急に暖かくなった午後、久しぶりに妻女山から斎場山、天城山へと登りました。日溜まりの斜面では桜が咲き始めました。上杉謙信や上杉景勝、直江兼続も見たでしょうかって、ソメイヨシノは戦後植えられたものですからね。それはないでしょう。でも山桜はあったかもしれませんね。日本の桜は200種類以上あるそうですから、代表的なもの以外、同定はなかなか困難です。
ゆっくりと歩いて上杉謙信の本陣跡という伝説のある斎場山へ。ここは、私が研究している「妻女山の位置と名称について」に詳しく書いてありますが、斎場山こそが本来の妻女山で、斎場山古墳という二段の墳丘裾を持つ円墳があります。別名、謙信台、床几塚、龍眼塚、両眼塚ともいいますが、地名は天上です。
次に謙信が陣城を建てたと伝わる陣場平へ。現在ここは唐松林と雑木林や荒れ地になっていますが、昔は桑畑でした。その端に国土地理院の「菱形基線測点」があります。国土地理院のプレートがあると父母から聞き息子達も動員して探したのですが見つからず。この間ひょんなことから見つけたという曰く付きのものです。
「菱形基線測点」は、地殻変動調査を目的として設けられたもので、全国に16箇所しかありません。その内の長野県のものが、長野基線と呼ばれ、妻女山、平柴、川田、信里の四箇所で菱形を形作っています。この上に計測器を乗せて測るらしいのですが、どうも現在は使われていないようです。
次に坂山古墳のある天城山へ。これはあまぎさんではなく、てしろやまと読み、昔は手城山と書きました。清野氏の鞍骨城の支城とも唐崎城の詰めの城ともいわれていますが定かではありません。その城を造る際に壊されたのでしょうか、円墳の屋根はなく、墳墓がむき出しになっています。ところで斎場山の標識でも触れましたが、天城山+坂山古墳の標識に100Mとありますが、メートル記号は、小文字のmです。Mではメガという意味になってしまいます。細かなようですが、これも大事なことです。この標識を作った人は算数が苦手だったのでしょうか。
そのずっと奥の尾根にはカタクリの群生地があります。まだ咲いていませんでしたが、この場所なら人知れず咲いて、人知れず消えていくのでしょう。まさにスプリング・エフェメラル。春の儚い命。誰に媚びることもなく、嘘をつくこともなく、偽善も必要ありません。
戻って鏡台山が見える展望地へ。先日は春の雪で真っ白でしたが、アッという間に溶けたようです。木々の芽吹きも始まりました。
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