今こそ内憂外患に立ち向かう!

 日本の官僚組織の頂点に立つ財務省。そこを舞台に、決裁済みの公文書が大々的に改ざんされ、一年以上にわたり国会や国民を欺くという前代未聞の事態が起こりました。国会審議も紛糾し、国民の怒りと不信感が渦巻き、抗議のデモが連日首相官邸を取り囲んでいます。

これは、日本の議会制民主主義への挑戦だ!

 議会制民主主義の根幹にかかわる「公文書の管理」がここまで杜撰(ずさん)に行われていたことに、大きな衝撃を受けています。しかも、国会における局長の虚偽答弁との齟齬を埋めるために改ざんの連鎖が見る見るうちに拡大していったというのですから、事は深刻です。じっさい、当時の佐川局長は、森友学園への国有地の払い下げの過程で、「事前の価格交渉はなかった」「すべては法令に則り適切に処理された」と答弁し続けたうえに、それを裏付ける資料や文書は「すべて破棄された」と公然と主張して国会を騙し続け、その間に改ざんを行っていたというのです。結果として、公文書への信頼性に基づき国政調査を進めてきたあらゆる国会審議の大前提が崩れてしまいました。国民の直接代表である国権の最高機関・国会における議論の土台が崩壊したことは、一内閣の交代くらいでは到底払拭し切れない深い禍根を残したといわざるをえません。

改めて見直すべき「政と官」との関係

 こうした事態を引き起こした安倍政権が事態を収拾し国民の信頼回復のために対応すべき第一義的な責任を負っていることは言うまでもありません。しかし、日本の政治の将来を考えた時、今回の事件は、与野党を超えた全ての政治家に深刻な課題を突き付けていると考えます。第一に、「政と官」の関係の見直しは必須です。私たちが政権にあった時から、霞が関に対する政治主導の必要性を強く訴えてきましたし、その象徴が「内閣人事局」制度でした。首相官邸が各省幹部人事を統括することにより各省の既得権益よりも国益中心の政治を実現しようという考え方です。しかし、今回の財務省による「忖度」事案は、官邸主導政治の行き過ぎの帰結といえます。政治主導は、事実を捻じ曲げてまで官僚が政治家に服従するような歪んだものであってはなりません。政治と官僚との間に適度な緊張関係を再構築するために、私たちは議院内閣制における「政と官」の在り方をいま一度考え直さねばなりません。

第三者機関による徹底した真相究明を!

 第二に、国民の信頼性を喪失した今の公文書管理の在り方を根本から改めねばなりません。文書の改訂履歴をすべて残すなど改ざんを許さないシステムを構築し、不適切な扱いに対しては罰則を科すことも含め制度の抜本改革が急務です。第三に、文書の改ざんや虚偽答弁がここまで長期にわたって公然とまかり通ってしまったことを、深刻に受け止めるべきです。なぜ途中で誰も止めることができなかったのか。海外では確立されている「公益通報(内部告発)者」保護を中心とするホイッスル・ブロワー制度の導入も待ったなしです。さらに重要なことは、この問題の真相究明を本気で考えるなら、国会論戦の場よりも専門家による第三者機関が徹底調査する方が遥かにふさわしいという事実を与野党政治家が素直に受け入れるべきだということです。

国政「異常事態」を正すべき政治家の責任

 振り返れば、一年以上も虚偽答弁で欺かれ、やがて「野党はいつまでこんな小さな問題にこだわり続けているのか?もっと大事な議論をしろ!」などと森友・加計問題で質問することすら憚られるような空気が醸成され、追及する野党が猛烈な批判にさらされ悔しい思いも募りました。挙句の果てに突然の解散総選挙で惨敗を喫したこともあり、「今こそ政権打倒だ!」と野党が色めき立つのは十分理解できます。しかし、真摯に我が国憲政の将来を考えれば、今回の異常事態を単なる政権叩きに終わらせるのではなく、「原発事故調査委員会」のような第三者機関を国会の権威(国政調査権)の下に設置し、徹底的に膿を出し切ることによって政治全体で正す必要があるのではないかと考えます。

「内憂」とともに朝鮮半島をめぐる「外患」に立ち向かう!

