俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

性同一性障害

2016-01-28 09:52:12 | Weblog
 「俺はゴリラだ」と主張する狂人にゴリラの肉体を与えることは正当だろうか。性同一性障害の患者に性転換手術を施すことはこれと同じ愚行ではないだろうか?
 現実を否定することはできない。万物は落下するし陽はまた昇る。絶対的な現実を受け入れられないのは何らかの精神障害だろう。「落下しない石がある」とか「俺は人ではなくゴリラだ」と強硬に主張する人がいれば99%確実に統合失調症患者だろう。
 様々な性的倒錯がありその原因は後天的な心的外傷(トラウマ)だ。これらは治療を要する障害だと思うのだがなぜかマスコミと政治家は同性愛と性同一性障害だけは正常と評価したがる。最も奇妙なことは性転換手術をして女性のような体を持った男性に女性としての権利を持たせようとすることだ。たかが外科手術によって性が変わり得るものだろうか。
 老人でも入学すれば大学生になれるし入社できれば正規雇用労働者にもなれる。50歳の人が30歳の人の養子になっても構わない。社会的な役割はどうにでも変更できる。私は同性婚も構わないと考える。但しこれは明らかに憲法違反だからそのためには憲法改正が必要だ。
 しかし人は老人になることはできない。整形手術や化粧によって老人らしくなっても老人ではないから年金は受給できない。同様に小柄な人が整形手術を受けても子供にはなれない。勿論、男が女になれる訳ではないし、実際、整形手術によって可能なのはそれらしき外見だけであり女としての能力は何1つ持っていない。もし脳の移植をすれば女性の肉体を持つ男性と言えるが今のところそんな技術は無い。
 整形手術による人工女性に女性としての権利はあり得ない。贋物は絶対に本物になれない。人工老人に老人としての権利が無いように人工女性に女性としての権利は無い。これらは当たり前のことだろう。社会的な役割とは違って、性や年齢あるいは人間であることは否定不可能な現実だ。正常な人であれば受け入れざるを得ない絶対的な現実だ。
 人は整形手術によって別のものになることはできない。異性にも老人にも子供にもゴリラにもなれない。似た外見を持つだけだ。こんな単純なことをなぜマスコミは否定するのだろうか。彼らには外見で差別する癖が骨の髄まで染み込んでいるのだろうか。ドラマの配役を本人と混同するように女の外見さえあれば女性としての権利があると考えるのだろうか。ゴリラの外見を持った人がゴリラではないように女の外見を持った男も女ではない。
 性同一性障害特例法が制定されたのは平成12年のことだが早々と見直しても良いと私は考える。性同一性障害とされている人の大半はその人独自の個性ではなく精神障害だろう。精神障害者の妄想を後押しする必要などあるまい。
 

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