アートセラピストのイギリス便り

アートセラピスト間美栄子のシュタイナー的イギリス生活のあれこれを綴った友人知人宛のメール通信です。

第119話  塩の道

2012-11-22 23:01:05 | バイオグラフィー

 

                        ハルシュタット、オーストリア

 

* 皆さんごぶさたしました。お久しぶりです。

イギリスでは21歳と50歳の誕生日を盛大に祝う慣習になっているので、ちょうどそれぞれ、その年齢になるわたしたち親子も、何か特別なことをしようと、この秋、いっしょにミュンヘン、ザルツブルグにでかけました。

ミュンヘンではちょうど雪が降ったばかりで、黄葉の木々にはゆきがかぶさっていて、それは、うつくしいものでした。いつものように二人で口争いをしていると、振動が伝わるのか、木から雪が降ってきて、大笑い。まるで木々が、「うるさーい」といっているようでした。

 

第119話  塩の道

 

 タイミングというのは面白いもので、クリムトの絵を見たいな-と思っていたら、その数日後、日本の友達とスカイプをしていた際に、クリムト生誕150周年の特別展覧会がウイーンで今年いっぱいやっている、ということを教えてもらったのです。特にハルシュタットという、湖のほとりのちいさな町がとてもよかったよ、というので、アドバイスのそのまま、なずなが先にかえってしまった後、わたしはひとりオーストリアの汽車の旅を続けました。

 

ザルツブルグからの汽車を乗り換えて、ハルシュタットに向かうローカル線を行くと、車窓には雪をかぶった山がどんどんあらわれはじめ、湖や、川の流れを眺めていると、遠い記憶から、何かとても似ている風景が浮かんできました。「ああ、これは、大糸線だ。」とわかったとたん、20代のころの山登りの記憶があれこれ思い出されてきました。

新潟県糸魚川から、北アルプスに向かうこのローカル線を幾度となく通ったものですが、「わがままで、疲れると機嫌が悪くなって、いやなやつだったのに、それでも山に連れていってくれた先輩たちは寛大で、ありがたかったなあ」などと懐かしく山を眺めていました。

 

大昔から、糸魚川から海の塩を長野に運んでいったのに対し、こちらはハルシュタットの岩塩をザルツブルグに運んでいったのですが、わたしも糸魚川の地域のお祭りで、歴史的塩の道を塩をかついで運ぶ「ボッカさん」になったことがありました。

当時の「ボッカさん」の衣装を着て、木でできた装具をつけ、30kgの塩を背中に担いで、這いつくばるように2,3時間は山道を歩いたでしょうか。汗がだらだら流れ、死ぬほど疲れたという記憶があります。何でもやってみよう、はいいけれど、無茶をするやつだった、といまさらのように自己認識。

そうか、わたしは山登りが好きだったんだった。イギリスに移住してから、金銭的、時間的、さまざまな制約で、したいこと、欲しいもの、を我慢してきて、忘れるほどにまでになっていたけれど、なんだか、ほんとうの「わたし」が戻ってきつつあるような、そんな感じがします。

 

50歳になって、新たな始まりという期待でこころが満ちています。今までの半世紀の人生の途上で出会った皆さん、本当にお世話になりました。わがままなわたしを許し、受け入れてくださってありがとうございました。そして、これからもどうぞお付き合いをよろしくお願いします。

 

 

(間美栄子 2012年11月22日   http://blog.goo.ne.jp/nefnefnef



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