 なぜなら、国政は、この深刻な「内憂」とともに、風雲急を告げる朝鮮半島情勢に象徴される厳しい「外患」にも適時的確に対応していかねばならないからです。北朝鮮主導で進められる南北対話や、米政権における突然の国務長官解任など、国際情勢は日に日に不透明さを増しています。中国の習近平体制は国家主席の任期を撤廃し権力集中をさらに強化しました。ロシアのプーチン大統領も形ばかりの大統領選挙に圧勝し、さらに6年の任期を確保しました。日本を取り巻く中国とロシアという二つの核大国が権力固めの上に強硬な対外姿勢を露わにし、南北朝鮮と米国が不安定な状況に陥った場合、「自由で開かれたインド太平洋地域」の平和と安定と繁栄、さらには法の支配を中心とする国際秩序を牽引する重要な役割を担うのは日本しかありません。その重い課題に取り組むためには、与野党を超えた政策的な英知を結集する必要があります。

事態収拾なくして、国民の信頼回復なし

 もちろん、そのためには一日も早く安倍政権をめぐる異常事態を解決し、国民の結束を回復しなければなりません。安倍政権がこれまで積極的に外交や安全保障政策を展開して来れたのも、国内における安定的な政治基盤があってのことでした。逆にここまで国民の信頼を失ってしまえば、外交どころではなくなります。事態収拾のため、最後は安倍首相が責任を引き受けるほかないと考えます。政権不信の傷口を広げ、我が国の外交力を損なう前に、その決断はなされるべきでしょう。私自身は、引き続き自公政権に対して是々非々の姿勢を貫き、国益を第一に内外の諸課題に全力で立ち向かってまいります。

衆議院議員 長島昭久

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新しい時代にふさわしい「新しい政治」を始めよう!

 平成30年戊戌。
 いよいよ平成の御世を締めくくる年が幕を開けました。
 来年5月の皇位継承に向け、今年中に新しい元号が定められます。
 今年は、その「新しい時代」に向けた準備に勤しむ一年とせねばなりません。

 「新しい時代」という視点には、様々な意味が込められています。
 すでに世界は、百年に一度といわれる国際秩序の再編期に突入しています。強大化する軍事・経済力を背景に既存の秩序を塗り替えようとする中国、軍事力行使をためらわず国際情勢を揺さぶり続けるロシアを前に、「自国中心主義」を唱えるトランプ大統領を誕生させた米国が秩序維持の責任を放棄するかのような行動を重ねていることが混迷をさらに深めさせています。米中露といった強大国がせめぎ合う国際政治のメガ・トレンドから見れば、北朝鮮の核・ミサイル脅威や中東の混乱は局地的な現象に過ぎないともいえます。

 したがって、日本にとって常に注意を要するのはこの三カ国、とくに北朝鮮をめぐっては、米中の動向です。とりわけ「ディール(取引)の天才」と自称するトランプ大統領が、いつ、どういう形で中国や北朝鮮とディールするか目が離せません。冷戦終結以来初めて自国の安全保障に直接脅威を与える可能性が出てきた北朝鮮のICBM(大陸間弾道ミサイル)開発にストップをかけることはトランプ政権の至上命題です。そのためであれば、北朝鮮の(米国に届かない)中距離弾道ミサイルや核保有は容認してしまうかもしれません。中国の南シナ海支配も取引の材料にされてしまうかもしれません。そうなれば、中長期的には韓国や東南アジアが中国の影響圏に入ってしまうことも黙認することになりそうです。

 このように、新しい時代の国政情勢は決して甘くはありません。日本は、戦後初めて、(今まで米国にほぼ丸投げしてきた)自国の安全保障に自らの力で対処する必要に迫られることになるのです。今年は、そういう厳しい現実から目を背けることなく、安全保障や憲法改正の問題に正面から取り組んでいかねばなりません。

 私たちは同時に、「第4次産業革命」といわれる技術革新のビッグウェーブによって生活や社会が一変する激動の時代に入りました。とりわけ、深層学習によって加速化するAI(人工知能)の発達は、インターネットやロボット技術と相俟って、経済社会や産業構造を根こそぎ変えようとしています。20年前に米コダック社に起こったこと(*)が、今後5~10年ですべての産業、業種に起こるといわれています。
(*)1998年、コダック社は17万人を雇用し、全世界のフィルム・カメラの85%超のシェアを誇るメガ企業でした。ところが、今では当たり前となったデジタル・カメラの登場によってコダック社のビジネス・モデルは崩壊してしまいました。カメラ市場は瞬く間にこの革新的技術に席巻され、コダック社は2012年に倒産してしまいました。

 それでも、私たちは、今後10年以内にAIによって私たちの職の47%が置き換えられるだろう、といった将来予測に受け身の姿勢でいてはなりません。ダーウィンが進化論で喝破したように、環境変化に自らを適応させることができる国、社会、企業、人が生き残れるのです。短期的に景気が回復してきたこのタイミングこそ、「潜在成長率」を引き上げるための中長期的な取り組みの絶好機です。激動の新しい時代にふさわしい個性的で多彩な人材を輩出し続けなければなりません。すなわち、「人への投資」こそが国家の趨勢を決めるのです。

