こんにちは日本共産党の渡辺みつるです

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幸運の飛行機雲?

2011年02月28日 18時14分28秒 | インポート

 今朝は大失敗をして、次男に迷惑をかけてしまいました。インフルエンザでしばらく自家用車を車庫に入れて乗っていなかったのです。車庫のシッターを開けると、何とルームランプが点灯していました。よく見ると運転席が半ドア状態。まさに、私の不注意というしかありません。明日、卒業式を迎える次男の予行演習があるので学校まで送っていく約束をしていただけに・・・。

 午前中に代表質問(4日に行う)の通告をし、早速、午後から担当部局とレクチェアをしてきました。(中途半端でしたが)

 帰宅は市役所前から市営バスで。バスを待っている時間帯(午後3時45分頃)に何気なく西南側の空を見上げると、青空に真っすぐ描かれた飛行機雲を発見。見ていると「大空のキャンバスに、落書きしてみたいな・・・」なんて、子供のような気持ちになりました。 帰宅して、インターネットで調べるとJALCARD会員誌「Agora2002年9月号」に飛行機雲の記事が掲載されていました。「飛行機雲は、飛行機が出す排気ガスの煙と思っている方もいらっしゃるようですが、実はきちんとした雲で、煙ではありません。積乱雲(雷雲)などといった、通常よく見る雲と分類上では違いますが、飛行機雲が生まれる過程を考えると、きちんとした雲と呼ぶことができます」と解説されていました。その飛行機雲は、一体どのようにして生まれるのか?2つの理由がありますが書き込むと行数が増えるので暇な時に調べてください。僅か数分でしたが、北東方面に消えていきました。

 たまには、市営バスで帰宅すると新たな発見が出来るんですネ。

 朝の失敗は夕方の好運に。メーカーに頼んでいた自家用車も無事に帰って来ました。修理代を見て、驚きの安さ。飛行機雲効果でしょうか?


遅れを取り戻さないと!

2011年02月27日 17時06分59秒 | インポート

 ようやく普段の体調に戻りつつあります。昨夜、「どうですか?」と同時期にインフルにかかった事務所の先輩から電話がありました。お互いに状況を話しているうちに、「あなたは相当悪かったようですネ!疲労も重なりマイナス要因になったのでは。この機会にゆっくり休みなさいとのシグナルでは・・・」とお見舞いの言葉を頂きました。

 療養・休養していた分の“つけ”は今日から取り戻さなければなりません。まずは、明日まで提出の代表質問の通告内容の吟味です。そして、それを裏付ける資料整理、原稿書きと今日含めて5日間しかありません。私の代表質問は4日の午後1時から3時まで(持ち時間は1時間)の予定です。それで終わりではありません。翌週の8日から予算委員会がはじまりますので、すべての項目を調査し勉強しなければなりません。頭の休まる日は1日もない状態です。

 この間に、3/1には次男の卒業式です。私はPTA役員もしているので出席しなければなれません。3日~4日は次男の受験で我が家は一人ぼっちになります。わずか2日間ですが自炊生活が待っています。

 この間、母のところにはお見舞いにも行くことが出来ませんでした。毎日、お見舞いに行ってくれている母の友だち(自称*苫小牧の娘)Sさんから「・・・だんだんと寝ている時間が長くなっているネ」と電話で様子を伝えてくれました。Sさんには、頭の下がる思いです。

 さて、長男の会社から「社内報」が届きました。同期入社した同僚たちで会社の成人式を行った掲載記事が出ていました。写真も同封されていましたが、年末・年始に帰省していた髪型を変えたので、一瞬どこに撮っているのか判りませんでしたが、「社内報」を見て気づきました。髪型を変えただけでも、離れて生活していると判らなくなってしまうものですネ。

 午後から久しぶりに後援会事務所に顔を出すと、30人近くの後援会員の方々から一斉に「大丈夫かい!無理しないでネ」と激励されました。連絡ノートを見ると相談が殺到していました。まだまだ、年金問題の相談がありますネ。議会準備と調整しながら相談活動にも全力をつくします。


長い1週間です!

