ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

東畑開人 居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書 医学書院

2019-11-26 21:53:39 | エッセイ
 最近、読書の医学書院率が高くなっていて、編集者として白石正明氏という名前が頻繁に登場する具合になっている。
 さて、この本は、衝撃的な本である。冒頭から、ぐいと引きつけられ、そして最終章に至って、さらに衝撃を受ける。今の時点で、私に読ませるために上梓された書物、とすら言ってしまいたくなる。私にとって、衝撃的な本であった。そして、もちろん、私にとってのみでなく、ケアだとか、福祉だとか、医療だとかに関わるひとにとって、衝撃的であるはずである。
 著者は、臨床心理士、公認心理師、現在、十文字学園女子大学専任講師で、白金高輪カウンセリングルームを開業したとのこと。京大大学院出の博士である。1983年生まれということは、36歳か。若い。
 プロローグは、「それでいいのか?」と題される。
 小説めいた、ふたりの人物の会話から始まって、左のページの真ん中に、大きな文字だが、ごく薄いグレーの、つい気づかず読み飛ばしそうな色で「それでいいのか?」と記される。

「何もすることがないし、何をしていいかわからないし、どこにも行けないから、時間をつぶすためだけにタバコを吸う。」

などと書いてあるページをめくると、また大きな薄いグレーの文字で「それでいいのか?それが仕事なのか?」
 次のページ冒頭は、同様に「それでいいのか?それは価値を生んでいるのか?」
 その次の次のページの冒頭は、またまた同じ文字で「それでいいのか?それ、なんか、意味あるのか?」
 さらに、ふつうの文字で

「答えることのできない問いを前に、僕は答えることを諦める。/「わからない、居るのはつらいよ」/だけど、「声は問いかけることを止めない。」

 と書かれたあとにもういちど大きな薄い文字で「それでいいのか?それ、なんか、意味あるのか?」、幻聴のように、どこからか聞こえてくるかのように記される。
 それから、またふつうの文字で

「そう、この本は「居る」を脅かす声と、「居る」を守ろうとする声をめぐる物語だ。」

とあって、プロローグが終わる。
 そうこの本は、物語である。一個の小説である。フィクションである。著者の実際の体験や調査で得た事実を断片化し再構成した物語だ。
 しかし、著書が沖縄で実際に勤務した、精神科クリニック付設のあるデイケア施設での体験のルポルタージュでもある。ノンフィクションである。
 なんと言えばよいか、ここに描かれた核心はノンフィクションであり、事実関係的な細部はフィクションである、と言えばいいか。福祉関係のケース検討では、特に書物として一般に公開される場合、人物が特定されるような細部の事実は変更されていることが通例である。そういう通例に乗って、この書物も書かれている。
 しかし、著者が勤務した沖縄のあるクリニックというのは、調べる気になれば簡単に分かるだろう。まあ、このクリニックが違法なことをしたとかいうわけではないから、その点では、特に問題とすべきことがあるわけではないのではある。
 「何もすることがない、その場所にいるだけ、それが仕事だ」というのは、それだけ聞くと、現代社会において、そんなことが許されるのか!とか非難を浴びてしまいかねない事態にも見える、それで給料もらっていいのか?と世の中の人びとから糾弾されかねない。
 この本は、そのうえで、「居る」ということの重要性、というか、「居る」だけでいいのだと主張する本でありつつ、その「居る」だけを支えるために同じように「居る」ことを仕事とする専門職が存在することの必要性を訴える本でもある。しかし、さらにそのうえで、その「居る」だけのつらさ、「居る」だけを貫こうとするときの矛盾を明らかにする本でもある。職業的な人生をその場でまっとうすることの不可能さを示す本でもある。
 私たちは、高校の教科書で、丸山真男の「であることとすること」という有名な論考に出会い、投企だとかアンガージュマンとかの実存主義に出会い、能動的に何かを企てて生きることこそ生きることであり、受動的に生かされているままに生存し続けるだけでは生きている意味がないと思いこんで生きてきた。昨日とは違う私として変わっていく、成長することなしには生きている意味がないと思いこんできた。
 そうだな。「生存」と「成長」という二項対立を、根本的な問題として設定して生きてきたと言えばいいか。
 「贈与」と「交換」の二項対立とも言える。
 「村落共同体」と「自由な市場」の二項対立とも言える。
 「ローカル」と「グローバル」の二項対立でもあるかもしれない。
 この書物は、東開氏が、その二項対立の狭間に股裂きにあって生きた数年間のルポルタージュと言える。
 東開氏は、最終章で「アジール」と「アサイラム」の二項対立を語っている。「アジール」については、網野善彦を参照してほしいし、「アサイラム」は、ミシェル・フーコーについての新書にでもあたっていただければいいが、もちろん、この書物の最終章には、何のことか書いてある。
 あ、待てよ、「アジール」、「アサイラム」の二項対立は、ねじれがあるな。「自由」という言葉との関係において。
 以前の私たちは、「ローカル」にこそ不自由な「アサイラム」を見て、「グローバル」という観点に自由な「アジール」を見ていたはずだ。
 ところが今はどうだ。
 「グローバル」とは、実は不自由な「アサイラム」でしかなかったのではないか?すべてを監視され、すべてを評価され、お金という統一された尺度で測られる、一個の地獄。
 「ローカル」な場所こそ、ひとりひとりが守られてある「アジール」として機能してしまう。そこでこそ、人間が人間らしく、自由に生きていられる。
 このねじれ。
 このねじれにこそ、現在の重要な問題がある。ある時点から問題が反転している。いや、もちろん、「ローカル」な場所が、自由であるばかりの場所ではないことは言うまでもないのだが。
 最終章「アジールとアサイラム」に、「会計の声」という小見出しの項がある。

