モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

清野氏の鞍骨城跡と緋縅蝶(妻女山里山通信)

2009-04-19 | 歴史・地理・雑学
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 緋縅蝶は、ヒオドシチョウと読みます。タテハチョウ科のチョウで、前ばねの開長約7cm。春に越冬してオス同士で縄張り争いしてボロボロになったものをよく見かけます。激しい追いかけっこもよく目にします。

 【緋縅】ヒオドシとは、 鎧(よろい)の縅(おどし)の一で、クチナシやキハダで下染めした上から紅で染めた紐(ひも)・革緒などで縅すもの。それに羽の模様が似ているということです。緋とは、日本の伝統色の緋色のことです。実際の緋色は、ヒオドシチョウよりも濃い色です。

 ヒオドシチョウが、春の山の草原や登山道で、羽をいっぱいに広げて日向ぼっこをする様がよく見られます。イモムシ(刺の多い、ごま塩に黒と黄色の線、オレンジのスポットがある幼虫)は、春にエノキ、ヤナギ、ケヤキ、ニレなどの葉を集団で食べ、成虫はクヌギなどの樹液に集まります。

 鞍骨城跡は、長野市松代町清野と千曲市倉科に跨る山城で、この地域最大の規模をほこる天空の城塞です。天城山(てしろやま)から尾根を辿っていき、突然現れる高さ50mの城塞は、まさに天空の城塞。圧巻です。清野氏の築城といわれますが詳細は定かではありません。清野氏については、「清野氏と戦国時代」をお読みください。村上義清から上杉謙信、上杉景勝とつながる波瀾万丈のクロニクルです。

 鞍骨城跡へは、妻女山から天城山経由。妻女山から林道倉科坂線経由で二条の掘切へ登るルート。倉科から二本松峠で登るルート。象山から尾根を登って御姫山の肩に乗り裏から入るルートなどが有ります。熊の棲息地なので、熊鈴は必須です。親戚のものが熊に遭遇しています。夏場はヤブになるのでスズメバチ対策と藪こぎの用意を。最適な季節は冬枯れの雪の少ない時か、芽吹きの頃です。城跡のすぐ東に、川中島や海津城が一望できる岩場が二箇所続けてあります。

★このトレッキングは、フォトドキュメントの手法で綴るトレッキング・フォトレポート【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】にアップしてあります。4月12日のルポをご覧ください。
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