長田家の明石便り

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第7章 義認と教会(その4)

2016-10-02 20:44:37 | N.T.Wright "What St. Paul Really Said"

第7章 義認と教会

【補遺:第6回日本伝道会議に参加して】

前回の投稿は、たまたま第6回日本伝道会議(9月27-30日、神戸)参加直前のアップとなりました。この会議に参加して、ライトの義認論に関わるいくつかの示唆を受けましたので、補遺の形でまとめてみます。

残念ながら、分科会「神学ディベート―N.T.ライトの義認論」には参加することができませんでしたが、主講師であるクリス・ライトの講演、及び、プロジェクトワークショップから、以下の点で示唆を受けました。

(1)ローマ人への手紙の書かれた背景

クリス・ライトの講演内容では、N.T.ライトの視点に近いものを感じる点がいくつかあったと思いますが、特に義認論に関わるものとしては、最後の講演でローマ人への手紙全体に触れていたことが参考になりました。特に、ローマ人への手紙が書かれた背景、目的についての指摘は、私が見逃していた点を衝いていました。まず、クリス・ライトは、地中海世界の東側での宣教を進めてきたパウロが、地中海世界の西側にあるローマに目を向け、ローマの教会が宣教の拠点となるべきことを覚えたとの指摘は、私自身も、そのように受け取ってきたところでした。しかし、そのような目でローマの教会を見たとき、パウロには一つの問題が緊急に取り組むべき課題として見えてきたという指摘には、ハッとさせられました。その問題と言うのは、ローマの教会に分裂があり、それはユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンとの間の分裂だったというものでした。そのことを前提として、その講演の第一ポイントは、福音が一つとされたコミュニティーを創造したことを指摘します。第二ポイントでは、14、15章が取り上げられますが、いわゆる、「信仰の弱い者」「強い者」の問題を、ユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンの問題であると指摘します。パウロは両者の分裂問題の解決を目的として、この手紙を書いたという指摘は、N.T.ライトの義認論を検討してきた者として、聞き過ごすことのできないものでした。

これまで、ローマ教会の中にユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンがおり、パウロは読者としてその両方を意識してこの手紙を書いたということはよく指摘されてきたところと思います。しかし、それは、教理の体系的提示の読者として、その両方を意識したと言うにとどまり、それ以上執筆目的に深く関わらせる指摘はあまり聞いて来なかったように思います。しかし、そう指摘されてみれば、それ以外には考えられない程、内容的に符合する点が多いように思われます。

ガラテヤ人への手紙が、割礼問題をどう扱うかを巡るものとして比較的明確に表現されているのに対して、上記のような分裂問題が手紙の背景にあるという指摘は、そう指摘されなければ分かりにくい形ではありますが、指摘されてみれば納得のいく、といった形で手紙の全体に表わされていると理解できます。

もしそのような前提を受け入れるなら、この手紙の義認用語を検討する際にも、この背景を踏まえる必要が出てきます。義認用語を教会論的視点で理解しようとするN.T.ライトの主張は、このような前提によく合ってくるようにも思われます。

ただ、私としては、手紙の書かれた背景にユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンの分裂問題があったのであり、パウロはその問題を踏まえつつ福音がユダヤ人も異邦人もない新たなコミュニティを創造したのだということを指摘したのだとしても、その議論の最初には、ユダヤ人も異邦人も罪のもとにあるという指摘がまずなされたということは見逃せないと思います。ユダヤ人も異邦人もない、新たなコミュニティーの創造は、この前提を踏まえ、ただキリストの贖いに基づき、神の恵みにより、信仰による神からの義を受けることによってなされたのだという議論の展開がなされたと考えます。従って、N.T.ライトによる義認用語検討において私が考えたことに大きな違いが起こるわけではないのですが、それでも、クリス・ライトの指摘は私にとっては心に深く残るものとなりました。私としては、義認用語が個人の救済に関わると同時に、教会論にも深く関わるものと整理づけたく考えたのですが、クリス・ライトの指摘は、そのような考え方をより強めるものともなったと言えそうです。