「だけど実際のところ、仕事の本質は「ただ、いる、だけ」にこそあった。ふしぎの国のデイケアは、メンバーさんの「ただ、いる、だけ」を支えるためにあり、その「いる」は誰かと「共にいる」ことで可能になるのであったからだ。…だから、メンバーさんが「ただ、いる、だけ」のために、僕も「ただ、いる、だけ」。それこそが僕の仕事だった。
 だけど実際のところ、「ただ、いる、だけ」って、容易には飲み込みがたいものだ。
…「それでいいのか?」という声がそこには付きまとう。その声が僕らを戸惑わせる。」(316ページ)

 この幻聴のような声。「それでいいのか?」その正体は、お金である。収入と支出である。

「会計だ。この声は会計の原理から発せられている。
 会計の声は、予算が適切に執行されているのか。そしてその予算のつけ方そのものが合理的であったのかを監査する。コストパフォーマンスの評価を行い、得られたベネフィットを測定し、そのプロジェクトに価値があったのかどうかを経営的に判断する。
 そのような会計の声を前にして、「ただ、いる、だけ」はつらい。」(317ページ)

「「ただ、いる、だけ」は、効率性とか生産性を求める会計の声とひどく相性が悪い」(317ページ)

 会計の観点から見たとき、「デイケア」の収入は、医療保険からの支出であり、国の予算からの補助金であるかもしれない。ここでのケアは、すべて、対価を得るための手段に反転してしまっている。会計の観点からみた場合ということである。逆立であり、疎外である。
 仕事として、そこに居合わせるスタッフは、「ただ、いる、だけ」に消耗せざるを得ない。
 仕事は、すべてが評価され、測定される。測定可能な数値に換算される。この数値とは、つまり、お金である。
 昨日の数値より、今日の数値が改善されていなければならない、みたいな脅迫。成長し続けなければならないという強迫。昨日も今日も明日も、成長なしに存在し続けるなどということが許されない、みたいな脅迫。
 現代社会に生きるとは、そういう強迫に、毎日さらされ続けるということである。
 現在63歳になる私が未成年のころは、ここまで、数値化はひどくなかった気がする。世の中のすべての局面まで、数値の目盛りが振られた計測器がずかずかと入り込んできたのは、ここ30年かそこら、この10年で、なおさらに極限化したように思える。
 本来、成長などはしなくていいのである。人間は「ただ、いる、だけ」でいいはずである。
 しかし、世の中の大多数の人びとは、成長することに囚われ、日々、あくせくと金稼ぎすることに追いまくられている。
 どうすればいいのか?
 どうすればいいのか?
インドネシアの楽園、バリ島の魔女ランダと善獣バロンが、善と悪の終わりなき戦いを永遠に継続している、そういうことなんだろうとは思う。ここは、突然、話が飛躍しているが、この飛躍については、また改めて考えてみることにしたい。
 ここでは、どうすればいいのか?と問いかけを記すことで、終わりにすることにする。
 あ、もうひとつ。
 デカルトの「方法的な懐疑」がいつのまにか、「方法的」であることをやめて、「実体化」した「合理」として、無限の増殖を始めた、といえばいいのか。
 あとは、「オープンダイアローグ」か。ここに、ひとつの脱出口はあるのかもしれない。「中動態」とか。
 でも、やはり、
 で、どうすればいいのか?と問いかけのまま、ここでは終わる、ことに変わりはない。

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