土曜日は久留米地名研究会の例会が行われました。
今回は、関西のたつの市在住の、永井正範さんのお話が、ありました。
永井さんは、九州のご出身で、九州の歴史や地名にもよく精通されています。
昨年に引き続き2度目のご発表でした。
永井さんのお話は、あまり歴史に詳しくない人にも、とてもわかりやすく、面白く、
しかも深遠で、ロマンにあふれています。
昨年一回目のお話を伺って私は永井さんの大ファンになりました。
今回は八女と、矢部の名前についての話でした。
永井さんによれば、八女と矢部は元々同じだというのです。
永井さんは、地元ではこれは常識なのかと思っていたら、誰に聴いてもそのような見解はありませんという事で、
今回ご自分の考え
として発表されました。
八女は、かなり古くからある、地名で、その起源はよくわかっていません。
日本語において、もともとマ行だった音が、バ行にかわる事は、よく見られます。
例えば、「さみしい」が、「さびしい」になったり、「眼をつむる」と「眼をつぶる」という言い方があったり。
八女では、昔、「蝉」の事を「せび」といっていたそうです。
ですから、矢部は、もともと「やめ」だったのではないかと、永井さんは考えます。
では、なぜ「マ行」が「バ行」にかわったりするのでしょうか。
そのヒントは古代の中国語にあります。
中国では南北朝時代に、漢民族を南に追いやるように、北の遊牧騎馬民族の鮮卑族が進出して北魏を打ち立てます。
南に追いやられた漢民族は呉の国をつくります。北魏は、徹底して漢化政策をうちだして、漢人との通婚などもすすめ、
漢人の文化を受け継ぎます。
ところが、彼らは、マ行が発音できずマ行がバ行になってしまったそうです。
ほとんど漢人と同化してしまっても、発音だけはまねできませんでした。
マ行で発音するのが、呉音、バ行で発音するのが漢音だそうです。
もともとの漢民族の言葉が、日本に入ってきて呉音になり、北の遊牧民族の言葉が、漢音として伝わってきたのです。
面白いですね。
中国では、呉音は、すでになくなり、中国の呉音の研究者は、日本語を研究するそうです。
マ行がバ行にかわるのが、新しい言葉として、同じ鮮卑族が、打ち立てた隋や唐から入ってきた時に、
それっておしゃれ!とばかりに、日本古来の言葉でもマ行をバ行に変える事がはやったのではないだろうかというのが
永井さんの見解です。
現代でも和製英語をつくる日本人が、古代でも同じような事をしていたのかも知れませんね。
永井さんありがとうございました。
また、来年も、久留米地名研究会で、面白いお話を聞かせてくださいね。