こんにちは日本共産党の渡辺みつるです

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学校給食の調理部門に民間委託!

2011年06月28日 23時44分24秒 | インポート

 今日は朝から“濃霧”の影響もあって、国道36号線で出勤時間帯に2ヶ所で交通事故が発生し渋滞でした。朝、8時に出勤しましたが役所(議会中)に着いたのは9時過ぎでした。

 今日で16人の一般質問が午後3時半頃に終わりましたが、その後の補正予算の審議で、議会が終わったのは“8時59分”でした。12時間市役所にいたひとになります。

 何故、補正予算審議が伸びたのか?その要因は、第1学校給食センターの調理部門と配送運搬業務の民間委託に関わる予算(債務負担行為=長期(来年から)の借金を前倒しで議決)を審議していたから・・・。理事者の提案説明・資料・答弁など質疑を聞いていてもとても賛成出来る内容ではありません。まさに“民間委託ありき”の提案でした。①配置転換における労使合意が得ていない②昨年の12月議会において全会派一致で採択された地元業者(弁当仕出し組合提出)の参入も含めた陳情を考慮していない(議会軽視)③債務負担行為に関わる資料内容の情報開示④民間委託をすすめる上での法令遵守への疑問など提案の手法が拙速と思う内容もあり、民主・市民の風(6人)と一緒に採決で反対を表明しましたが、2/3の賛成多数で可決されました。

 今後、民間委託に関わる事業所の選定作業などがはじまりますが、私たちとしては、問題点をしっかり調査しながら学校給食が安全に維持できるようにチェック機能を発揮していきます。

 次には、家庭系ごみの有料化、そして市立中央図書館の指定管理者問題など、市民に直結する問題が山積しています。議会は、最終的に数の論理で決まります。もっと市民的な運動がなければ行政改革の名で推し通ってしまいます。

 私が議員になった20年前の学校給食に対する当時の市長と教育長は、「給食は教育の一環だから直営を維持する」との答弁でした。行政の継続も20年間経過すると忘れ去られるものですか?市民の公平感を理由に値上げ、そして官民格差を理由に公務員の賃下げをしていては、地域経済の活性化の打開策にはならないと思います。もう15分で日付がかわります。お休みなさい!


多機能型地震観測装置が設置されます!

2011年06月26日 13時13分19秒 | インポート

 今日は道内“晴れ”マークの1日との報道でしたが、苫小牧はいつものような“冷夏”の日々ですネ。(熱帯夜で過ごしている長男・次男は大変でしょう)

 今朝は目覚めると“いつも”の痛みが生じて、我慢が出来ず、午前中静かに寝ていました。

 昨日、母の様子を見に行くと、全身に湿疹のような状況になっていて、時々険しそうな顔つきを見せました。どこか痛いのかナ?と思っても表現することが出来ないだけに、見ている方が辛くなります。いまのような“冷夏”だと“ねたきり状態”の母にとっても過ごしやすいのですが、気温が上がると汗もなどで大変(昨年体験していますから)です。

 さて、気象庁が東日本大震災、そしてその後の余震において、緊急地震速報の精度不足を解消するため、全国に既設している188ヶ所の「多機能型地震観測装置」を設置しています。が、海溝型の巨大地震に対する緊急地震速報の精度向上のために、東日本の太平洋沿岸を中心とした地域に、新たに40ヶ所設置することを決めました。私は、6月定例議会の一般質問で「新たに新設予定の“多機能型地震観測装置”Img_2401 は苫小牧市も設置するように・・・」と質問したところ、「道内では苫小牧市も含め6ヶ所設置する方向。既に、場所の選定も行われ、緑が丘公園内に・・・」と言う方 向性が出ています。安全・安心なまちづくりを進める上で、より正確な情報が入手出来ることは良いことです。他市に設Img_15861_2 置されている“多機能型地震観測装置”の資料を添付しました。

 この装置は、地下100㍍に機器を設置するためボーリング工事が行われます。他にも機材を設置するため、最低でも6㍍×4㍍の敷地が必要。

 最近、テレビや携帯電話に「緊急地震速報(予報)」が出ますが、“多機能型地震観測装置”によって、P波またはS波に伴い100ガル以上の加速度の揺れが観測された場合もひとつの条件となるだけに、早い設置を期待したいですネ。過日の地震のとき、私の携帯電話に聞き慣れない“鈍い音”が送信されてきましたが、あの音が「緊急地震速報」なんですネ。


放射能線量測定器の購入・設置を検討!

2011年06月25日 19時59分30秒 | インポート

 昨日はインターネット中継で一般質問を見てくれた方々から激励のメールをたくさん頂き、ありがとうございました。「質問は辛口。食べ物は甘口・・・」と私の大好物を届けて頂き感謝感激です。そして今日は帰宅すると玄関先に(議員20年:全国市議会議長会特別表彰のお祝い)綺麗なお花が届いていました。

 昨日は午後一番(午後1時から)から有能な新人議員さん2人Img_2484 の間に挟まって一般質問をしました。(添付写真)

 質問内容は①防災対策②家庭ごみ有料化問題と(被災地の)災害廃棄物処理③住宅用火災警報器の促進、公共施設の防火管理者問題です。

 質問内容のほとんどは今夕の地元紙が8割程度報道(社会面Img_15801 も含め)してくれました。(添付写真)