 150年前に、福沢諭吉が『学問のすゝめ』を著して、「学ぶことこそが己の運命を変え時代を切り開く」と説いて若き明治人に希望を与え彼らを奮い立たせたように、私たちも今こそ新しい時代にふさわしい「学びの環境」を整備するのです。

 私が考える学びの環境は、4つの柱から成っています。
 第一に幼児期。ここは、妊娠から小学校に上がるまでの大切な期間を、子どもを中心に家庭ごと支援する包括的な仕組み(今年こそフィンランドのネウボラ制度を視察して来たい)を構築し、安心して子どもを産み育てられる環境を整備しなければなりません。そのためには、小出しの子育て支援策ではなく、現役世代への思い切った予算の振り替えを断行すべきです。

 第二は、初等中等学校教育です。この時期は、基礎学力を形成すると同時に、知識社会を生き抜く3つの大事なスキル(創造力、表現力、協調性)を身につけるため、全ての子ども達に、家庭の経済事情に関わらず、学ぶ機会を提供するべく完全無償化(授業料も、給食費も、公立も私学も)を実現します。

 第三の高等教育は、今後の国力を左右する人材(鈴木寛慶大教授は、ICT、医療福祉、グローバル人材をとくに重視)を育成する上で必須となります。しかも、今後不可避となる雇用の流動化を見据えて、誰でも、いつでも、何度でも学び直し、働き直しができるよう、奨学金制度の拡充とともに高等教育機関の抜本的な改革を行わねばなりません。

 第四は、海外との双方向交流です。海外へ雄飛する日本人学生を支援すると同時に、日本で学ぶ意欲のある外国人学生や定住外国人の子女たちの教育環境を整えていかねばなりません。日本も、移民の2世、3世たちが活力の源となっている米国社会の多様性や包容力に大いに学ぶべきでしょう。

 このような包括的な「人への投資」こそ、少子高齢・人口減少をただ憂えるのではなく、そこからあらゆるチャンスを見出して活躍できる人材で満ち溢れる「一億総活躍」社会への確かな道標となるに違いありません。

 今年は、これまで取り組んできた外交・安全保障とともに、希望の党の政調会長として、衆議院文部科学委員として、我が国の「未来を保障」する人への投資に全力を注いでまいります。

衆議院議員 長島昭久

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希望の党、再起動。

怒涛の40日間の末に、悲願の小選挙区議席奪還!

 9月27日に結党。翌28日に衆院解散。その日の午後に前原民進党が合流方針を決定。「排除」発言あり、政策協定書あり、立憲民主党の結党ありで、瞬く間に支持率が急落。総選挙の公示日を迎えた頃には結党時の勢いは雲散霧消。選挙戦は序盤から厳しい批判にさらされ、台風接近に伴う荒天が、頼みの無党派層の行く手を阻み、前回・前々回をはるかに上回る苦しい選挙戦となりました。それでも、多くの皆さまの熱烈なご支援のお陰さまで前回から1万以上も得票を伸ばし、何とか2年10ヶ月ぶりに小選挙区の議席を奪還することができました。

真剣な政策論争を通じて党の立ち位置を再確認できた共同代表選挙

 そして、ようやく11月10日、希望の党の共同代表(国会議員団の代表)を選出し、若きリーダー玉木雄一郎代議士を先頭に、「寛容な改革保守」政党を再起動することができました。希望の党は、過去のしがらみや既得権益と徹底的に戦い、未来の日本と世界の在るべき姿を政策軸に未来で勝負する政党を目指します。私たちこそが、何でも反対で政権批判に終始してきたこれまでの野党のイメージを劇的に変えることができると確信しています。与党との対立軸づくりに汲々とする万年野党ではなく、今と未来の日本にとって必要な改革を一つ一つ確実に実現するための国民政党を目指すのです。

日本が直面する社会課題を克服するための構造改革を断行します!

