長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『WANDA ワンダ』

2022-08-29 | 映画レビュー(わ)
 『草原の輝き』などに出演し、23歳年上のエリア・カザンの妻としても知られた女優バーバラ・ローデンは、1980年に48歳の若さでこの世を去る前、1本の監督・主演作を遺していた。それが1970年の初監督作『WANDA ワンダ』だ。この作品は同年のヴェネチア映画祭で最優秀外国語映画賞を獲得するなど大きな反響を得たが、アメリカ国内での評価は黙殺にも等しく、2003年に配給権を取得したイザベル・ユペールによってフランス国内で公開されるまで忘れられた存在だった。その後、2010年にはマーティン・スコセッシのフィルムファウンデーションとGUCCIがプリントの修復作業を行い、ニューヨーク近代美術館にて復刻上映。2017年にはアメリカ国立フィルム登録簿に永久保存登録され、再評価を得る事となる。

 出るべくして現在に発掘された映画である。主人公は寂れた炭鉱町に暮らす女ワンダ。彼女は妻としても母としても馴染めず、夫に三行半を突きつけられ、路頭に迷う。家父長制の社会規範が女性の自由な生き方を妨げてきた事は、2010年代後半のMe tooをはじめとしたアイデンティティポリティクスによってようやく描かれる事となるが、ローデンはそれを50年も先駆けた。彼女演じるワンダはそんなつま弾き者の境遇を殊更憂うワケでもなく、屈託のない表情で「だって上手くいかないんだよね」と漂流する。車などの生活音をストレスフルに配置し、ヒロインの心情を描くローデンの音響演出は巧みだ。

 そんな彼女がひょんな事からMr.デニスという強盗と出会い、逃避行の旅に出る。幹線道路をひた走れば地元は既に遠く、花飾りのヘアバンドとミニスカートによって彼女にもウーマンリブが訪れた。前年の1969年には『イージー・ライダー』が公開されアメリカンニューシネマは花開く事となるが、女性作家による女性の解放を正当に評価するだけの土壌はアメリカ映画界にはまだなかったのだろう。ローデンもまたアウトローになることで社会規範へ立ち向かってみせる。Mr.デニスは言う「君はこれまで何をやってもダメだったんだろう。それでも今日、やるんだ。できる、君ならできる!」。

 だがニューシネマとは反抗者たちの敗北と挫折の映像文学でもあった。クライマックスこそワンダが真に味わう孤独であり、ここに小さな三面記事から本作を着想し、ワンダに自身の姿を見出したローデンの真摯な想いがある。彼女はこんな言葉を遺している。
「私は無価値でした。友達もいない、才能もない。私は影のような存在でした。『WANDA ワンダ』を作るまで、私は自分が誰なのか、自分が何をすべきか、まったくわからなかったのです」。


『WANDA ワンダ』70・米
監督・出演 バーバラ・ローデン
出演 マイケル・ヒギンズ

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『私の20世紀』

2022-08-26 | 映画レビュー(わ)
 イルディコー・エニェディ監督の2017年作『心と体と』はベルリン映画祭で金熊賞を受賞し、米アカデミー賞では外国語映画賞(現国際長編映画賞)にノミネート。監督にとって99年の『Simon,the Magician』以来、18年ぶりの長編作品だった。そして30年ぶりに日本で再公開された伝説的長編デビュー作『私の20世紀』を見ると、この監督が稀代ビジュアリストであり、語るべき物語を持った映像作家であることが良くわかる。

 モノクロームの漆黒を一帯に吊るされた電飾が照らし出す。時は1880年、エジソンによる電球の発明に世界が湧き立ち、宇宙の彼方からは星々が語りかけてくる。これは光が織り成す幻想奇譚であり、それは光と電気によって生まれた映画そのものである。時を同じくしてハンガリーのブタペストで双子の姉妹が生まれる。リリとドーラと名付けられた2人は程なくして孤児となり、生き別れる。そして物語は20世紀を目前とした1900年の大晦日へ。リリはテロを企てる革命運動家、ドーラは華麗な詐欺師となってオリエント急行に居合わせた。エニェディの語り口は自由闊達。セリフではなくヴィジュアルで物語を横断し、時にはチンパンジーが身の上話を繰り広げ、実験犬の主観でカメラが駆け出す。仄かに照らされたモノクロームとハンガリーのクラシカルなロケーションは息を呑む美しさだ。1989年のカンヌ映画祭では新人監督賞にあたるカメラドールに輝いた。

