酒はまた うたての水と 飲みかはし けふもこきしく 愚者のいひわけ
*人間の歌が続きます。こうしてみると、わたしたちとは違うでしょう。なんとなく自分に近いものを感じませんか。あたたかい肌の感触がある。
「うたて」は「うたてし」の語幹で、嫌だとかうとましいとか君が悪いとかいう意味があります。「こきしく(扱き敷く)」は、しごき落として敷き詰めるという意味です。紅葉や花が散って地面に敷かれているように落ちている情景を描写するのに便利な言葉ですが、ここではちょっと違う使われ方をしています。
酒なんてまた、嫌な水だと言って飲みかわし、今日もくだらない言い訳を、紅葉のように散らしてそこらに敷き詰めていることだ。
なんだか情景が見えるようですね。よく馬鹿なことをやった男が、仲間を見つけて酒を飲んでいる時になど、こういうことになる。
女房が悪いんだ課長が悪いんだ政治が悪いんだと、何かにつけて人の生にして、いろいろとくだらない理屈をこねては馬鹿なことを言いつのり、どうにもならない言い訳を自分の周りに敷き詰めている。
人間というものは、こういう人間の情けなさをよく知っている。自分もまた、つらい時にはよくこんな馬鹿になってしまうものだからだ。
わかっていても甘えたいときはあるでしょう。
酒というものは、まだつらいことの多い自己存在の若い時代には、必要なものです。ひと時でも、自分を忘れることができる。酔っ払いも、よほどひどいものでなければ、周りも大目に見てくれます。悲しいのは自分も同じだからだ。
だが人間として成長してくると、あまり酒は飲まなくなりますよ。必要なくなるというか、欲しくなくなるのです。酔うて忘れなくても、自分というものがよくなってくる。自在に動ける自分というものを生きていると、酒で忘れたくなるほどのつらいことなど、あまり出て来なくなるのです。
酒がいるのは、嫌なことをしてしまった自分が、まだ重く自分の中にいて、影のようにうずいている時だけだ。そんな頃は、ほどほどになら、神も酒を飲むことを許してくれます。
酒は静かに飲むべかりけれなんて歌を詠った歌人もいましたが、それも自分の内部にある矛盾が、痛くきつかったからでしょう。そういう者には、自分を浄化するための酒も必要なのでしょう。
ですがいつまでも、酒を美化していてはいけませんよ。それは本当は、毒なのです。