(湯島の孔子像・引用)
今年は渋沢栄一がNHK大河ドラマ登場と新・1万円札の肖像で話題に
なっています。
孔子は紀元前551年(いぬ歳生まれ)、紀元前479年(いぬ歳に死去)
(73歳)と図書に記載されています。
恐らく当時としては長命とされたことと思います。
亡くなったのち、紀元前245年ごろに編纂されたようです。
日本では正平19年(1364年)に正平論語が出版され東洋文庫蔵に
なっているそうです。
(写真・江連隆著から・東洋文庫蔵)
それから2千数百年、日本では高齢化社会になっています。
孔子の時代の平均寿命はデータもなく、推測しかありません。
「吾れ、十有五にして学を志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして*耳順(みみしたが)う。
七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず」
*耳順(六十歳になると思慮分別もできて、他人のいうことを
素直に聞くことができる
論語に書かれた孔子さまの自分の一生を回顧した言葉ですが、
令和の時代の今であれあばどんな言葉を残されたのでしょう。
老人のブログですから、ちょっとお遊び的に
「八十歳ヲ傘寿トイイ、八十一歳ハ 半寿、八十八歳ハ 米寿、八十九歳ハ
粋寿トモ イイ、九十歳トモナレバ卆寿ト申シ 今ヤ稀デナシ、
平成、令和ノ時代トモナレバ白寿(九十九)更ニ更ニ 百寿トイウ
長命モ メズラシカラズ」
(半寿の半を分解すれば八十と一なり、八十九歳は粋を分解すれば
八十八と九十の中間なり)
そして
「傘寿の年齢トモナレバ、生離死別ナク健康デアレバ自由奔放、
春風駘蕩ノ気分デ心ユタカニ自立シタ生活ヲ目指スベシ」
「傘寿ニ至ル人生ノ経験ト知恵ヲ孫ヤ子ニ有益ナルベク授ケルベシ」
写真(引用)は葛飾北斎88歳の作と伝えれています。
小布施・岩松院の天井画です。
当時は恐らく焼肉など食べなかったと思いますが!パワフルです。
そして大らかな感じがしませんか。
最近、世の中はプラス志向がめっきり消え去り何となく大らかな
雰囲気はなくなりつつあるようです。
余りにも情けない事件が多すぎますが,プライベートな他人の不倫にも
にわか評論家が続出しています。
論語を熟読したわけではありませんが、夫婦のあり方、家族への
接し方には及んでいないようです。
そして論語における注釈書は非常に多く、遠く江戸時代から
書かれていて手に取る本によってまちまちの解説です。
念願叶って孔子さま所縁の曲阜へ行ったのは5~6年前。
記憶力散漫となり、写真を見ては思い出す程度ですが。
振り返りますと当然のことですが人の一生はそのひと限りで
完結します。
折角、人それぞれが貴重な経験などから学んだ知恵やノウハウは
その人が亡くなれば同時に消滅してしまいます。
孫や子があれば、伝える技術も大切な気がいたします。
新聞を読めばカタカナの横文字が並ぶIT時代ですが、2千数百年前の
論語が今も読み継がれているのは少し不思議ですね。