。「宮のそばの沢」。諏訪神社があるためだそうだ。長野県には遠いむかしからの冠婚葬祭の儀礼が残っているらしい。
わたしの祖父三郎も祖母ジョンも、長い年月、先祖代々深い雪の中で暮らしてきた山の民の子孫なのだ。
わたしが20代のころには、わたしは山登りや山菜取りがとても好きになっていて、祖父、母、おじ、おばと一緒に松之山の家があった跡地を訪ねていったことがある。歩きはじめると祖父三郎は突然曲がっていた背骨をシャンと伸ばし、スタスタとわたしが追いつけないほどの速さで、細い山道を登っていった。「ここにはなにがあった、あそこには何があった」といつになく饒舌で、別人のようであった。
松之山の本家本元の村山家は700年続いた名家で、坂口安吾も村山家に嫁いだおばを訪ねてよく遊びに来ていたという。長い年月の間、村中のたくさんの家が村山姓だった。この雪深い山奥の土地では人の流入は少なかったであろう。血はほかの民族と混じることなく濃いまま残り、むかしのままの骨格、骨相が受け継がれているのかもしれない。まるで現在のユーラシア大陸のへそにあるアルタイの住民たちとおなじだ。
最近YouTubeで、遠く中央アジアの雪の山で囲まれたアルタイの原住民のビデオクリップをみたときには、驚いた。人々の顔が、わたしの母の若いころの写真にそっくりだった。頬骨が高く、大きな耳をしている。他民族の襲撃を防ぐため遠くのかすかな音が聞こえるように、長い年月をかけて大きくなった耳たぶなのだろうか。アルタイには、プレヒストリーの40000年前のケーブドローイングがある。ほんとに古い土地なのだ。
祖父三郎も祖母ジョンもたぶんアルタイを通って動物を追って、東へひがしへと旅した人たちの末裔なのだろうか。故郷と同じ雪の山を拝み、天に近いところに住んで祈りの生活を続けるため、故郷と似た同じように雪の山深い地に定住することにしたのではないかと想像する。
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