夕方、安全・安心のまちづくりに関する特別委員会の一員として被災地(宮古市・釜石市など)等の視察を終え神戸空港経由で帰苫しました。
初日は早朝便で仙台空港を経て東北新幹線で盛岡市へ。そこから、予約していた三陸鉄道のマイクロバスで宮古市田老地区へ直行。三陸鉄道の成ヶ澤亨さんが添乗員として2日間私たちの視察に随行してくれました。目的地までは随時“3.11大震災”での自分の体験談を含めながら8ヶ月経過した現状の復興・救援状況を丁寧に説明して頂きました。(本当にありがとうございました)
今回の視察は岩手県宮古市・釜石市などの被災地と阪神・淡路大震災に復興した神戸市にある県立“人と防災未来センター”を訪問。特に、被災地では8ヶ月が経過しても遅々として進まない“瓦れき”(災害廃棄物)の処理を目の当たりにしただけに、たくさんの写真(デジカメ)を撮りました。報告すべき事がありますので、何回かに分けて報告します。
最初の視察地は宮古市と合併した田老地区です。22年前に三陸海岸を含め岩手県を車で一周したことがあり、特に旧田老町の観光スポットは鮮明に覚えています。田老地区に向かう道中で、添乗員の成ヶ澤さんから「・・・“津波てんでんこ”という方言を聞いたことがありますか?」と説明してくれました。
古くから津波に苦しめられてきた三陸地方の言い伝え「津波てんでんこ」(自分の責任で早く高台に逃げろの意味)に基づいた防災教育によって、今回、釜石市では1.200人を超す死者と行方不明者のなかで3.000人近い小・中学生が“津軽てんでんこ”の防災教育が生かされ無事に避難することが出来たそうです。(2日目に現地を視察しました)のちに“釜石の奇跡”と報道されたことのこと。
盛岡市から約100㎞を走行すると沿岸部の「田老地区」の街並みが現れました。
ちょっと話しがそれますが、私的に9月に友好都市である秦皇島市(中国)に行って“万里の長城”を見てきました。まさに田老地区には高さ10㍍の防潮堤(地元でも“万里の長城”と言われています)によって津波から住民が守られるはずだったのです。私たちはその 防潮堤に立って街並みを見渡すと、区画整理によって綺麗に配置された住宅街のはずか、いま見えたのは鉄筋建ての骨組みと瓦れきが取り除かれた家屋の土台だけでした。(添付写真)誰しも、10㍍の防潮堤をのみこむ津波は想定していなかったと思います。その 後で、宮古市を訪問すると「今後の復興計画では(専門家の意見も聞いて)防潮堤は14.7㍍にしなければならない・・・」と説明してくれました。続編は明日以降に・・・!