(ベトナム人のお坊さんティクナットハン)
*4月となり、日本ではいつもの年なら、あたらしい始まりといったところですが、今年は、地震、津波、原発事故で、そんな気分にはなれないでいることでしょう。誰もがみな不安な心でいることでしょう。
わたしもニュースを読んでは日本のことを思う日が続いていますが、先日ふと思い立って、花の種まきをしました。土に触れて、これからもつづいていく命に想いをはせていました。日本では桜が昨年と同じように美しく咲いていることでしょうね。
第八十五話 わたしの責任
「独身の頃、Aikoのアパートで原発の話をしたことがあったよね。覚えていますか?」
アイ子というのは私の子供のころからのニックネームで、旧友からこんなメールをもらって、20年前のことを思い出しました。
そうだったなあ、友達にも原発のこと話しても、伝わらなかったんだな、あのころ。
「危険な話」を夜通し読んで、仕事に行っている場合でない、といきり立っていた日もあったなあ。
六ヶ所村に夜行バスで行って、ヒューマンチェーンをつくったときもあった。日比谷公園で反原発一万人集会に参加したときもあった。
でも、私たちは原発を止められなかった。
あれから私はイギリスに移住して、自分の勉強と娘との暮らしで精一杯になってしまい、市民運動はぷつり。
そしてついに原発事故は起きた。
イギリスで暮らす日々の中で鍛えられたのは、自分の人生に責任を持つという感覚です。普段の会話の中でも、「幸福は自分でもたらす」ということが常識になっているようです。何かを決めるとき、「何々をしましょうか」とひとに聞くといつも「Up To You」と返事がかえってきて、結局は自分で判断しなくてはならないのです。「不幸せは誰かのせいではなく自分しだいなのだ。」という考え方が定着した私が日本のこと、とりわけ、原発事故のことを思うとき、こんなふうになるのです。
日本の電力会社も官僚も、政府も、悪い。
そして選挙に行かない人も、知り合いに頼まれたからといって候補者の政策を読むことなく投票する人も、悪い。
さらには学者も反原発運動家も悪い。
そして私たちすべての大人が悪い。善良な人も、おとなしい人も、寡黙な人も、悪い。
子供たちに対して、大人として、原発を止められなかった責任を果たしていかなければならない。
日本人の、お上がすることだから、知識のある人たちが決めたことだから、間違えはない、という従順な受身的な態度。テレビが言うことだから、新聞に書いてあることだから、とうのみにする態度。20年前、わたしはそれはどうにもならないのだなという気持ちで、あきらめたのかもしれません。いまの私はその責任をしはらうときがきたようです。
ちなみに、イギリスでは電気代もガス代も、水道料も、下水も、みんなみんなべらぼうに高いです。税金も健康保険料もすごく高いです。ここの社会ではその一員であることは大変高くつくのです。
日本の社会のありようだけが、社会ではないこと、それは「伝統」ではなくて、意識の変革が必要なのかもしれない。ときづいてほしい。本当に大切のものは何か、自分の気持ちに聞いてみる、自分の頭で考えるという姿勢に変わっていってほしい。そんな願いを持って話しかけ続けていく、それがこれからの私に出来ることなのかな、と考えています。
「一枚の紙に雲を見る」とティクナットハンが書いているように、もし想像の目を働かせたら、私たちにも見えてくるでしょう。私たちが使う電気を作る原発のために被爆した、ウランを採掘している人たちの姿。電力会社の下請けの労働者の姿。私たちのまだ見ぬ孫、ひ孫たちの顔が。
( 間美栄子 2011年 4月1日 http://blog.goo.ne.jp/nefnefnef)
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