長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『追想』

2019-02-16 | 映画レビュー(つ)

2007年に発表されたイアン・マキューアンの小説『初夜』の映画化である本作は然るべき時を経て映像化されたと言っていいだろう。舞台は1962年のイギリス。エドワードとフローレンスは結婚式を終え、ここチェジルビーチのホテルにやって来た。互いへの愛とこれからの将来への不安、そしてついに初夜を迎える高揚と恐怖が2人を包み、時は刻一刻と過ぎていく。そしてついにベッドへ身を横たえた時、とりとめもない言葉のやり取りが破局の引き金を引いてしまうのだった。

エドワードとフローレンスは婚前行為に及ぶこともなく、純潔を誓い合ってきた。想いと性欲が暴発するエドワードも、恐怖で頑ななフローレンスも圧倒的に性知識が不足しており、それがすれ違いを呼ぶ原因となってしまう。厳格な宗教教育と社会通念がそうさせたのであり、彼らの背後には多くの男女が傷つき、時に望まぬセックスをした事か想像に難くない。スウィンギングロンドン、フリーセックス革命前夜とも言える時代設定がより悲壮感を際立たせる。

フローレンスに初夜を強いるエドワードの暴力性、慄く彼女にかける言葉はあまりに心ない。妻が夫の所有物として認識されていた時代だからこそ、エドワードはフローレンスが性的にも受け入れてくれるのは当然の事と認識しているのだ。それは時代が課した“男らしさ”であり、絡め取られたエドワードは取り返しのつかない代償を背負ってしまう。

セックスの恐怖を告白したフローレンスの言葉にはセクシャリティの曖昧さ、混乱も感じ取れる。当時、それを正しく導く道標などあるはずもなく、望まぬセックスを強いられる事はもちろん、自身のセクシャリティすら破壊された人も決して少なくはなかっただろう。描かれない物語が重層的に浮かび上がる筆致こそマキューアンならではの雄弁さである(本作では脚色も兼任している)。

 フローレンス役はシアーシャ・ローナン。美しくも寒々しいチェジルビーチで苦しみを吐き出す名演は旬の女優ならではの充実である。


『追想』18・英
監督 ドミニク・クック
出演 シアーシャ・ローナン、ビリー・ハウル、エミリー・ワトソン
 

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