延暦寺の続きです。
根本中堂のある東塔地区から西塔地区までは北に約1km。車で移動するとすぐに到着です。
ここは第二世天台座主寂光大師円澄によって開かれ、釈迦堂やにない堂などのお堂があります。
延暦寺を訪れる人の中で、西塔まで足を延ばす人はそれほど多くないのでしょうか。
私が訪れたときは、数人しか歩いている人がおらず、ゆっくりと拝観することができました。
(ちなみに、東塔の方はほぼ駐車場が満車でした。)
印象的なにない堂。
修行の場であり、行ったときも勤行の声が外まで響いて、荘厳な雰囲気でした。
ここから石段を下りると、釈迦堂です。
まずは手を清めますが、ここの水は登山者の水補給処にもなっていました。
釈迦堂(重要文化財)です。
こちらは、元三井寺の金堂でしたが、秀吉が文禄4年(1595年)にこの地に移築したそうです。
屋根の反りが美しいですね。
この他、鐘楼も重文だそうですが、石段の上だったので諦めました。
さっき下りた石段を上ります。
あれ?あまりしんどくないのは日々京都駅の階段を上ってるから?
突き当りに見えているのは、先ほど見たにない堂。
読経は続いています。
戻り道、イロハモミジのトンネルをくぐります。
とにかく緑が綺麗で、木陰は涼しいです。
行きは気づかなかった鳥居。弁天様をお祀りしているようでした。
ここから3か所目の横川地区に移動します。車で10分ほどかかります。
本当に広いです。
横川は第三世天台座主慈覚大師円仁によって開かれた地です。
歩き始めてすぐに池がありました。
何やら水生植物が生えているようです。どうしてもそちらが気になる私です・・・
植物の写真を撮りたかったのですが、池のそばには近づけず望遠ではこれが限界。
葉の感じから、ヘラオモダカでしょうか。何気に群生していて嬉しいです。
でもここは植物園ではなく、神仏がおわします地。
この池は龍が池、池の中央のお堂には、弁天さま、龍神さまが祀られていました。
目を右に移すと、朱塗りの特徴的なお堂が目に飛び込んできます。
これこそ横川の本堂、横川中堂です。
舞台造りで、遣唐使船を模して造られたと言われているそうです。
現在の建物は、昭和46年(1971年)に再興されたものです。
横の石段を上っていきます。
正面から見ると、全体がこんな造りになっているとは分かりません。
お参りし、御朱印をいただいてお堂をあとにしました。
ところで、こんな絵が描かれたお札をご覧になったことありますか?
こちら角大師さまの魔よけの護符に書かれている鬼の絵で、元三大師堂で受けることができます。
(この画像は説明板に書かれた絵をトリミングしたものです。)
元三大師堂は、横川中堂から徒歩3分の場所にあります。
途中、朱塗りの鐘楼を眺めながら、山の中を歩いていくと、
すぐに到着です。
元三大師良源は第18代天台座主であり、比叡山中興の祖と仰がれています。
「大師は横川の地に住し、優れた法力をもって種々の霊験を現わされ、仏法を守護し、
多くの人々を救い守り導かれた。
今日なお(中略)「厄除け大師」「角大師」として信仰を集めている。」
(元三大師堂説明版より抜粋)
ということで、あのお札が今でも厄除けとして人々に求められているということのようでした。
確かにこの護符が貼られているおうちを見たことがあるように思います。
なお、元三大師はおみくじの元祖としても知られているそうです。
私ですか?
護符もおみくじも、ちょっとこわい気がしたので、今回は遠慮しておきました。
ここからは先ほどとは違う裏手の方から駐車場に戻ることができます。
ここからも横川中堂が綺麗に見えます。
ミゾホオズキが咲いていました。
こちらはカンアオイの仲間でしょうか。
少しの植物でも見つけると嬉しくなります。
ということで、延暦寺の3エリアをほぼ一通りお参りすることができました。
この他にも、延暦寺で修行し、それぞれの宗派を興した名僧たちゆかりの地も多くあるようでした。
(法然上人、親鸞上人、日蓮上人、みなそうです。)
すべてのお堂や遺構など見て行けば、とても一日では足りなさそうです。
東海自然歩道を歩きながら、参拝するのもいいだろうなと思いました。
ここからは一転、華やかに咲く花を見に、ガーデンミュージアム比叡に移動です。
途中の比叡峰道レストランで比叡そばを頂き腹ごしらえも上々。
琵琶湖の景色を眺めながら、向かいました。
ということで、明日からはガーデンミュージアム比叡でみた花たちをお届けします。
【撮影:2024/8/15 比叡山延暦寺】