俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

2015-06-09 10:22:40 | Weblog
 卵は半熟の状態が一番美味い。オムレツであれ目玉焼きであれスクランブルエッグであれかに玉であれ卵スープであれ、固まってしまわない半熟状態が一番美味い。
 大半の外国人は半熟卵の美味さを知らない。それは彼らが古くて不潔な卵を食べているからだ。古くて不潔な卵であれば充分に加熱しなければ食中毒を起こす。だから彼らは子供の頃から、卵を充分に加熱するよう教えられ、生卵や半熟卵を怖がる。
 半熟卵と出汁の相性は抜群に良い。温泉卵もそうだが、卵かけご飯と吸い物の組み合わせは絶妙だ。シンプルでありながら奥深く、日本料理の神髄とさえ思える。卵は半熟状態が最も消化吸収され易いのだから健康食でもある。
 魚料理も同じことだ。外国人は古くて不潔な魚しか知らなかった。だから充分に加熱しなければ食中毒を起こした。日本人だけが新鮮で清潔な魚を生で食べていた。外国人は日本に来て初めて生魚の美味さを知った。
 日本では魚の鮮度管理がしっかりされていたが、外国ではできていなかった。加工用の魚しか流通していなかったから腐りかけのような魚しか入手できなかった。外国でも新鮮で清潔な魚が食べられるようになったのは、冷蔵技術が発達してからだ。
 肉については事情が異なる。肉には元々病原菌が付着しているから幾ら鮮度や衛生管理を徹底しても生では食べられない。牛レバーを生で食べることは危険を伴う。生牛が駄目なら生豚を、というのは狂気の発想だ。牛丼が駄目なら豚丼を、といった話ではない。豚のほうが牛よりも多く病原菌や寄生虫に汚染されている。「生牛なおもて危険、況や生豚をや」だ。豚の生レバーを代替品にしようとした人は余りにも非常識だ。安全性を無視した軽率な選択だ。12日から豚の生レバーが禁じられるが、元々生食には適さない食材だった。私は豚しゃぶさえ食べようとは思わない。

腫れ(3)

2015-06-09 09:50:37 | Weblog
 ある日の朝、右足首に痛みを感じた。原因はその前日、不自然な歩き方をしたせいだ。好天に恵まれたので久々にビーチサンダルで大阪の街を歩き回ったが左足に靴擦れができてそれを庇うために妙な歩き方をしたからだ。足の怪我は片足で終わらないことが本当に多い。片足を傷めるとそれを庇って両足を傷めてしまう。
 朝は軽い痛みだったが段々痛みが強くなり夕方には足首から先が腫れ上がった。腫れた足を見て私は安堵した。この感覚は常識とは異なる。腫れたら冷やして鎮めようとする人が多い。しかしそれは誤りだと私は考える。
 腫れとは何か?血流が増して損傷を修復するという自然治癒力の現れだろう。傷んだ足首への血の巡りを良くして治癒に取り掛かっているということだ。体内の医師と看護師を総動員して治療に当たるということだ。体が万全の治療体制を整えたということだから私は体の自然治癒力に全幅の信頼を寄せて安心した。これで故障から回復できると確信した。
 しかしここで大失敗をした。自然治癒力が活性化していることを過信して2日目には痛む足を使って水泳などをしてしまった。3日目には腫れがピークに達して足首が曲がらなくなった。つまり歩けない状態になってしまった。この状態を治癒力の現れではなく症状と考えることも妥当だろう。腫れた状態では安静を最優先すべきだったと悔やんでいる。
 慌てて対策に取り組んだ。それは睡眠療法だ。風邪であれば必ず昼寝をしていたが怪我で昼寝をしたのは初めてだ。その甲斐あって5日目にはかなり快癒した。多分、自然治癒力を高めるためには睡眠が最も有効だろう。昼寝をして回復するのは時間による治癒なのか睡眠による治癒なのか区別できないが、副交感神経を最も活発に働かせて、しかも最も安静な状態なのだから通常の生活より良いことは間違いあるまい。
 腫れることによって血流が増えて熱を持つ。これこそ自然治癒力が働いていることの証しだ。湿布をして腫れを引かせるなどとんでもないことだ。それは火事の現場に駆け付ける消防車や救急車の妨害をするような愚行だ。痛むなら動かさなければ良い。体が動くことを禁じているのだから、極力動かさず、自然治癒の進行に身を任せれば良い。
 人は浅知恵で自然治癒力の妨害をし勝ちだ。風邪に効く薬など無い。安静にして自然治癒力に任せるのが最善策だ。間違っても解熱剤など使うべきではない。解熱剤は自然治癒力を妨害するだけではなく、副作用による障害まで引き起こす。百害あって一利なしだ。
 腫れを大切にすべし、という考え方は現時点では定説にはなっていない。しかし体のメカニズムを考えれば、腫れによって故障箇所が修復されることは明白だ。病であれ怪我であれ、自然治癒力の妨害こそ最悪の偽医療だ。