こんにちは日本共産党の渡辺みつるです

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週末のこと!

2011年05月29日 22時51分43秒 | インポート

なかなか暖かくならない天候のなかで、5月が終ろうとしています。5月31日は、私の父が53年目に亡くなった命日を迎えます。昨年は母も入院中だったので特別なことは出来ませんでした。(50回忌が過ぎているので・・・)

 午後から母の様子を見に行ってきましたが、天候のように元気がありません。とにかく同室者も含め、寝ている時間が多く、無理に目を開けても“すぐに眠ってしまう”という状態が続いています。「90歳にもなると寝るのが仕事のようなもの・・・」と言う方もいますが、92歳まで元気にいただけに、意思表示も出来なくなると寂しさを感じます。

 数日前に何気なくNHK番組で戦前の“樺太”の模様が放映されました。戦前に建設した銀行で今でも残っているのが旧拓殖銀行だというもので、貴重な建造物に指定されていました。母が元気であればきっと見たかった映像だと思います。

 午前中は、母が元気だった頃にお世話になった介護センターコスモスの家族会の役員会(私が会長ですが)に出席し、総会前の準備を行いました。今後、介護センターコスモスさんも勤医協在宅との統合で、家族会のあり方も再検討が必要となってきました。高齢者共同住宅、ショートスティなどが建設する計画があります。が、一方でグループホームなどでは待機者は現実いてもすべてのグループホームが満床なのか、疑問です。特定の施設に希望が集中して待機者が増えているのでは?という疑問があります。介護保険について、また新たな制度改正の動きが出ていますが、決して利用者・入所者にとって良い改善案でないことは確かだと思います。勉強しなければならないことがたくさんあって6月議会の準備はたいへんです。


平和大行進、苫小牧入り!

2011年05月26日 16時48分12秒 | インポート

 午後2時からの2011年苫小牧平和大行進・苫小牧集会に参加するため、若草中央公園に行くと、会場は“靄”がかかりちょっと寂しさを感じましたが、平日のImg_15611 午後なのに次々と“のぼり”を持った参加者12団体43人が結集しました。(添付写真)

 今年の夏(広島:8/3~7)開催される原水爆禁止2011年世界大会は、“ノーモアヒロシマ・ナガサキ、ノーモアヒバクシャ、大震災・原発事故の被災者と連帯して”取り組まれます。同世界大会の成功にむけて、毎年取り組んでいる平和大行進の幹線コース通し行進者 竹田 昭彦さんとえりもコース行Img_15621 進者 小川 基弘さんが苫小牧入りしました。

 特に、今年は3.11大震災と津波、その後の福島第一原発事故という未曾有の大災害のもとで開催されます。人類が築いてきた科学技術や資源を、戦争や巨額の軍事費、地球規模の投棄に使うのではなく、平和と自然にやさしい自然環境、教育や福祉、貧しい国や災害復興の援助に使わなければなりません。

 集会には、新婦人の皆さんが“白くま”帽子をかぶって参加し、集会参加者に「・・・温暖化によって白くまが絶滅の危機にある。自然環境を守ることと核兵器廃絶、戦争をしない運動は直結すること」と紹介していました。平和大行進者の挨拶でも、「原発と核兵器は人類と共存出来ない」と強調。その後、市内4㌔を45分間かImg_15641 けて行進しました。途中で、市役所北側庁舎(国道36号線側)の壁には“核兵器の廃絶と平和を願うまち”(添付写真)の懸垂幕が平和大行進を歓迎してくれました。

 昨日、書き込みました“原発学習会”について、詳細の問い合わせがありましたので日時と場所、講師を紹介します。6/6(月)午後6時半から市民会館小ホールで行います。講師には日本科学者会議会員・原発問題全道連絡会事務局次長の石崎 健二さんがお話しします。関心のある方はぜひ参加してください。

 夜は、苫小牧市と友好都市を締結している中国秦皇島市山海関区友好訪問団・歓迎会に参加します。


救援・復興支援ボランティア出発!

2011年05月25日 21時32分03秒 | インポート

 今日から29日までの5日間、第1陣として東日本大震災の救援・復興の支援ボランティアに日本共産党苫小牧地区委員会を代表して2人が岩手県気仙沼市にフェリー(午後7時半)で出発しました。大変ですが健康に留意して頑張って来てください。

党地区委員会が昨夜、緊急に支援物資をよびかけたところ、午前中までに多くの支援物資が届きました。私は自宅にあった手付かずの“紙オムツ”を持参。朝、事務所に着くと机の上には味噌、醤油、砂糖、インスタントコーヒー、ミルク、石けん、洗剤、マスクなど日常生活用品から衣類まで、用意した12箱のダンボール箱は満杯になりました。ご協力に感謝申し上げます。今後も、2人体制で救援・復興の支援ボランティアを計画的に派遣する予定です。

支援ボランティアに参加した2人の報告会を含め、6日(月)には市民会館で“原発問題学習会”を計画しています。

 午後のこと。後援会員さんから(携帯に)電話が入り、「教え子から“紙オムツ”が倉庫にたくさんあるので・・・」と言う相談でした。その数を聞いて驚きましたが、善意が生かせるように検討しています。

 夜のこと。一人で夕食の用意をしていると、今日だけでも6件目の相談が入りました。●●市に住む被災者の方でした。相談内容は書き込み出来ませんが、会話をしているなかで、初対面(電話ですが)ながらも、お互いに知人を介して知り合いであることが判りました。まさに、偶然です。喫緊にお邪魔することになりましたが、相談を解決する方が先決です。

 夕方に後援会員宅を訪問すると「渡辺さん、家の人(夫のこと)がん検診を受けないと言うの!本当に頑固で困ってしまう」と本人を目の前にして相談されました。これまた偶然ですが、昨日の地元新聞に掲載された記事を差し出しながら、「実は、私自身がいま、PET-CT(全身がん検診)の予約を市役所でして来たんだヨ!」と説明すると、「俺もうけるかナ!」と市役所に予約して来ました。「渡辺さんに話して、その気になって助かった!」と奥さんも大喜びでした。


教職員の「多忙化」を考える!

