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20180316 おきなわ学習会

2018-03-17 21:31:44 | 憲法・平和・沖縄

昨年夏、あがたの森講堂で沖縄県名護市ですすむ新基地建設で失われることが予想される大浦湾の海洋生物のパネル展が開催された。その実行委員会のメンバーを中心に、沖縄タイムス・琉球新報などの記事を読みながら沖縄につながる取り組みを続けている。

今回は、1月22日から2月10日にかけて名護市長選挙の応援もかねて沖縄に行ってきた小林瞳さんのお話を聞いた。2月4日の名護市長選挙、3月11日の石垣市長選挙とあいつぎ翁長沖縄県知事を支援する候補者の敗北、3月13日辺野古工事差し止め訴訟の沖縄県の敗訴、3月14日沖縄平和運動センター山城博治氏の有罪判決が続き、辺野古新基地建設は止められないのではないかという「あきらめ」も広がっているという記事も出ている。

小林さんは沖縄が日本に復帰する以前の1960年代、沖縄出身の女性がパスポートを持っていることにビックリしたことが最初の沖縄との関りだったという。そして沖縄の新基地建設問題が大きな関心を呼び始めた2015年「沖縄平和行進」にはじめて参加し、以来毎年沖縄を訪れている。

名護市長選挙で応援に入った稲嶺ススム陣営は、全国から新基地反対派の皆さんが支援にかけつけ、一種異様な感じさえあったという。相手陣営からは「その方が都合がいい(地元のことを知らない連中が応援している)」と言われていたという。

小林さんは、毎朝辺野古のゲート前で座り込みをして、機動隊に排除されてから、選挙事務所に出かけていった。2016年から座り込みに参加しているが、排除の仕方が乱暴になったと感じている。

今回当選した渡具知氏は元市議会議員で、「負けるわけがない」と稲嶺陣営の気のゆるみがあったのではいかと感じている。敵は渡具知氏ではなく安倍政権だった。応援に入った自民党三原順子氏「辺野古には一切触れないように」と言っていた。小泉進次郎氏も2回入ったが2月3日は高校生など若い人が3000人集まっていたが「辺野古」のはなしは一切出なかった。

選挙中の訴えでは、稲嶺氏は「名護のことはナゴンチュウが決める」に対して、渡具知氏は辺野古については「裁判を見まもる」、今回本格的に支援した公明党は政策協定で「海兵隊の県外・国外移転を求める」とした。

政府は、菅官房長官が名護入りし、建設業者へのテコ入れを行ったという。渡具知氏は「行政は企業を育てる使命がある」と言い、市民の生活向上に特化した主張と稲嶺市政への批判に終始した。稲嶺市政は、国からの補助金をもらわなかったが「基金を増やす」「建設事業」「県内一安い国保料」「小中の医療費の無料化」「財政の健全化」など批判をされる市政ではなかったが、市民からは「稲嶺市政は当たり前のことをしていただけ」とことさら強調しなかったという。

投票日当日、小林さんは出口調査で30票負けていると聞きビックリして知り合いに電話をかけたが、結果は「3458票差。本当に残念だった」と語る。公明党の票が効いた。期日前投票にもデイサービスの施設から投票所へ連れていっていた。今回、期日前投票が44%という異常さ。アメリカも表向きは名護市長選挙に関与しないとしているが、情報収集をしていて「渡具知氏がリードをしている」ということを確認していたようだ。

権力によって稲嶺氏がつぶされたと感じている。「名護市民を信じられない」「名護市民の良心はどうなっているのか」という声も聞かれた。投票日の翌日、名護の知り合いから「もう涙がでないほど泣いた。スイッチを入れ替えてやるよ。反省会をしよう」と言われて救われた思いがした。2月6日の朝、機動隊は市長選挙に負けたから座り込みには来ないだろうと高をくくっていたようだが、100人が座り込んだ。排除に一時間かかった。稲嶺氏は「埋立はまだ1%に過ぎない。未来の子どもたちに負の遺産を残せない。一市民として頑張る」と語ってくれた。沖縄の人々には「銃剣とブルドーザによる侵略」以来の不屈の精神が生きている。70年以上あきらめずにたたかい続けてきた「抵抗の遺伝子」(金城実)がある。

私たちは「これからどうすればいいのか」と、小林さんは話を結んだ。

 

 

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