 共同代表選では、党の基本路線をめぐり対照的な候補が激突しましたが、幸い大差をつけて玉木さんが勝ったことで、心配された路線対立が再燃することもなくなりました。政党は、何を実現するかが最も重要です。深刻な内憂外患を抱えた我が国において、いたずらに政権への対抗心を煽るだけでは責任を果たしたことにはなりません。ましてや、現下の厳しい安全保障環境にもかかわらず安保法制の白紙撤回を叫び、憲法改正論議への参画すら拒否し、基本理念が異なる立憲民主党との統一会派結成に動くようなことになれば、それこそ時計の針を過去へ戻すことになり、せっかく新党をつくった意味がなくなります。ここからは、私が民進党離党時に打ち出した中庸の精神を旨とする「寛容な保守」を基軸に、ブレずに前進するのみです。そして、しがらみまみれの自民党では逆立ちしても実現できないような経済社会の構造改革に全力投球する改革政党として、国会における建設的な議論の先頭に立つ所存です。

希望の党は、政争や政局を超えた政治の王道を歩んでいきます!

 私たちが断行する経済社会の構造改革は、保育園への全入化を阻む現行制度の壁をぶち壊し、残業規制に矮小化されている「働き方改革」の議論を根底から覆し労働市場の流動化という改革の本丸に斬り込み、原発に頼らない社会を本気でつくるためのシェアリング経済の構築を加速化させ、人口減少に歯止めをかける外国人材の積極的活用に道を開くなど、多岐に渡ります。少子高齢化に伴い進行する人口減少や第4次産業革命がもたらす経済社会の構造変化など日本社会が直面する内外の深刻な課題を克服し、活力ある地域社会を将来世代に引き継ぐため、希望の党は、政争や政局を超えた政治の王道を力強く歩んでいく決意です。


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長島昭久「独立宣言」―真の保守をめざして



 私、長島昭久は、本日、一人の政治家として「独立」を宣言いたします。
つい先ほど、野田幹事長に離党届を提出してまいりました。

 このたび私が民進党を離れる決意をした最大の理由は、保守政治家として譲れない一線を示すということであります。

 共産党との選挙共闘という党方針は、私にとり受け入れ難いものです。一昨年の「安保法制廃案」の熱狂の中で、突然打ち出された共闘路線は、まともな党内論議もないまま共産党主導で進められ、最近では民進党の基本政策にまで共産党が影響を及ぼすかのような場面が目立つようになりました。消費税しかり、TPPしかり、エネルギー政策しかり、憲法改正問題しかり、そして、いま審議入りもできない状況で紛糾しているテロ等準備罪法案しかり、です。

 個々の共産党議員は、みな優秀で正義感にあふれ、真剣に議会活動に取り組んでおられます。政策の方向性は異なれど、その質疑内容には常々敬服しておりました。

 しかし、衆議院議員選挙は「政権選択の選挙」です。そこにおいて、国家観も、目指すべき社会像も著しく異なる共産党と選挙協力をするということは、(中間選挙的な色彩の強い)参議院議員選挙で選挙協力を行うこととは本質的に異なります。したがって、国民の理解を得ることは難しいと考えます。

 とくに、国家の基本である外交・安全保障政策において、私のめざす「リアリズム」と共産党の路線とは残念ながら重なることはありません。それを「安保法制廃案」というとても現実的とは思えない一点で折り合いを付けようとしても、政権を担った途端たちまち破綻することは火を見るよりも明らかです。

 これまで私が外交・安全保障政策に力を入れてきたことは周知の通りです。それだけに、今般のアメリカによるシリア空爆、暴発寸前の朝鮮半島情勢を目の当たりにし、我が国の安全保障のためにアメリカとの同盟関係を強固にし、我が国独自の国防努力を行っていくことは焦眉の急です。安全保障は、やり過ぎても、やらなさ過ぎてもいけません。国際情勢の現実を直視しながら、「慎慮」をもって力の行使を判断せねばなりません。これが外交・安全保障のリアリズムです。そのような私の問題意識と共産党に引っ張られる党の政策との間には覆い隠しようもない断絶があります。そのことの故に、このたびの離党という決断に至ったことは偽らざる事実です。

 しかし、これだけでは「離党」の説明にはなっても、冒頭に申し上げた「独立」する説明には不十分でしょう。じつは、私には、一人の「保守政治家」として、どうしてもやり遂げねばならない大義がございます。今日はせっかくの機会なので、そのことについてお話したいと思います。

 私にとって今回の行動の大義は、「真の保守をこの国に確立したい」という一点にあります。

 私は、2年前の夏。安保法制を採決する本会議場に一人茫然と座っておりました。前日までの激しい党内論争に敗れ、失意のどん底で党議拘束に従い安保法案に反対票を投じました。

 じつは、当時、私は党内論議と並行してツイッターを使って様々な方と議論を戦わせていました。そのとき、安保法制の賛否をめぐる左右の主張の対立の激しさ、醜さに衝撃を受けました。議論がかみ合うどころか、単なる罵り合い傷つけ合いに陥っていたのです。これをネットの世界の出来事と片付けるのは簡単ですが、じつは現実にも同じような罵り合い、果ては議員同士の殴り合いが、委員長席周辺で繰り広げられました。

