長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『アネット』

2022-04-21 | 映画レビュー(あ)

 “紳士淑女の皆さま、ただ今より映画を始めます。歌ったり笑ったり、拍手やオナラをしたい時はどうぞ頭の中で願います。頭の中だけですよ。最後までどうぞお静かに。息すらも止めてご覧下さい”。
 『アネット』そんなレオス・カラックス自らのアナウンスと共に始まる。彼の傍らには娘ナスティアの姿がある。本作の原案、作曲を手掛けるスパークスが歌い始めると、程なくしてカメラは通りに繰り出していく。先導するのは最高のアダム・ドライバーと最高のマリオン・コティヤールだ。2人は“bon vayage”と見送られ、さぁ、『ホーリー・モーターズ』以来10年ぶり、レオス・カラックス6本目の長編映画の始まりだ。

 スタンダップコメディアンのヘンリーと、オペラ歌手のアンが恋に落ちる。コメディアンとは名ばかりで人々を不快にさせるアナーキーな芸風のヘンリーと、歌姫アンの組み合わせはまさに美女と野人として世間の耳目を集める。近年、スターウォーズスパイク・リー、ジム・ジャームッシュにリドリー・スコットと自身が間に合わなかった最盛期の映画史を猛烈な勢いで遡上するアダム・ドライバーは、今や10年に1本しか撮らない寡作の作家カラックスの新作でプロデューサーを買って出た。カラックス映画のアイコンであるドニ・ラヴァンがかつて“メルド”役で身にまとった緑衣に身を包み、偉大なラヴァンの身体性を再現しようと試みている。ヘンリーのスタンダップはまったく笑えないのだが、ドライバーがその長身を七転八倒させる独り芝居は大いに見応えがある。

 そしてマリオン・コティヤールもフランス女優としてカラックスとは“間に合わなかった”コラボであり(当初はルーニー・マーラの配役がアナウンスされていた)、見せ場はドライバーに譲っている感はあるものの、カラックスの美しいショットの数々には並の女優では応えられなかっただろう。オスカー女優にして常にオルタナティブであるのが彼女の魅力の1つだ。そんなドライバーとコティヤールが真夜中のハイウェイでタンデムし、メインテーマ“We Love Each Other So Much”を歌う疾走に悶絶してしまった。あぁ、カラックの中には今もなおアレックスとしてのピュアネス、エッジ、繊細さが息づいているのか!

 だが『アネット』はカラックスの初期“アレックス3部作”とは決定的に異なり、99年の『ポーラX』に始まり、『ホーリー・モーターズ』を加えた3部作と括るべきだろう。長編第3作目、『ポンヌフの恋人』が度重なる製作トラブルに見舞われたカラックスは心身ともに消耗。恋人であった主演女優ジュリエット・ビノシュも彼のもとを去ってしまう。どん底の精神状態が反映された6年ぶりの新作『ポーラX』も不発に終わり、ついに彼は映画作家としての筆を折ってしまったかのように見えた。そんな『ポーラX』で出会ったのが主演女優のカテリーナ・ゴルベワである。彼女との間には前述の娘ナスティアが生まれるも、しかしゴルベワは2005年に44歳という若さで他界してしまう。
 白昼夢のように異なる物語が連続する『ホーリー・モーターズ』において、“娘と語らう父親”というシークエンスが映画の本質として輝いたように、『アネット』も遺された父娘の物語である。肥大化するヘンリーのトキシックさは自らのキャリアを失墜させ、ついにはアンを死へと追いやってしまう。終幕、アダム・ドライバーにはカラックスそっくりのメイクが施される。ヘンリーのエゴが断罪され、娘が人形から生きた人間へと変わる『アネット』は母親のいない子供ナスティアに捧げられた映画でもあるのだ。こんなにも苦しみながら、映画と共に生きている男がいるだろうか。

 そして『アネット』はこの上なく美しい、夜闇に仄暗く光る詩である。
“終わりです。だからご挨拶を。おやすみなさい。お気をつけて。見知らぬ人に注意を。映画が気に入ったら友達に勧めて。友達がいなければ見知らぬ人に。おやすみ、皆さん。おやすみ、皆さん。おやすみ、すべての皆さん”。
カラックス達が歌い終え、映画の幕が下りた時、あぁ僕はようやく息をしたのだ。


『アネット』21・仏、他
監督 レオス・カラックス
出演 アダム・ドライバー、マリオン・コティヤール、サイモン・ヘルバーグ

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