2011年02月25日 09時08分41秒 | インポート

 今日から2月定例議会が始まりますが、インフルエンザによる高熱症状は“タミフル”効果で改善されたものの、他人にうつすウイルスがまだあることから今日を含めあと2日間は自宅療養を余儀なく我慢しています。

私の議員生活20年のなかで、議会初日の欠席は今回がはじめてです。過去を振り返ると2月予算議会の初日に行われた市長の市政方針(以前は施政方針)の後で急に背中に激痛が走り、我慢が出来なくなり勤医協病院に直行したところ、エコーを受けると何と胆石発作と診断。すぐに市立病院を紹介され入院し、内視鏡下による胆のう摘出手術を受けました。その当時はまた年齢的にも若く、パソコンと予算書を病室に持参して病室で手術前まで猛勉強した経験がありました。当時の院長(外科)から「手術後5日後には退院できるから・・・」とお墨付けを頂き、退院日に自宅に戻らず予算委員会に出席したことを思い出します。

今回は、市長の市政方針と教育長の教育執行方針を直接聞くことは出来ませんが、来週の金曜日には会派を代表して代表質問を行わなくてはなりません。文章による市政方針などを元に代表質問の準備を来週の月曜日まで提出するのが、いま一番の難題です。(体調が完全でないので・・・)

この間、多くの方からお見舞いを兼ねた激励の電話やメールを頂きました。ありがとうございます。

心配していた受験生の次男とは隔離生活をいていたのでうつることはなく安心しました。

でも、議員として議会に出られないのはどんな事情があったとしても残念です。私を選んでくれた有権者の方々に申し訳ない思いです。

ある市民から、「頑張っているから、身体を休ませなさい、という贈り物。この際、しっかり完治して頑張ってください」との激励に、自分にプレッシャーをかけずにもう少し養生させてもらいます。(いつまでも若くはないので・・・)

タミフルを服用してから結構、普段見ない夢が鮮明に覚えています。ある駐車場に止めていた(私の)車が、除雪車によって小山(除雪後に寄せられたところ)の上に置かれている。とか、宴席会場で上着を脱いだら財布がなくなっていたとか、現実離れした夢を見て途中で目を覚ましてしまいます。今朝は、「次男から朝6時半に電話(携帯)をかけて」と言われていたので、腕時計をして寝ていたのですが、気づくと“7時3分”に見えました。慌てましたが良く見ると腕時計を反対に付けていて、正確には午前0時35分の間違えでした。神経系状態がまだ安定していないのでしょう。

インフルエンザはまだ流行しているので、他人にご迷惑をかけないようにしっかり治して遅れている勉強を取り返して頑張りたいと思います。今朝から、平熱に戻りつつありますので、来週から普段の生活スタイルに戻ると思います。


インフルと闘っています!

2011年02月23日 11時05分52秒 | インポート

 とうとう57歳ではじめて“インフルエンザ”に罹りました。毎年、予防接種しているから、と思いこんでいたのが油断でしたネ。39℃前後でほとんど寝ていました。1昨日“お茶懇”が終わって帰宅中に背中に身震い感が走りました。早速、熱を測ると37.5℃。それからどんどん上昇し39.4℃まで。翌日病院に受診すると検査結果+。完全に隔離され、薬まで届けてくれました。自家用車で病院に行ったのですが、帰りには真直ぐ歩くことが出来ず、看護師さんから「タクシーで帰ってください」と注意されました。「タミフル」効果はすごいですネ。今日で3日目ですが37℃まで下がりました。

 でも、我が家では次男の受験が間近なので、私は食事も含めて完全に隔離生活です。24時間/1日のうち20時間も寝たのは記憶にありません。早く、自由に外出が出来るようになりたいですネ。


真心こもった手製の手袋!

2011年02月21日 16時12分51秒 | インポート

 朝宣の話を聞いた後援会員さんから、手製の手袋を頂きました。(添付写真)

 指先が出るように工夫されていて、その理由を聞くと「名刺を出すImg_14921 とき、握手するとき、そしてマイクを持つ時の防寒用グッズ。リハビリのためだから・・・」と説明してくれました。真心のこもった贈り物に感謝感激です。

 今日も“お茶懇”でお邪魔して市政報告をしてきました。集まった方々は、「普段は政治に関心がなかったけど、聞いているうちに身近に感じるようになった。TPPの話も聞かせて・・・」と国政問題まで関心が高まっています。

 私は、TPP問題は決して国政の問題ではなく、北海道の基幹産業である第1次産業(農水漁業)の崩壊に結びつくものーと説明を加えると、「そんなことをしたら、北海道経済がダメになっちゃうネ。しっかり勉強しないと後で恐ろしいことが起こりそう」と共通認識になりました。「こんなに気軽にお話が出来るなら、今度は私の家で・・・」と言ってくれる方が増えました。

 朝から“喉”の痛みがあったので、用心のために夕方から休養しています。