 このまま国家の基本にかかわるような問題―特にこれから、憲法改正という戦後政治の根幹にかかわるような究極のテーマが控えています―で左右の衝突が繰り返され、過激な極論や暴論のぶつかり合いが続くようでは、日本社会における保守とリベラルの分断、亀裂は抜き差しならないところまで行くのではないかと深刻な危機感を抱きました。その恐ろしさは、今日のアメリカの分断状況を見れば想像に難くないと思います。

 そのような国家を二分する争点において、対立する双方の意見を調整し国会における熟議に反映させる責任を担うべきは、私たち国会議員です。そして、そのような社会の分断、国家の亀裂を生じさせないようにするのが、この国の保守政治家の責務ではないかと考えるに至ったのです。それ以来、私は、党議拘束の桎梏に身もだえするような重圧を感じながら、「真の保守」とは何かを考えてまいりました。

 「党内ガバナンス」という魔法の言葉によって、一致結束して「アベ政治を許さない!」と叫ぶことを求められ、過去に自分たちが推進し、容認してきた消費税も、TPPも、ACSAも、秘密保護法制も、安保法制も、憲法改正論議も、共謀罪も、すべて反対、徹底抗戦、廃案路線で突き進む。行き詰まると、院外のデモ隊の中に飛び込んで、アジる、煽る、叫ぶ。そこには熟議も、建設的な提案もない。与野党の妥協も政策調整の余地もない。

 国民世論の統合を期待されている国会において、かえって国民の中にある分断の萌芽をさらに拡大しているようにしか見えません。もちろん、これは野党だけの責任ではありません。政権の側にしばしば見られる独善こそ厳に慎むべきです。

 そこで、「真の保守」とは何か。それは、我が国の歴史と伝統を貫く「寛容の精神」を体現したものだと考えます。ですから、「真の保守」は多様な意見を包摂することができるのです。じつは、この間気付いたのですが、リベラルの皆さんの方が権力に対するルサンチマンのようなものがあって、寛容さに欠ける言動がしばしば見られます。政府や保守的な主張に対する攻撃は時に激烈です。「市民連合」なる組織を率いるある政治学者が、一国の総理に向かって「お前は人間じゃない。叩き斬ってやる」などと叫んだりしていました。

 一方、保守の側も昨今劣化が激しく、籠池さんのように、教育勅語を信奉していれば保守だといわんばかりの粗雑なキャラクターが際立っています。私は、「真の保守」というのは、国際社会でも通用するような歴史観や人権感覚を持ち得ねばならないと考えております。不寛容なリベラルも、粗雑な保守も、一度立ち止まって国内外の現実を直視し、それぞれの議論を整理し直すべきではないかと思うのです。

 「真の保守」は、左右の主張を包摂しつつ、対立点について粘り強く説得に努め、この国に「秩序ある進歩」(私の尊敬する小泉信三の言葉)をもたらすことに力を注ぐべきではないかと考えます。それは、「中庸」の思想に通じるものがあります。中庸は、過剰に対する自制と不正に対する毅然とした姿勢によって、一方に偏ることなく常に調和を重んずる思想です。足して二で割るといった単純な話ではありません。中庸を保つためには、強い意志と高い理想がなければなりません。

 私は、ここに、特定の党派から独立した一人の保守政治家として、我が国を取り巻く内外の諸課題と真摯に向き合い、あるべき政治のかたちを創り上げるために、私の問題意識を共有してくださる同志の皆さんと共に、中庸を旨とした「真の保守」政治の確立という大義の実現を目指して行動を起こすものであります。

衆議院議員 長島昭久


4/10に行なわれた長島昭久の離党に関する記者会見の様子を動画でご覧になりたい方はコチラをご覧ください。


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離党の表明について

 たった今、後援会緊急総会にお集まりいただいた支持者の皆さんに対して民進党を離党する決意をお伝えしました。真の保守政治を追求して来た私にとり、価値観の大きく異なる共産党との選挙共闘路線は譲れぬ一線を越えることを意味し、国民の理解も得られないと考えた結果です。

 平素より温かいご支援をいただきながら、今晩お伝えできなかった方々にもご理解いただきたく、ブログの形でですが、お知らせさせていただきました。詳細は、10日(月)午前11時に会見を開いてお話し致します。今後とも変わらぬご支援のほど何卒宜しくお願いいたします。

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