 そして産みの母も含めて1人3役を演じ分けるドロタ・セグダのコケティッシュな美しさに、観客は首ったけになること間違いない。革命に殉じる、しかし気弱で貞淑なリリと、小悪魔的で性的にも奔放なドーラ。紳士Zはこの異なる個性を持った2人と同時に恋に落ちていくのだが、リリもドーラも幸せにはならない。異なるペルソナに見えて2人は1人の女性が持ち得る二面性、一個の人格であり、そこからは抑圧される女性の“生きづらさ”が垣間見えてくる。リリが女性参政権を認める学術発表を聴講し、そこで酷い差別を受ける場面にかなりの時間が割かれているが、彼女の加担する活動はひょっとするとサフラジェット運動かも知れない。エニェディは本作におけるフェミニズムを「楽観的だった」と振り返っている。20世紀は光が照らし、電気が世界の距離を縮めた時代かも知れないが、彼女らがラストショットのように飛翔するまで現実にはさらなる時間を要するのだ。


『私の20世紀』89・ハンガリー、西ドイツ
監督 イルディコー・エニェディ
出演 ドロタ・セグダ、オレーグ・ヤンコンフスキー
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『私ときどきレッサーパンダ』

2022-04-06 | 映画レビュー(わ)

 ここのところベテラン監督と新人監督の作品を交互にリリースしてきたピクサー。クオリティの高い作品を製作し続ける安定性はさすがだが、それでもジョン・ラセターやピート・ドクター、アンドリュー・スタントンにブラッド・バードらスター監督を続々と輩出した往時の勢いには及ばない、というのが正直な感想だ。

 そこに現れたのが本作で長編デビューとなる新人ドミー・リーである。感情が高ぶると巨大レッサーパンダに変身してしまう少女を描いた本作で、リーはピクサーに新風を吹き込んだ。これまでのピクサータッチであった過度に劇画化されたCGキャラクターや、パペットアニメーション風の触感を捨て、絵柄も演出も昔懐かしい日本のギャグ漫画風に刷新(ドミー・リーは高橋留美子の『らんま1/2』の影響を公言している)。そしてドミー・リー以下、主要スタッフは全て女性で固められ、娘と母の絆と確執を描くピクサー初の女性ドラマとなった(2012年の『メリダとおそろしの森』を手掛けたブレンダ・チャップマンは映画の製作前に降板しているため、女性クリエイターがトップに立ったのは本作が実質上初なのだ)。

 その成果は主人公メイが初めてレッサーパンダに変身してしまった朝を描くシークエンスから明らかだ。母ミン・リー(愉快なサンドラ・オー)は娘に初潮がきたのだと勘違いして慌てふためき、あらゆるケアを施そうとする。ディズニーアニメで生理が扱われる事にも驚いたが、ここには一過性のギャグに終わらせない作り手の誠実なキメ細やかさがある。そう、レッサーパンダが何のメタファーかは言うまでもないだろう。思春期である13歳の女の子が直面する心身の変化そのものであり、巨大化した体と匂いに困惑してしまう様は作り手が心底ホレ抜いているレッサーパンダのデザインも相まって、なんともキュートではないか

 そして『塔の上のラプンツェル』から随分時間がかかったが、母と娘という特別な関係にドミー・リーはいま一歩踏み込んでいる。娘を理想の自分とすべく内面化していく母と、期待に応えたい反面、その呪縛から逃れようとする娘の対立が最後にはとんでもない一大バトルに発展するのだ。親が背負ってきたものを知ることは大人への成長の一歩だろう。

