昨夜の町内会(群単位)の新年会を最後に出席予定していた新年会を終えました。ご挨拶しながらまわっていると「良く身体が持つネ!」と細身になった身体を見て心配してくれる方がいました。「毎日、良く歩いている姿を見ていますが、歩くと本当に痩せるの?」と日常生活がチェックされているように感じました。群単位(有珠の沢6丁目)の初めての企画でしたが、会場には40数人も集まり大盛況で、企画した郡長さんらは大喜び。知り合いの自宅での2次会にもご一緒しました。都会だけでなく、市内でも「隣は誰が住んでいるの?」という“無縁社会”という言葉が流行語になっている状況のなかで、こうした取り組みに地域の連帯を感じました。
私が初めて当選した19年前。最初にとりあげた問題は“孤独死”対策です。誰にも看取られずに亡くなる高齢者が市営住宅で発生しました。“孤独死”は現在では高齢者だけではありません。雇用形態の変化によって同僚との付き合いも薄れ、地域でも接点を持てない若者もたくさんいるのが実態です。“親の介護で結婚出来ない”とか“倒産・リストラで家族が崩壊”、あるいは“ワーキングプァ”などの経済的要因で孤立を余儀なくされている社会現象が起きています。
高齢者・障がい者の方々は「緊急通報システム」(いのちのペンダント)を設置し改善されつつありますが、他の要因の対策として何よりも地域・職場社会との接点がキーワードです。
過日、TV放映で身よりのない方が亡くなった場合の家財などを処分する業者が増えている、と聞いて驚きました。なかには“生前依頼”を契約している方もいて、独居生活の厳しさを考えさせられました。
昨日も町内会の行事にはじめて参加した私と同年代の方が「交代制勤務だから回覧板を見ても参加出来なくて・・・。でも今日は楽しかったです」と喜んでいました。
市内でも、たくさんの町内会がありますが共同住宅(単身アパート)などの多い地域での結びつきは大変だと思います。
人と上手に付きあうことを嫌う方もいますし、それもまたその方の生き方ですが、少子・高齢化社会によって「地縁」・「血縁」がさらに薄くなることに危機感を覚えます。「孤独死」・「無縁死」をなくす対策は、医療・雇用対策とも関係します。仕事を失い、再就職が困難な方から「もう、苫小牧では(自分の希望する)働くところがないから、いつまでも親に頼れない。本州に行って仕事を見つけなければ・・・」と相談を受けました。まだ“頼れる親がいる”から安心ですが、それも失ったらどう生きて行くのか?まちなかに「国民生活第一」と書いたポスターがまだ掲載されていますが、スローガンよりも実行することを国民は求めています。