俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

内部被曝

2011-09-20 15:14:40 | Weblog
 福島県産の米の安全性が報じられているがこれは当然のことだ。放射能の多くは表面に付着している。野菜は表面だけが汚染され、洗えば汚染度は下がる。米の場合は籾殻を取った玄米を更に精米するのだから表面の汚染は殆んど除去される。ほぼ確実に安全な米について騒ぐのは手品のトリックと同じような、注目を逸らすための陽動とさえ思える。米について騒いでいれば他の食材への関心は薄れる。
 食品の放射能汚染については人体の場合と同様に、外部被曝と内部被曝に分ける必要がある。
 牛肉が汚染されたのは外部被曝した稲わらを食べたことによる内部被曝とされている。一方、野菜は殆んどが外部被曝であり、地下からの吸収による内部被曝はごく微量だ。外部被曝は、今後原発事故が収束すれば徐々に軽減される。
 一方、内部被曝は食物連鎖によって拡大する。汚染されたプランクトンを食べた小魚を大型魚が食べれば放射性セシウムはどんどん濃縮される。茨城県産のエゾイソアイナメから基準値を超える放射性セシウムが検出されたと今月5日に小さく報じられた。4月のイカナゴ以来の検出とのことだが、情報隠蔽の可能性を疑う。

テロ対策

2011-09-20 14:59:47 | Weblog
 「テロチストの遺体は豚と一緒に焼却する」と宣言すればイスラム原理主義者によるテロに対する抑止力になるのではないだろうか。必ずしも実行する必要は無いが、宣言するだけで効果がある筈だ。
 決死の犯罪に対して刑罰は抑止力を持たない。死んだ犯罪者に対する刑罰は無意味だ。たとえ死者に鞭打っても憂さ晴らしにしかならない。
 イスラム教徒テロリストは、聖戦(ジハード)の犠牲者は天国へ行けると信じているから命を惜しまない。それならその狂信を逆手に取って地獄へ落とすと脅せば思い留まるのではないだろうか。
 イスラム教徒は豚を穢れた動物と考えている。食べないだけではなく見ることさえおぞましいと考えている。仮に酷い飢饉で人間か豚かどちらかを食べねばならない状況に陥ったら彼らは人間を食べるだろう。
 イスラム教圏では火葬をしない。アラビア語では火は「ナール」でありこれは地獄を意味する。火葬されれば火焔地獄に落ちて永遠の業火に焼かれることになると言う。
 天国を信じる確信犯には地獄へ落とすという脅しが有効だ。狂信者を抑止できるのはこの世での刑罰ではなく、彼らの狂信を逆手に取ったあの世での刑罰だろう。狂信者による犯罪を防ぐために彼らの信仰を利用すべきだ。毒は毒で制することができる。

ランダム

2011-09-16 14:13:33 | Weblog
 拡散という現象がある。液体や気体が徐々に広がり全体の濃度や温度などが均一になる現象だ。これは決して液体や気体が濃度や温度の低い方向に広まるという性質を持っているからではない。単にランダムに動くからだ。
 48人が新天地の南岸に漂着したとする。進行方向は東西南北のどれかとする。ランダムに散らばるならまず南を除く東西北に16人ずつが向かうことになる。それぞれのグループはある地点で再び選択をして東西南北に4人ずつ向かう。小さなグループはその後また東西南北に一人ずつ向かう。こうして拡散が起こる。ランダムに動くことが人の拡散に繋がる。実際には東西南北の選択ではなくその中間もあるし上下という選択もあるから拡散の速度はもっと早くなる。
 拡散という法則を生む源はランダム性だ。ランダムだから法則が生まれるという事実は誠に示唆に富む。変な方向性があるならそれは変な圧力が働いているせいだ。
 人の反応も本来はランダムなものだろう。一人一人が違った反応をするからこそ全体としての調和が生まれる。マスコミや権力者が世論操作をすれば本来生まれるべき調和とは異なる歪んだ形に収束する。しかしそれは堰き止め湖のようなものでいずれ崩壊するだろう。