 最初に取り上げたのが防災対策です。何よりも安全・安心なまちづくりを進める上で緊急性もあり政治姿勢として“泊原発”問題に対する市長の見解を求めました。

私は、「福島原発事故によって原発への危険性は国民だけでなく世界各国に“安全神話”が崩壊したことを事実で明らかになった」と指摘し、「泊原発から100㌔圏域で生活する苫小牧市民の不安と安全も含め泊原発のプルサーマル化に反対し、関係機関に対し働きをかけるべき」と聞きましたが、市長は「・・・原発は何よりも安全性の確保が不可欠で、安全対策に万全を期する必要がある。プルサーマル計画は国の施策であり、国に於いて安全性の検証を行い、責任ある説明が必要であり、国のエネルギー政策を注視したい」と抽象的な答弁だったので、「市長の姿勢には、原発の“安全神話”がまだあるのか」と再質問すると「震災で事故が起きた以上、今後は安全・安心という意味から、(新設も含め)これ以上の取り組みは難しくなったと思う」と見解を示しました。

同時に私は、「市民のなかで(苫小牧市の)放射能線量値はどうなっているのか」という不安の声に「放射能線量測定器を購入・設置すべき」と提案。「・・・市民の安全・安全を確保する観点から市独自の測定を検討している」と購入・設置を前提にした姿勢を示しました。

明日以降も質問内容を報告します。


明日から6月定例議会!

2011年06月22日 20時19分04秒 | インポート

一昨日、釧路の兄が母の見舞いに来てくれましたが、残念ながら“目覚める”様子もなく、一方的な会話になったようです。今日様子見に行ってきましたが、夏を迎える準備というか、散髪してもらってスッキリした髪型になっていました。

さて、明日から改選後初の6月定例議会(23日~71日)がはじまります。余談ですが、議会開会早々に20年議員の証書授与があります。田村雄二議長、三海幸彦議員、守屋久義議員と私の4人(山中保前議員も該当)です。記念バッチを見ましたが、通常のバッチと違い、真ん中に“青色”のガラス?が付いています。これで10年、15年も含め、議員バッチだけでも9個目になりました。ありがとうございます。

今回の一般質問には、1期目当選した6人を含め16人が登壇します。私自身は、翌日24日(金)の午後1番目の予定で40分間質問を行います。既に通告していますが、選挙戦で公約した地域防災対策を中心に選挙管理、消防の危機管理に関わる諸問題をとりあげます。事前の理事者とのレクチェアでは1回目の質問趣旨を文章ですべて通告していますが、一般質問の醍醐味は答弁を聞いて、2回目以降(再質問)が一番“緊張感”という空気が議場を走ります。それは、“すり合わせ”がないから。

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年前の初質問を思い出します。当選後、公約実現のために一生懸命汗をかいて質問のために勉強しました(緊張しました)が、答弁を聞いてガッカリしました。「検討します」、「調査・研究します」などと言われると、やってくれるものと勘違いします。が、「検討します」はやることではなく、“具体化するか否か”を検討することを後で知りました。もつと悪いのは、「調査・研究・・・」です。「ひとつの提案として確かに(質問で)聞きました」という確認をしただけで、何もやらなくても影響はありません。今の時代ですから、インターネットを利用すると他都市の取り組み状況は一目瞭然ですから。ですから、私は質問の際には、必ず(裏付け)資料を持って曖昧な答弁にはしつこく食い下がります。(巳年ですから)

今回も1期生の質問を謙虚に聞きながら勉強させて頂きたいと思います。6人の1期生のみなさん頑張ってください。多くの市民が期待していると思います。

私の質問内容は、明後日以降のブログのなかで紹介します。まだまだ、勉強しなければなりませんので、この辺で終わります。


先輩からの手紙!

2011年06月20日 22時59分06秒 | インポート

 昨日、在京の大学時代の先輩から手紙と資料が送られてきました。A4サイズの封筒には、先月開催された“70工学院同窓会”の写真入り手作りニュースが同封されていました。私も出席する予定でしたが、勤医協苫小牧病院開院30周年記念祝賀会と重なったために参加出来ませんでした。写真で先輩たちの顔を見ながら、「・・・皆さん渡辺さんに会いたがっていましたよ。今度会えることを楽しみに・・・」といつも後輩を気遣う先輩の気持ちが伝わり、感謝、感謝で一杯です。(今度というのはいつ?になるかは判りませんが、必ず出席するぞ!)

“70工学院同窓会”は、1970年前後の工学院大学2部(夜間)に通いながら自治会など学生運動を共に過ごした先輩、後輩の有志の会。昼は働き、夜は学び、そして授業が終わると学生運動(学費値上げ反対運動など)の日々でした。先輩たちのなかには5年生・6年生が常識という世界。「・・・自治会活動に参加すると留年は当然の宿命」とまで言われた時代でしたが、年間収入の1/3が授業料だっただけに、「何としても4年間で卒業しなければ!」と苦手な専門書を読みながら、何とか4年間で卒業することが出来ました。入学時134人いた同級生のうち、仕事が忙しく通学が困難な仲間、授業料が払えなくてやめていく仲間。そんな学生生活で4年生に進級できたのは19人。そのうち私だけが2単位不足の条件付きでした。1年生の時の“図学”(2単位)がどうしてもとれなくて4年間でようやくOKに!勤務先の仕事関係で国会図書館や特許庁などに資料探しで通いながら“卒論”書きが出来たのは助かりました。

 私が入学したのが1971年4月でしたから40年前のこと。エンジニァを目指して電気工学を選択したものの同級生のほとんどが工業高校の電気科を卒業した面々。仕事を覚えるのも大変でしたが、それよりも学科の単位を取るのは四苦八苦でした。そうした苦労が、(調査活動など)議員活動のなかで生かされていると思います。高校時代も含め、いつも私の周りには頼りになる先輩がいて、見守ってくれました。先輩からの手紙を読みながら、夢中で学生運動に参加していた40年前を思い出しました。