 そんな本作を、ディズニーはまたしても劇場公開を見送ってディズニープラスでの配信スルーに送り込んだ。かつて倒壊寸前だった屋台骨を支えたピクサーに対して、何と不誠実な仕打ちか。劇場で多くの大人、子供たちと大笑いしたかった。そのディズニープラスで配信されているメイキング映像には、多くの女性スタッフが子育てや家庭と両立しながら、楽しげに製作に携わっている姿が収められている。ドミー・リー率いるこのチームがジョン・ラセター放逐後の新生ピクサーの理想系ではないだろうか。株主の顔色ばかり見ているディズニー帝国に負けず、そのクリエイティビティを活かし続けてほしいと願ってやまない。


『私ときどきレッサーパンダ』22・米
監督 ドミー・リー
出演 ロザリー・チアン、サンドラ・オー、エイバ・モース、ヘイン・パーク、マイトレイ・ラクマリシュナン、オリオン・リー、ワイ・チン・ホー
※ディズニープラスで配信中※
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『私の帰る場所』

2022-03-12 | 映画レビュー(わ)
 第94回アカデミー短編ドキュメンタリー賞ノミネート作。3年間に渡ってアメリカ西海岸各地のホームレスを追った40分の力作だ。『オーディブル』の頁でも触れたが、昨今の撮影機材の性能向上によって、本作もまた素晴らしい空撮を成し遂げており、都市の美しい夜景と広大なテント集落が対比されるランドスケープは衝撃的だ

 映画は様々な事情から家を失い、明日をも知れぬ境遇に置かれた人々を点描していく。中でも幼い我が子に現状を知られまいとシェルターを“キャンプ”と言い、毎朝開館前の図書館に並んではそこで1日を過ごす母親の告白は胸が痛む。真に追い詰められた人々は行政に辿り着く事はおろか、助けを求める声すらあげられないのだ。これは自分にも起こり得る事であり、決して対岸の出来事ではないと知るべきだろう。


『私の帰る場所』21・米
監督 ペドロ・コス、ジョン・シェンク
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『私はヴァレンティナ』

2022-02-18 | 映画レビュー(わ)

 ブラジル。トランスジェンダーの少女ヴァレンティナはシングルマザーの母親と田舎町に越してくる。学校で入学手続き進め、補講の話がまとまると不意に顔を曇らす。「出欠はありますか?」ブラジルは法整備が進み、自らの意思で性別と通名を選択することができるが、未成年の彼女は両親のサインが必要だ。失踪した父の行方は知れず、果たして彼女はヴァレンティナを名乗れるのか?

 ヴァレンティナが直面する数々の困難と執拗な差別にこの題材が『ボーイズ・ドント・クライ』の頃からストーリーテリングに変化がないのかと思わせられるが、ブラジルの現実を知れば近年のハリウッドにおけるクィア描写はあまりに理想的過ぎるのかも知れない。エンドロールで明かされるトランスジェンダーの平均寿命が35歳という現実こそ本作の重要なモチーフであり、いくら法的整備が進もうと世間の偏見は容易く解消することはできないのだ。ヴァレンティナの周囲の人々が皆、自分の生き方を肯定していることは重要だろう。ゲイのジュリオ、学生にしてシングルマザーのアマンダ、そして母マルシアもまた新たな恋人を見つけ、ヴァレンティナもそれを認めているのが微笑ましい。閉塞的な田舎町で周囲の価値観から外れて生きていく事は容易くないが、1人1人が自己肯定できる社会があるべき姿だ。

 ヴァレンティナを演じるティエッサ・ウィンバックは本国ブラジルで多くのフォロアーを持つトランスジェンダーのYouTuber。LGBTQの子供たちに自分を受け入れることの重要性を説いているという。ハリウッドで長年議論されている”トランスジェンダーの役はトランスジェンダーが演じるべき”という課題は当然のようにクリアされており、この小さな映画がブラジルから出てきたことを評価したい。


『私はヴァレンティナ』20・ブラジル
監督 カッシオ・ペレイラ・ドス・サントス
出演 ティエッサ・ウィンバック、グタ・ストレッサー、ロナルド・バナフロ、レティシア・フランコ
4月1日より新宿武蔵野館ほか全国順次公開
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