長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『アメリカン・スナイパー』

2018-10-14 | 映画レビュー(あ)

イーストウッドも老いた。イラク戦争を直接的に扱った本作には10年前にやはり9.11以後のアメリカを捉えていた『ミスティック・リバー』のような筆圧の強さがない。『グラン・トリノ』以後、覚えたこの違和感はしかし本作を見て老成ではなく対象への距離ではと気付かされた。『アメリカン・スナイパー』は距離感が強調された映画だ。主人公カイルと標的の距離、イーストウッドと題材の距離、そしてイラクとアメリカの距離…。

冒頭が強烈だ。イラク初日、カイルは爆弾を持った母子を射殺する。瞬間の苦悶を演じるブラッドリー・クーパーをイーストウッドは見逃さない。映画は過去に遡る。その日暮らしのカイルは無学なホワイトトラッシュだが原理主義的宗教教育、“正義”への信奉が彼に従軍を決意させた。これまで同様、イーストウッドは戦争という暴力行為によってカイルが心に傷を負う様を描くが、しかしそこには自身が演じてきたような詩情(そしてナルシズム)はない。愚鈍で妄信的な愛国者であるカイルにはどうにも魅力がなく、感情移入し難いのだ(実直に演じるブラッドリー・クーパーは結果、3度目のオスカー候補にも関わらず受賞を逃した)。

カイルは実に4度のイラク遠征に参加し、160名以上を射殺したという。現地ゲリラとの死闘がアクション映画として面白いのもイーストウッドならではの職人技だ。シリアの元オリンピック選手である敵スナイパーとの一騎打ちは西部劇のそれである。砂塵吹き荒ぶ中での脱出劇は原作にない脚色だという。取り残された宿敵の死体はカイルの内なる何かにも見えるし、同時に彼の分身とも言えるライフルが置き去りにされたカットにこの主人公の末路が避け難いものであったというイーストウッドの達観も伺える。暴力とその代償、それがこの巨匠のテーマだ。

妻を演じたシエナ・ミラーが印象深い。カイルと同じホワイトトラッシュだが、帰国する毎に彼女は夫以上に何かを悟っているように見える。作品のテーマを代弁する役目を負ったこの役でミラーはようやく女優として正当な評価を受ける事となった。妻とカイルの埋まらない距離感こそがアメリカ国民と帰還兵の心の距離であり、そしてアメリカとイラクという僕らが想像し難い距離なのだ。

 イーストウッドは声高に怒りを込めたりはしない。その筆圧は枯淡の弱さかもしれないが、レンズを通して俯瞰したその絵は大きく、意味する所は深い。彼はこの10年間に国家権力や宗教の名を借り、無知な者を暴力に駆り立てる悪意の気配を感じていたのではないか。無音のエンドロールが見る者に思考せよと静かに、強く訴えかける。


『アメリカン・スナイパー』14・米
監督 クリント・イーストウッド
出演 ブラッドリー・クーパー、シエナ・ミラー
 

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