すずなりの あをき実をなす いつはりの 林檎たふれぬ 幻想の種
*インスタグラムで、本物の作品を探して思うことは、それがいかに少ないかと言うことです。
ほとんどのひとが、自分ではやっていない。ほかのだれかの霊に自分の仕事をやってもらっているのです。今はそういう時代なのだ。
馬鹿ばかりが繁栄しているので、馬鹿で自分を立てようとしている人ばかりが目立つ。本当の自分の力でやっている人は本当に少ない。
偽物の中には、それで本当によいことをやっていて、本物でないのが激しく苦しいものもあるのですが、やはり偽物は偽物だ。どんなにきれいなことをやっていても、どこか臭い。それはことがあれば容易に出てくるいやなものを、中に隠している。
青い実というのは、かのじょのこの歌から発して、虚偽を表します。
花の実の 朱をあざむきて ことごとく 青きにしたり 阿呆の宴
馬鹿が嘘ばっかり言って、赤い花の実を全部青にしてしまったよ。
これが秀逸なので、わたしたちも青い実というのを虚偽の隠喩に採用しているのです。
で、表題の歌になりますが。
すずなりに青い実をつけた林檎の木がとうとう倒れてしまった。あれは幻想の種だったのだ。
つまりは、最初から嘘だったという意味です。最後の七はおもしのようなものだ。歌全体に響く。
世の中を見渡すと、偽りの実をなす林檎の木は栄えに栄えているように見えるが、じつはもう倒れているのです。
馬鹿は正体を見破られ、切ない自分の本当の姿を見られながら、木にぶらさがっているしかない。みんなでかろうじて立っているように見えながら、もうとっくに腐っている。
そのままではいずれ、吸い込まれるように真っ逆さまに落ちるのだが。
馬鹿にはなにもできないのです。
なにもしたことがないからです。
いずれ、この世のすべての偽りの林檎が倒れたら、今度こそはこの世に、美しいまことの林檎の木が生えてくるでしょう。