このあたり、ダンやN.T.ライトのローマ書注解書ではどう扱われているのか、興味深いところです。とにもかくにも、早く購入してみないといけませんね。

(2)N.T.ライトの「信仰」についての見解について

もう一つの示唆は、プロジェクト・ワークショップの中で与えられました。私は15のプロジェクトの中で、「聖書信仰の成熟を求めて」を選び、中でも「聖書信仰とNPP」の討論グループに加わらせて頂きました。そのための資料はT牧師が用意されたのですが、その資料では、N.T.ライトはひと言触れられるだけで、主にサンダースとダンが取り扱われていました。私としては、少々不満に覚えたのですが、討論に際しての補足説明で、T師は、「分科会ではN.T.ライトの義認論が中心に議論されたが、ここではNPPの根っこの部分を取り上げた」と言われました。そういった点を考慮しつつ、一つ思い起こされたのは、伝道会議直前に読み返していたダンの「パウロ研究の新しい視点」(『新約学の新しい視点』所収、すぐ書房)の中での「信仰」についての言及でした。「律法の行ない」については、それらを「契約の行い」すなわち「割礼、食物規定、安息日を守ること」と限定的に理解した上で(71頁)、それが「ユダヤ的なものの指標、すなわち人種と民族を指示するバッジと見做されていた」(79頁)と指摘するのに対して、「信仰」については、これを「契約の構成員のバッジとして」十分考えるべきことをパウロがガラテヤ人への手紙の中で主張していると指摘します(83頁)。

私はこれまで"What St. Paul Really Said"を中心に、N.T.ライトの主張を検討してきました。そして、N.T.ライトがピリピ人への手紙の義認用語を検討する中で「信仰」を「契約的メンバーシップのバッジ」(125頁)と主張する部分について、次のように書きました。「オルド・サルティスにおける信仰の位置について、後期改革派神学が、『人がどのようにしてクリスチャンになるか』と関わらせないことにより、信仰が結局のところ代理的『行為』になることを避けたことを指摘しつつ、ライトは、『信仰は契約的メンバーシップのバッジであり、人が入信儀式の一種として誰かが「なす」ことではない』と主張し(125頁)、『人が既にメンバーであると宣言するバッジである』と結論づけます(132頁)。」

今読み返すと、当該部分は原文では、以下のようになっています。「この描写における信仰の位置は、長い間後期改革派の教義学において、議論の対象であった。信仰は神の好意をえるために私が『する』ことなのか。そうでなければ、信仰の果たす役割は何か。一旦パウロの義認言語を『人がどのようにしてクリスチャンになるか』を表現しなければならないという重荷から解放したら、このことはもはや問題ではなくなる。クリスチャンの信仰を結局のところ代理的『行為』やとりわけ道徳的義の代替的形態と考える危険性はない。信仰は契約的メンバーシップのバッジであり、人が入信儀式の一種として誰かが『なす』ことではない。」(125頁)

よく読めば、「後期改革派神学が、『人がどのようにしてクリスチャンになるか』と関わらせないことにより、信仰が結局のところ代理的『行為』になることを避けたことを指摘し」ているわけではなく、ただ、後記改革派神学においてその種の議論があったということを書いているだけです。その点、不正確な書き方をしました。更に、それ以上に大きな問題は、その後に続く、N.T.ライトのいわばオルド・サルティスと受け取れるものについての考え方の表明に引きずられて、私は、ここでオルド・サルティスにおける信仰の位置に焦点を当ててしまったことです。上記ダンの議論における「信仰」についての議論と比較するならば、N.T.ライトの議論は明らかに重なる点があります。ですから、「契約的メンバーシップのバッジ」として「信仰」を見る考え方は、NPP全体に流れる考え方として捉えるべきだったと思います。ダンとライトは、NPPに関わる議論においても、細部においては異なる点が多々あるように思われますが、この点では一致しているわけですので、この点を見逃すわけにはいかないと思います。決して小さな問題とは言えないこの点を自覚させてくれたことだけでも、今回のプロジェクトワークショップは、私にとって有意義なものでした。

今後、この視点からもう一度、検討し直す必要が出てくるかと思いますので、いつか更に補遺を設けるか、この章全体の検討内容を全面的に書き換える必要が出て来るかもしれません。ただ、そのためには、ダンの論文を詳細に検討していく必要も出てきますので、そう簡単にはまとまらないだろうと予測します。一旦、本書全体の検討を最後まで終えた後、ダンの論文ももう少し詳しく調べた上で、どうするか、考えてみたいと思います。

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