長内那由多のMovie Note

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『アイダよ、何処へ?』

2021-11-02 | 映画レビュー(あ)

 ボスニア戦争末期に起こった“スレブレニツァの虐殺”を再現するヤスミラ・ジュバニッチ監督作は、奇しくも日本公開と時を同じくしたアメリカ軍のアフガニスタン撤退を思わずにはいられない。2001年のアメリカ同時多発テロ以後、アフガニスタンに進駐したアメリカ軍の犠牲者はベトナム戦争を超えたと言われている。そんなアメリカが経済と政局を理由にアフガニスタンから軍を撤退させたことで、イスラム原理主義勢力タリバンが再び攻勢に転じ、政権を奪取してしまった。日本にいたっては大使館等で働いてきた現地アフガニスタン人スタッフを置き去りにしている。彼らがタリバンに見つかれば外国勢力に与したことで残虐な処罰を受けるのは明らかであり、そんな彼らに対して日本政府は脱出の条件を“家族帯同はなし”としたのだから言葉も見当たらない。

 1995年、スレブレニツァの街にセルビア人勢力が迫る中、2万人にも及ぶ市民が郊外の国連軍基地に殺到する。しかし事態を軽視した国連は支援を留保。孤立無援の国連軍はセルビア人勢力に屈服し、市民を引き渡してしまう。

 ジュバニッチ監督は国連軍からもセルビア人勢力からも数として“処理”された人々に顔を与えていく。ほぼ映画産業が無いに等しいボスニアで作られた本作には多くのエキストラが参加し、カメラは群衆の中を何度も往来する。国連軍の通訳として働く現地スタッフのアイダは脅威が迫る中、なんとかして家族だけでも助けようと文字通り基地内を奔走し、ついには2人いる息子のうちどちらか1人だけでも助けてと懇願する悲惨は正視に耐えない。

 戦後、アイダはスレブレニツァに住み続け、教職に復帰する。父兄の中には虐殺に加担したセルビア人の姿も見える。かつては皆、同じ国に住む隣人同士だった。映画はそんな歴史を知らない子供たちの顔も、“戦争に勝った”セルビア人達の顔も、そして沈黙を強いられるアイダの顔も等しく映していく。その足元には身元すら明らかではない、多くの声なき亡骸が眠っているのだ。あのアフガニスタンの人々は“数”ではない。顔を持った人間であることを忘れてはならない。


『アイダよ、何処へ?』20・ボスニア・ヘルツェゴビナ、オーストリア、他
監督 ヤスミラ・ジュバニッチ
出演 ヤスナ・ジュリッチ、イズディン・バイロビッチ、ボリス・レール、ディノ・ブライロビッチ

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