ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

月を罪

2017-12-25 04:20:03 | 短歌





ひとすぢの 乱るる声も なかりせば いかにて月を 罪といはまし




*「せば~まし」の半現実的な仮想をする意で、「もし~なら~だろう」という感じになりますが、疑問詞が入ることで意味が微妙に変わってきます。

一筋の乱れる声がなかったら、どうして月を罪というだろう。

仮想というより現実味を帯びてきますね。

実際かのじょは声を乱して人の悪口を言ったり、嫌なことを言ったりすることはなかったでしょう。むしろ人にいいことをしてあげようと、気持ちのいい、いいことを言ってあげていた。ともすれば壁にぶつかり、気持ちが萎えていく人間に、きれいな言葉を投げかけて、励まそうとしていた。

いい加減な気持ちでかのじょの言葉を聞いていたものは、かなりショックだったでしょう。予想に反して、美人がとてもいい人だったからです。

馬鹿というものは、美人というと、頭から馬鹿な奴だと思いたいのだ。それでなければ自分が辛すぎるのです。

美人を手に入れるためには、あるいは美人になるためには、それなりの勉強をして高いことがわかったりできたりしなくてはならないのだが、凡庸の人というのは努力をしない。それで美人が欲しいものだから、美人を馬鹿なものだにして何とかしようとするのです。

それで結局とんでもないことになる。

思い通りに美人が馬鹿にならないというだけで、あられもない狂い方をして、阿呆になりすぎ、反動が返ってきたときにようやく我に返る。

馬鹿とはそういうものだ。自分の努力不足を人のせいにするから馬鹿になるのですよ。

何度も言われていることでしょうが、何度でも言いましょう。それでなければ人間は変わらない。自分が変わらない限り、人間はいろいろな人に同じことを言われ続けます。それから逃げている限り、永遠に馬鹿は直らない。

同じ失敗ばかり繰り返して、自分がどんどん嫌なものになっていくのです。そしてまた、美人がうらやましくなる。

女性の美人というのは、こういう馬鹿の嫉妬に、宿命的に馬鹿にされるものだと思っておきましょう。馬鹿というのはきれいな女性がうらやましくてたまらないのです。なぜかということは深く考えなくてよい。馬鹿もそれほど深く考えているわけではない。ただ、美女がうらやましいと感じる何かの装置のようなものが、馬鹿の中にはあるのです。

ですから、自分を立てて美しくなっていく女性は、馬鹿の嫉妬に耐えていく精神力をも養っていかねばなりません。忍耐強くなっていかねばなりません。

どんなに苦しくても、自分を崩さない強さを学んでいかねばならない。

美女の道というものは甘くないのです。こういう勉強ができてこそ、本当に美しくなれる。

いつまでも他人に甘えている馬鹿は、いつまでもきれいになれないままです。






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