脳と腸

2011-09-16 13:57:55 | Weblog
 私の脳と腸は仲が悪い。
 腸には1億個以上の神経細胞があり、全身を統制する脳が約150億個以上の神経細胞を持つことと比べれば微々たるものだが、脳とは独立して動くことも多く「第二の脳」とする仮説もある。腸は独立国ではないが地方自治体のようなものだろう。
 中央と地方の仲が悪いと困ったことが起こる。私の場合は試験の度に下痢をした。これは腸による「これ以上ストレスを増やすな」というサインだろう。まさか腸の意向に添って試験を放棄する訳には行かないので減食および昼食抜きという形で腸と妥協して来た。
 オカルト的な考え方と思われるかも知れないが、脳が多重構造になっており、原始動物から人間特有の脳まで別々に反応していることは脳機能を測定するМRI(核磁気共鳴画像診断装置)を使った実験によって証明されている。様々な、時には相矛盾する情動は、脳の各部分による異なった反応が反映されたものだろう。人間の脳は月見うどんのようなものだ。人間固有の脳は新皮質だけだ。卵に当たる新皮質以外は他の哺乳類と大差無い。新皮質を取り除けば人間は豚になる。
 多重構造を持った脳だけではなく腸までが意思を持つのなら確立した人格という考え方は無意味になる。人格とは複合体あるいは中枢神経同士の戦場だろう。

2大政党

2011-09-16 13:42:31 | Weblog
 私は2大政党制には大反対だ。単に選択肢が少ないということではない。少数者が虐げられるからだ。
 最多数者の利益を代表する党が第一党になる。次の多数者を代表する党が第二党になる。そしてそれ以外は無視あるいは弾圧される。
 多数者は少数者を虐待することが大好きだ。多数者は自らを正常者と位置付けて異常者(=少数者)を排除しようとする。喫煙者や同性愛者などは権利を剥奪され勝ちだ。
 私は喫煙者だが同性愛者ではない。同性愛は私の嗜好にはそぐわない。それでも異常者として差別したり弾圧したりしようとは思わない。むしろ少数者を異常者として迫害する多数者に対して嫌悪感を覚える。
 「タデ食う虫も好き好き」だ。多数者と違うということは異常を意味する訳ではなくむしろ個性的と評価すべきだろう。「虫愛でる姫君」がいても一向に構わない。少数者ではなく狂った者を異常者と呼ぶべきだ。
 民族として捕えれば日本人は異常な民族だ。西洋人は虫の鳴き声を雑音として捕え、日本人は音色として捕える。西洋人は虫の鳴き声を左脳で処理し日本人は右脳で処理するとも言われている。どちらかが異常なのではなくどちらも正常だ。
 多数者による少数者に対する迫害には私は断固戦い続けたい。

思い込み

2011-09-13 14:39:57 | Weblog
 思い込みによって人はしばしば失敗する。どれほど賢い人でも思い込みによる失敗を免れることはできない。他人から指摘されて初めて思い込みに気付くことはしばしばある。
 高校時代、fearを「フェア」と読む英語の教師がいた。私はその人の授業の時だけわざと「フェア」と読んでいた。同級生の数人は私が教師をからかっていることに気付いていたが、教師本人は一年間全く気付かなかったようだ。
 思い込みは必要な能力だろう。もし思い込まなかったら何かが起こるたびに1から検討することになって対応が遅れる。対応の遅れは命取りにもなりかねないから、充分な情報が無くても短絡して対応することが必要だろう。
 しかし即断しなくても良い場合は慎重に考慮すべきだろう。思い込みとは偏見であり間違った判断の源だ。疑心暗鬼という言葉があるように、間違った思い込みは間違った知覚まで誘発してしまう。間違った知覚は間違った思い込みを更に強化する。どこかで断ち切らないと迷妄から抜け出せないだけではなく益々深入りしてしまう。
 良い師を持つことが理想だがそれが叶わないなら良い本を読むことによってそれは可能になるだろう。

消化試合

2011-09-13 14:25:34 | Weblog
 11日のなでしこジャパンの対中国戦は消化試合だった。日本の予選突破は既に決まっていたからこの試合はどうでも良かった。
 しかし中国にとっては状況が違う。もし勝って、北朝鮮とオーストラリアが共に負ければ棚ボタで代表権が転がり込んで来る。地元中国としては是非とも勝ちたい試合だった。
 こんな試合を消化試合と呼ぶことは相手に失礼だ。当然佐々木監督はそんな馬鹿なことは言わない。あくまで「五輪に備えた若手中心の布陣」というタテマエを貫く。これが相手に対する配慮であり社会人としての常識だ。結果的には控え中心のメンバーで勝てて良かったとつくづく思う。もし負けていればこの上無く失礼なことだっただろう。
 こういう配慮を欠いているのが民主党内閣の閣僚だ。配慮を欠いた放言をしては問題にされている。自分の置かれている立場を理解していないのだろう。
 自分の都合だけで話すことの無礼さを理解していない幼稚な子供のような大臣が少なくないようだ。「放射能を付けちゃうぞ」とか「(煙草は)700円台ぐらいまでは税収も減らない」などの放言は他者に対する配慮を欠いている。
 「どじょう内閣」にはどうやらウナギやウツボや海蛇も紛れ込んでいるようだ。「亜菅内閣」とは思わないが気配りができない子供内閣ではもっと困る。

