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熟年男の歳時記

趣味のバイク、料理、DIYや旅行記を中心に日々の暮らしと感じた事など気ままに綴って行きます。

ヨーロッパ旅行記~フランス編(アルル~エクス・アン・プロヴァンス)

2019-06-10 05:11:46 | 海外旅行
プロヴァンスを代表する町のひとつ、アルル。
ゴッホが滞在し多くの作品を残した町として有名なところですが、着いてみると知名度の割にはこじんまりした、ひなびた田舎町と言った印象。

早速ゴッホの作品に登場する観光スポットへ。
「夜のカフェテラス」に描かれた「カフェ・ヴァン・ゴッホ」
賑やかな広場に面して建っていますが、ネット上に店員の対応が良くないとあったので、外から眺めるだけに。


続いて訪れたのはゴッホが療養生活を送り、作品「アルルの病院の中庭」の舞台となった病院跡。
今は、店舗や図書館などが入る総合文化センターになっています。


中庭に置かれているゴッホの作品(写真)。


「アルルの跳ね橋」も有名ですが、当時の橋とは大分趣を異にしているとのことでこちらはパス。

ゴッホの足跡を辿るのはここまでにして、円形闘牛場へ。
ローマ時代、紀元1世紀に建造された闘牛場。
ローマのコロッセオと同じく、当初は人間同士拳闘の舞台となっていました。




町の中心、レビュブリック広場


2時間もあれば周り切れてしまうアルルの町でした。

次に訪れた町は、エクス・アン・プロヴァンス。
アルルのように遺跡は残っていませんが、セザンヌの町としても有名な所。

昔から泉が多く、町中には大小100以上の泉や噴水があるそうです。
中でも町の中心ド・ゴール広場に位置し、一番大きな噴水「ロトンド」


町のメインストリート、ミラボー通りには苔むした噴水も。


ミラボー通りに面して建つセザンヌが通ったカフェとして有名な「レ・ドゥー・ギャルソン」
生憎改修工事中でクローズ


町の中はこれと言った見所は限られている一方で、店の数は多くエクス・アン・プロヴァンスはショッピングを楽しむ町と言った印象。
最後にこの町で外せない場所は、何と言ってもセザンヌのアトリエ。
町の中心から歩くこと15分ほど、やや高台にあるアトリエ。


室内にはセザンヌの作品に描かれた陶器類など小物が所狭しと並べられており、セザンヌが生きていた時にタイムスリップしたような気分。




セザンヌが愛用したコートと帽子


エクス・アン・プロヴァンスは、セザンヌの足跡をのんびり辿り、ショッピングやマルシェを楽しむ観光地との印象です。

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ヨーロッパ旅行記~フランス編(ツールーズ~カルカッソンヌ)

2019-06-08 05:08:10 | 海外旅行
フィジャックを出て小さな村を訪れた後はフランス第4の都市、ツールーズへ。
因みに1位から3位は、パリ、マルセイユ、リヨン。

ここもフィジャック同様、見所は限られていて観光目的というよりはあくまても中継地。
とはいいつつも、町の起源は紀元前3世紀にまでさかのぼる歴史ある町ということで散歩がてら市内を散策。

旧市街の中心、キャピトル広場。
広場を取り囲む建物は市庁舎以外、全てレンガ色。


広場で唯一白色の建物は市庁舎。1760年完成
内部にはフレスコ画で飾られた大広間があるものの、この日はイベントのためクローズ。


旧市街の狭い通りはレンガ造りの古い町並みが続きます。


サン・セルナン・バジリカ聖堂
11世紀にサンティアゴ・デ・コンポステーラへの街道上の巡礼地のひとつになったことを機に拡張され、いまでは現存するロマネスク教会としてはフランスで最も大きいそうです。


ツールーズの後はプロヴァンスに移動。
途中、世界遺産になっている城塞都市「カルカッソンヌ」に立ち寄ることに。
因みに、来訪者の数ではモンサンミシェルに次いで2番目に多い人気観光スポットだそうです。

ツールーズから約100キロ、高台にそびえるカルカッソンヌが見えてきました。


最初の砦が築かれたのは紀元前3世紀、その後増築が繰り返され周囲約3キロに及ぶ城壁と52の塔からなる城塞都市へと拡大
入り口、ナルボンヌ門


城壁は2重構造。正しく難攻不落の城塞都市だったわけです。






有料になっているコンタル城からの城外の下町、パスティード・サン・ルイの眺め。


城塞都市であっても欠かせない施設のひとつは教会。
11世紀に建立されたサン・ナゼール・バジリカ聖堂


ステンドグラスが綺麗です。


拡大を続けた城塞都市ですが、17世紀に要塞としての重要性がなくなったことから、廃墟と化していたそうで、19世紀に入って重要性が見直され大々的に復元され、当時の姿を取り戻したそうです。

それにしても、クレーンなど無かった時代にこれほどの規模の城壁をよくぞ築いたものです。


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ヨーロッパ旅行記~フランス編(南西部)

