ねぬなはの 苦しき闇の 道に落ち われをすくふは われのみと知る
*今週はいくつか詠めましたが、やはり本調子ではありませんね。あまり切れ味がよろしくありません。馬鹿の妨害は収まるどころかひどくなる一方です。今もまるで脳みそを蝋で固められているかのようだ。想像力がよく働かず、言葉があまり出てこない。このエッセイを書くのにも、かなり苦労しています。それはそれとして。
「ねぬなはの」は「苦し」を呼ぶ枕詞ですね。だから特に訳しません。苦しい闇の道に落ちて、自分を救うのは自分だけだと知る。これはもう地獄に落ちるしかない魂のために詠んだものです。
彼はあまりにひどいことをやりすぎて、限界を破ってしまい、解脱の救いを浴びることができなくなってしまったのです。永遠に嘘で生きていくと決めて、人のものを全部盗んで自分の栄光と幸福を偽り、全世界をだましている。そういうことをしてしまったら、もう終わりだったのです。
人間が、まだよいことがわからなかった時代なら、自分をごまかせたかもしれないが、人間の魂が成長してきて、愛を感じる感性が伸びてきた今なら、もう嘘の幸せに酔うことなどできない。何より、自分が愛であることが、一番の幸せだということが、みんなにわかってきたからです。
だから彼も、愛になりたい。愛になりたいのに、なれない。自分は嘘ばかりで生きていて、もうやり直すこともできないほど、真実から遠く離れてしまったからだ。
かわいそうに彼は、一生あの嘘芝居を続けなければならず、一生魂のねじれに苦しまねばならないのです。そして死後は暗い地獄が待っている。
そんなことになっても、自分だけは自分を見捨てるなというのが、表題の歌です。情けない馬鹿を繰り返して、とうとう最低のことになった自分を、自分だけは見捨てるな。地獄に落ちても、何とか自分を立てて、やり直せ。
厳しいことですがね、それ以外に救いの道はない。
神に見捨てられて、孤独の地獄に落ちても、自分だけは自分についてくる。その自分こそが、彼の最後の救いなのです。