スミマセン!平安・鎌倉時代などで使っていたものが、我が家でも同じく使っていると言う意味です。
御簾(みす)、簡単にいえば簾(すだれ)のことです。鎌倉殿の場面で良く見かけるものです。
最終回は壮絶なもので、役者さんの演技力にも圧倒されます。
この簾のことを「御簾」(みす・ぎょれん)と言うようです。この御簾とは布の縁取りなどが付けられたものですが、 大名や公家などの地位の高い者が、謁見者に姿を隠して会話するために天井に取り付けられていたものが多く、表舞台に立つことを「御簾を上げる」ということもあるようです。
なんの意識もせずに観ていた場面の「御簾」(みす)です。我が家では今でも仏間などに吊るしています。竹ひごを編んで作られているものです。
我が家で降ろすことはほとんどありません。冬は障子や唐紙を入れ、夏にはこの御簾をすだれのように付けているだけです。今でも京都などで使われているかと思います。
そう、鎌倉殿の壮絶な演技力は、気持ちが入らないとできないのでしょう。
正直、内容が良く分かりませんでした。女房や息子はこの背景や今後の流れなどを話し合っていますが、それこそ私は蚊帳の外(御簾の外)です。
我が家(同じ敷地内の実家)ですが、3幅の曼荼羅を飾っています。一番古いのが慶応三年(約155年くらい前かな?)我が家だけの大事な家宝ですので、この「御簾」をかけているのでしょう。
先代は熱心な仏信徒でした。祖父は自宅の仏壇を前にして、毎日お経を唱えていました。木魚を叩いてリズムをとっています。その音がまだ耳に残っています。菩提寺にも先代がご寄進したものが残されています。
その一つが慶応三年の曼荼羅に記されています。本山である身延山の五重の塔を建立する際に、きっと多額のご寄進した際にいただいたものだとしています。
そんなご寄進を少し少額にして、子孫(私)のために、少し残して置いてくれれば・・・と邪念がある私です。
仏間の御簾です。以前は菊のご紋で飾られていたのですから、すごい方だったのでしょう。その微塵も持ち合わせていない私です。
日常生活で見るものですから、何とも思いませんでした。しかし、よく見ると今では珍しい和風建築なのでしょう。
床の間。ここには母が趣味で集めた大きなビアドロ(白鳥?)などが飾られています。100歳の総理からの祝い状も額に入れてがざっています。
仏間の柱です。買えば高いのでしょうね。
真竹のなげし(一本モノ)。
欄間。以前は組式の欄間でしたが、私が一か所を壊したらすべてが落ちてしまいました。お爺さんに大変怒られた記憶があります。その欄間も木彫りに入れ替えました。
天井の高い家ですが、風通し窓もあります。また、縁側の通し張の丸太は10m近くあるかな?
どうやってここまで運び入れたのか分かりません。こんなに長いと道中の曲がり角などはどうしていたのでしょう。この家もだいぶ傷んでいますので、やがては取り壊すことになります。
ふと、鎌倉殿を映像を見ながら、あぁ~我が家にもある。と思ったからです。
・・・・
おかげさまで、腹痛も治りました。睡眠剤もいただいて良く?眠れました。
同級生が理事長のかかりつけ医院です。
名を呼ばれるまでに1時間以上は待ちました。
理事長の奥さん先生は小児科とコロナなどを担当し、娘先生が院長として私の面倒?を診てくれています。理事長は週イチで診察にあたっています。そうしないと(理事長)も外部との接触も無くなってしまうのでと娘先生は言っていました。同級生のお医者さんであっても、気力・体力も低下し、また大病もしているようです。同年齢ですので、お医者さんも同じなんですね。
私の眠れないのはストレスや神経のたかぶりもあるので、心療内科の方が良いと言われました。睡眠剤の「リスミー」はお出ししましょう。といただきました。
趣味の木工でこんな木鉢も、この医院に差し上げています。
道路端の植え込みにはメキシカンブッシュセージが峠を越えて来ましたので、片付けました。
金曜日は可燃ごみ収集の日ですので、収集車が来るまでに慌てて片付けたのです。
年賀状の宛名書きも終えました。難しい字などは老眼鏡をかけなければ書けません。その方の親もよくこんな難しい名前を付けたな?と思うくらいです。きっと先生も名前を呼ぶことができなかったような字でした。
朝から、くしゃみと鼻水が止まりません・・・。
Hiro