2019-06-05 23:10:54 | 海外旅行
初めて訪れるフランス南部。
中でも南西部には、中世の面影を色濃く残す小さなが村が点在しています。

トゥールから約280キロ南に下り、中継地となるフィジャックへ。
フィジャックも昔の街並みが保存されており、一応観光地になっているようですが、あくまでも中継地。
わざわざ観光目的だけで訪れるとちょっとがっかりしそうな町。


広場と呼ぶには控えめな旧市街の中心


昔の家並み。空き家が目立ちます。


「小さな村巡り」の旅、まずはサン・シル・ラポピーから。
フィジャックからサン・シル・ラポピーまで約40キロ、川沿いに広がる綺麗な光景


途中目にした岩壁に食い込むように建てられた住居


フィジャックを出発して狭いくねくね道を走ること約1時間、最初の小さな村サン・シル・ラポピーに到着。
切り立った断崖に佇む15~16世紀に建てられた中世の街並みは絶景そのもの。


町の中は狭い路地を挟んで昔の街並みが良く保存されていて、どこも絵になる美しさ。






村の教会


村の高台からは村の全容とロット川を望むことができます。




サン・シル・ラポピーの次に訪れた村は、13世紀に築かれた村、コルド・シュル・シェル。「空の上のコルド」という意味だそうです。海抜は約300m。
(全体写真は無いのでネットから引用)


シャトルバスで上まで行き、徒歩で下りながら街中を散策。






この村は遠くから眺めて絵になる村です。

この辺りにはコンクなど他にも知られた小さな村や世界遺産のアルビなど観光スポットがありますが、狭い田舎道での移動に思いのほか時間がとられ、2つの村しか訪問できなかったのが残念です。


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ヨーロッパ旅行記~フランス編(モン・サン・ミシェル~トゥール)

2019-06-05 05:25:05 | 海外旅行
ジヴェルニーの次の訪問地はモンサンミシェル(1泊)、そしてロワール川沿いの町、トゥール(2泊)。

フランスでも人気上位の観光地、モン・サン・ミシェル。混雑を避けるには早めの行動、という事で宿の朝食もそこそこに10時前には現地到着。
お陰で午前中順調に内部見学を済ますことができました。




干満差が大きく、大潮の時は10mを超えるとか。昔浅瀬を渡ってモンサンミシェルを目指した巡礼者の中に命を落とした者もいたそうです。


午後からレンタカーで一路ロワール古城巡りの拠点の町、トゥールへ。
時間が限られており1日しかないため、シャンボール城とシュノンソー城の2城のみ見学することに。

ロワール流域で最大規模のシャンボール城。




この城の目玉となるレオナルド・ダ・ヴィンチ考案の2重らせん階段。


様々な形をした塔、よくここまで石を積み上げたものです。




282の暖炉に加え、ストーブも使って暖を取っていたそうで、これは高さ4m近くありそうなベルギー製セラミックストーブ。


表面は綺麗な装飾タイル張り。


当時城の敷地はパリ市内の広さを上回っていたというから権力の絶大ぶりが伺えます。
それも狩を楽しむために建設を命じたと言うから驚きです。


シャンボール城の後は、シュノンソー城へ。
ロワール川の支流、シェール川を跨いで建つ外観の美しさが人気の城。


川に架かる部分は2代目城主が命じて増設したもので、内部はギャラリー。舞踏会場になっていたそうです。


ジヴェルニーからトゥールまでの移動距離は約600キロ。距離の割には訪れた場所は3カ所だけ。実に効率の悪い3日間でした。

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ヨーロッパ旅行記~フランス編(ジヴェルニー)

2019-06-03 01:21:08 | 海外旅行
ベルギー・ブルージュからレンタカーでフランスのジヴェルニーへ。
モネが43歳の時ここに移り住み、亡くなるまで過ごしたことで知られる小さな村。
今の時期、モネの家の庭園は様々な種類の花が咲き乱れています。




睡蓮の連作が生み出された池。
生憎睡蓮の花はつぼみでしたがモネの作品を思い起こさせられる光景です。




庭の景色を満喫した後はモネの家を見学。
チケット売り場で30分、モネの家で更に30分の待ち時間。ヨーロッパの人にもモネの家と庭園は大人気のようです。


モネが寛いだリビングルーム。
当時のモネはさほど売れた画家ではなかったのか、家具や調度品は今の名声からはかけ離れた質素な印象。


壁には沢山の日本の浮世絵が飾られています。


2階の寝室からはモネが目にしたであろう庭の光景が広がっています。
モネはこの部屋で1926年息を引き取りました。


モネの家の前の通り、その名もクロード・モネ通りを歩くとひなびた村の景色が楽しめます。




暫く歩くとモネが眠る小さな村の教会にたどり着きます。




有名画家の墓にしては控えめなモネの墓。


生憎つるバラはつぼみ状態でバラアーチを目にすること出来なかったのが、唯一心残りのジヴェルニー訪問でした。

コメント (2)
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