ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

皿のまなこ

2017-09-18 04:45:47 | 短歌





久方の 月にもあばたは あるものと 皿のまなこに 月をおほひぬ





*「久方の」は「天」とか「月」とか「光」とか、天に関するものにかかる枕詞ですね。基本中の基本ですから歌を詠む人で知らない人はいないでしょう。月や空にあるものを詠いたいとき、調子を整えるのにとても便利です。百人一首のこの歌は有名だ。


久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ    紀友則


「久方」というのは、遠い、という意味でしょう。空にあるものは地上よりはるかに遠い。世知辛い世の中を生きている人間にとって、はるかに清く高いものを感じさせるのが空だ。枕詞はいつも訳することはしないが、強いて訳すなら、遠い彼方にある、とでも訳しましょうか。

遠い彼方にあるあの月にも、あばたのような欠点があるものだと、皿のように目を広げて見ている、それが月をまるごと覆っているかのようだ。

それはもう、人間というものは、美人の欠点を探すためには、熱心に骨まで見通すほど見つめるのです。それでいろいろなところを見つける。

目が若干細いとか、肩が少しいかっているとか、お鼻が少し上を向いているとか、あごが大きいだとか。そんなのはほんの少しで、かえってその子らしい個性でもあるのだが、馬鹿な人間は何でもいちゃもんをつけて、いやなものにしたがるのだ。

美人がうらやましくてたまらない。自分はどんなにがんばってもあそこまできれいになれないのだ。だからどうしても価格を下げて、安いものにしたい。それでないと自分がつらくてたまらない。

昔から馬鹿はそういうことばかりしてきたんですよ。人と自分は違いますから、どうしても他人への嫉妬という感情は湧くのだが、それで自分は無価値なものと決めつけてしまい、全然自分というものを生きなくなると、人間は馬鹿になって嫉妬ばかりするようになる。自分よりきれいな人、自分よりすごい人、自分よりできる人、みんながうらやましくてたまらず、そんな人を馬鹿にするためだけに生きるようになってしまうのです。

そして世界にある、あらゆる神の創造にケチをつけ始める。みんな馬鹿なものなのだと決めつけて、どんどん破壊していく。なんでもかんでもまぜっかえして台無しにしてしまうのです。

自分がつらい、自分は何もできない馬鹿だと思い込んでいる。そういう人間を馬鹿といい、それが究極、世界を滅ぼす悪魔なのです。

神が作ってくださった自分を信じないということが、すべての人間悪の始まりなのです。

月にはあばたがたくさんありますよ。知っているでしょうけどね、いろいろなクレーターがある。ここから見る月は真珠のように清らかだが。

だがそのクレーターが、かすかな文様となって、不思議な月の陰影を作るのです。その陰影がなければ、月は月ではない。

あのかすかな陰影を見て、人は何かを感じてきたのです。






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