2011年05月24日 23時09分19秒 | インポート

 関西方面は真夏日のような気温なのに、何故か苫小牧は今日も「寒い!」ですネ!Img_15581 月上旬の気温です。でも、我が家の狭い庭には元気に“雪柳”、“ムスカリ”などが咲いていて気持ちが“ホット”します。

 野山ではいま“山菜”が採れています。近所の方々が「“忙しい”から採りに行く暇もないでしょう。少しですが・・・」と“たらんぼの芽”、“ふき”などを届けていただき、春の“旬”を味わっています。過日のこと、「渡辺さんは“山菜”好きですか?」と聞かれたので「4歳よりも“山菜”は良いですネ」と冗談話をしたのですが、後日「四歳ではなく採りたての“山菜”です・・・」と笑いながら届けてくれ、私のくだらない“駄洒落”にも付き合ってくれました。

 いま読んでいる定期月刊誌に“教職員の異常な「多忙化」問題Img_15571 を考えるレポート”が特集として掲載されています。冒頭にその一部ですが「朝7時に出勤し、夜は9時か10時まで学校にいる。それでも仕事が終わらずに土曜日も学校。日曜日は泥のように寝る。慢性的な疲労で顔に表情がないのが自分でもかわる。子どもの前では“笑顔”をつくるように・・・」と首都圏のある20代後半の小学校教諭の話が紹介されています。これは、決して首都圏の話ではなく、全国各地で同様の問題が起きていると思います。「多忙化」の根本的な要因は、教職員の数が少ない(議会でも非正規職員の増加を取り上げました)のに、なすべき仕事が多いという“悪循環”です。例えば、朝7時から夜10時までの仕事を見ると超過勤務によって、長時間労働や時間外手当が問題となりますが、公立学校の教職員は“教員給与特例法”という法律で、残業手当を支払わないと決めています。教育「改革」=「改悪」の名のもとに「多忙化」をさらに作り出しています。1990年代に“過労死”が社会問題になりました。学校現場では、労働安全衛生法が守られているのでしょうか?教職員の労働条件の改善はもちろんのこと、何よりも「多忙化」の改善は“子どもたちの教育条件”に欠かせない課題であることを忘れてはならないと思います。

 公園で遊んでいた●●小の子どもたちから「あっ!渡辺みつるさんだ・・・」と朝宣で顔見知りになった子どもたちから声をかけられました。

 6月定例議会にむけて、その実態をぜひ調査し、問題があれば改善するように提案したいと思います。


勤医協苫小牧病院開院30周年!

2011年05月22日 15時44分39秒 | インポート

 昨夜は勤医協苫小牧病院の開院(1981416日)から30年が経過したことを受け、開院30周年祝賀会(第31回友の会・春のつどい)が開催され来賓として参加しました。

 会場の受付には、時間前から人の列。毎年行っている“友の会・春のつどい”とはPhoto ひと味違って、節目の祝賀会ということもあり300人以上が参加し大盛況でした。同病院に勤務していた職員(退職OBも含め)など全道から多くの同僚・仲間が出席していました。(再会出来て楽しかったです)

 節目の祝賀会でしたが、歴代市長として初めて、岩倉博文市長が忙しいなか激励に駆けつけてくれて、「・・・30年間の時代の変化は激しく、ここに至るまでは大変なご苦労があつたと拝察・・・『何よりも健康で暮らしたいと願う人々の思いに心を寄せる』という貴院の基本理念に賛同する多くの市民の支持があったればこそ、今日を迎えたことに感謝と敬意を申し上げます」と来賓を代表して祝辞を述べました。私も、20年前まで元職員という立場からテーブルスピーチをさせていただきました。24年前の33歳のとき、勤医協総合病院札幌病院(入院管理課課長)から転勤。いっせい地方選挙が終わった年でした。勤医協での15年間のなかで、特に、労働組合運動、医療経営や地域医療づくりは大変勉強になりました。1980年代は臨調・行革路線のなかで医療改悪が続き、「お金のない人は医療にかかれない」という状況を作り出しました。慢性疾患(高血圧、糖尿病など)があっても、クスリを間引きして我慢していた方。孫の貯金箱から400円を借りて受診していたおばぁちゃん。経済的理由などで中断する方が増えた時代でした。(今も同じですが!)患者訪問をすると「仕事が忙しく受診出来ない」などの相談を受けて、職場で議論を繰り返し、「働く人たちの医療機関なんだから夜間診療を実施しよう!月に1回は日曜特診を!」と取り組みました。無差別・平等の医療はこうした地域からの声、運動によってつくられ守られ、発展してきたと思います。そして、いまの無料・低額診療制度に生かされています。ひとつの小さな民間病院でも、その取り組みの姿勢によっては、行政にも大きな変化を作り出すことが出来ます。

 大震災後、同病院からは医療派遣が続けられています。単なる、節目の祝賀会ではなく、より市民の暮らし、福祉を守る砦として、まちづくりにも寄与する医療機関として発展することを私も期待しています。

 9月には、作家で「9条の会」の呼びかけ人の一人でもある“澤地久枝”さんの「30周年記念 市民講演会」(市民会館大ホール)が企画されています。今から楽しみです。