春に咲く 花おほけれど われのほかに 冬をたふるは なきとこそいへ
*これはすぴかの作ですね。これを書いているのは11月19日ですが、今ツイッターではすぴかが締め歌5首をやっています。
ツイッターでは次々に、いろんなものがいろんなことをやっています。大火のコントも、今のところまだ終わりそうもありません。
この項が発表される頃には、どうなっているかはわかりませんが。ツイッターの活動はいろいろと各方面に影響を投げているようですよ。それで表向き完全無視というのがかえって痛いですね。
よほど重大だということです。
それはそれとして、これは、読んだらわかるでしょう。冬に咲く花と言えば山茶花のことだ。冬の最中に燃えるように赤く咲いてくれる花のことです。
この歌の先に、すぴかのこういう歌がありました。
明々と 光るごとくに 咲く花の何故冬を よりしかととふ
あかあかとひかるようにさくその花は、なにゆえにその季節を冬に選んだのかと問う。
するとそれに花が答えたという感じで詠んだものが、冒頭の歌です。
春に咲く花は多いが、わたしのほかに、厳しい冬を耐えることができるものはないといいます。
終わりの七は係り結びですから、強い意が生じますね。まるで冬に生きる厳しさをいい名がら硬くくちびるを結んでいるようだ。
冬に咲くことができると簡単には言うが、それは咲いているものにとってはまた、難しいことなのでしょう。
それがどんなことなのかは、山茶花になってみなければわからない。
さざんかのさきにほふ野にひとりゐてわびしきことをたふるすべとふ 夢詩香
なにごとにつけ、先達というのはいるものだ。厳しいことを耐えないで生きていけるものなどいない。だれにも冬の最中を耐え忍んでいかねばならない時はあります。そんなときに、赤い山茶花を見るとほっとする。あなたも耐えているのかと。
こんな季節に咲いてくれる花があることを、人はかみしめる。そして自分も生きていかねばと思える。