思想形成において私に最も影響を与えたのは①手塚治虫②ドストエフスキー③ニーチェだと思っている。そのニーチェに反論しようと思う。
ニーチェは群居本能を嫌った。羊飼いを評価して畜群を憎んだ。私は逆に群居本能こそ人間の長所だと考える。群居本能とは善良さであり素直さだ。従順な畜群が誤った方向に向かうことの責任は100%羊飼いにある。憎むべきなのはこの羊飼いだ。世論操作によって善良な羊を欺こうとする朝日新聞のような大嘘つきの「マスゴミ」こそ不俱戴天の宿敵だ。
群居動物は優しい。他の動物とも共存共栄を図ろうとする。しかし羊飼いは違う。他の集団を排斥する。
実存主義の「実存」とは自覚存在を意味する。sein(ある)ではなくexist(存在する)という意味だ。単にそこにいるのではなく問題意識を持って生きるべきだ、という意味だろう。
私自身、他者と異なる自分を重視していた。独立した自我の確立こそあるべき姿だと信じていた。それに疑いを持たせて共存に目覚めさせたのが他ならぬニーチェのこの言葉だった。「蛇は相手が痛がると知っているから噛む。」私には強烈な衝撃を与えた言葉だが、残念ながら余り知られていないので正確に引用する。
「喜びを共にすること。・・・・我々を噛む蛇は我々に苦痛を与えたと思って喜ぶ。最も下等な動物も他人の苦痛を想像することができる。しかし他人の喜びを想像して喜ぶということは最高の動物の最高の特権であり、その中でも最も選り抜きの模範的な者にのみなし得る。・・・・従ってこれは1つの稀な人間精神だ。だから喜びを共にすることを否定した哲学者もいたほどだ。」(「人間的、余りに人間的」「様々な意見と箴言」62)
「最も選り抜きの模範的な者」どころかニーチェが嫌った「畜群」は皆この能力を備えている。だからこそ群居生活が心地良い。この能力を歪め悪用しようとする悪しき羊飼いこそ糾弾されるべきだ。
ニーチェは体系哲学者ではなく良い意味での混沌だ。テーゼもアンチテーゼも剥き出しにされている。ニーチェ批判の鍵はニーチェ自身が書き残している。
共感こそ群居動物の特長だ。そしてネガティブな「同情」ではなく「共歓」こそ大切だ。同情することによって不幸が増幅されるが、共歓すれば幸福感が高まる。群居動物の脳には他者の行動に共感するミラーニューロンが備わっているらしい。脳のこの特性を同情などに無駄遣いすることなく共歓力として活かしたいものだ。
ニーチェは群居本能を嫌った。羊飼いを評価して畜群を憎んだ。私は逆に群居本能こそ人間の長所だと考える。群居本能とは善良さであり素直さだ。従順な畜群が誤った方向に向かうことの責任は100%羊飼いにある。憎むべきなのはこの羊飼いだ。世論操作によって善良な羊を欺こうとする朝日新聞のような大嘘つきの「マスゴミ」こそ不俱戴天の宿敵だ。
群居動物は優しい。他の動物とも共存共栄を図ろうとする。しかし羊飼いは違う。他の集団を排斥する。
実存主義の「実存」とは自覚存在を意味する。sein(ある)ではなくexist(存在する)という意味だ。単にそこにいるのではなく問題意識を持って生きるべきだ、という意味だろう。
私自身、他者と異なる自分を重視していた。独立した自我の確立こそあるべき姿だと信じていた。それに疑いを持たせて共存に目覚めさせたのが他ならぬニーチェのこの言葉だった。「蛇は相手が痛がると知っているから噛む。」私には強烈な衝撃を与えた言葉だが、残念ながら余り知られていないので正確に引用する。
「喜びを共にすること。・・・・我々を噛む蛇は我々に苦痛を与えたと思って喜ぶ。最も下等な動物も他人の苦痛を想像することができる。しかし他人の喜びを想像して喜ぶということは最高の動物の最高の特権であり、その中でも最も選り抜きの模範的な者にのみなし得る。・・・・従ってこれは1つの稀な人間精神だ。だから喜びを共にすることを否定した哲学者もいたほどだ。」(「人間的、余りに人間的」「様々な意見と箴言」62)
「最も選り抜きの模範的な者」どころかニーチェが嫌った「畜群」は皆この能力を備えている。だからこそ群居生活が心地良い。この能力を歪め悪用しようとする悪しき羊飼いこそ糾弾されるべきだ。
ニーチェは体系哲学者ではなく良い意味での混沌だ。テーゼもアンチテーゼも剥き出しにされている。ニーチェ批判の鍵はニーチェ自身が書き残している。
共感こそ群居動物の特長だ。そしてネガティブな「同情」ではなく「共歓」こそ大切だ。同情することによって不幸が増幅されるが、共歓すれば幸福感が高まる。群居動物の脳には他者の行動に共感するミラーニューロンが備わっているらしい。脳のこの特性を同情などに無駄遣いすることなく共歓力として活かしたいものだ。
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