学歴軽視社会

2011-09-13 14:08:29 | Weblog
 かつての学歴万能主義の反動からか日本は世界で最も学歴を軽視する社会になってしまったようだ。少なくとも米・英・独・仏・中・韓・印のどの国よりも学歴を軽視している。そのために若年層が勉強する意義を見失いつつある。これは困ったことだ。
 高学歴者は次の3つのどれか、あるいは複数の能力を持っている。①思考力②記憶力③努力。小学校から高校までの12年間に積み重ねられた実績を軽視するのは余りにも勿体ない。
 ①思考力・・・・数学や理科および読解力の優れた人の思考力を活用できない組織は創造性を失う。
 ②記憶力・・・・社会や英語および漢字の得意な人は高い記憶力を持っている。記憶力は社会人としての大きな武器だ。
 ③努力・・・・所謂ガリ勉タイプだが、これこそ理想の社会人だろう。努力できるという才能は何物にも代え難い。
 人物本位とか成果主義とかいったスローガンで学歴を軽視するのは誤りだ。特に思考力を評価することは難しい。同等以上でなければ他者の思考力は評価できないのだから、愚かな上司による評価はしばしば的外れであり恣意的なものとなる。まるで猿に人間を評価させるようなものだ。伯楽がいなければ駿馬も駄馬にされてしまう。それを防ぐためには学歴をもっと重視して、運に左右される不公平な人事制度から脱却すべきだろう。日本の停滞は学歴軽視が一因とさえ思える。

認知症

2011-09-09 14:11:35 | Weblog
 フランスのシラク前大統領が認知症に罹ったそうだ。これまでにアメリカのレーガン元大統領やイギリスのサッチャー元首相なども認知症に罹っている。ドイツの偉大な哲学者のカントも晩年には認知症を患い、「空中電気を測る」などと意味不明の言葉を残した。
 認知症が恐ろしいのは聡明な人も等しく廃人になるからだ。何も考えず酒浸りの人が認知症になるのなら納得できる。脳は鍛えなければ劣化する。これは筋肉と同じことだ。動こうとしない人やリハビリに励まない人が寝たきり老人になるのは言わば自業自得だ。しかし老後も一所懸命考え続けた人まで認知症になるのなら、これはもう防ぎようのない病ということになってしまう。「脳トレ」などで予防できる病気ではないようだ。死に至る病よりも恐ろしいのは死なずに廃人として生き続けることだ。
 私自身、体の健康のために死んでも良いとは思わないが脳の健康のためなら死んでも構わない。糞便垂れ流し状態の文字通り「クソジジイ」になるよりは人間としての尊厳を保ったままPPK(ピンピンコロリ)とポックリと死にたいものだ。

浄化器

2011-09-09 13:57:14 | Weblog
 家庭用浄化器の多くは塩素を濾過するのではなく、化学反応を起こさせて塩化水素HClに変えているのだそうだ。塩素を塩化水素に変えているから塩素臭は無くなる。しかしこれを「浄化器」と呼んで良いのだろうか。正しくは「汚染器」ではないだろうか。
 塩素には確かに有害性があり臭いもある。しかし塩素を塩化水素に変えれば有害性を高めることになるのではないだろうか。何しろ塩化水素の水溶液は塩酸なのだから。塩酸は有害物どころか危険物だ。
 塩素の濾過が不可能ならせめて塩化ナトリウムNaCl=食塩に変えるべきではないだろうか。多少塩辛くなるかも知れないが塩化水素よりは遙かに安全だ。
 このように良かれと思ってすることが却って問題を悪化させる例は沢山ある。生きがいを求めて入信すること、降血圧剤や抗鬱剤などを長期間服用すること、禁煙補助剤を飲むこと、健康な女性がダイエットに励むこと、怪しげな無農薬野菜を食べること、地産地消に拘り過ぎること、飛行機は怖いからと自動車で長距離移動をすること、等々。
 情報は溢れ返っているがニセ情報が多過ぎる。ニセ情報に踊らされた人は金と健康と生命を無駄遣いさせられる。