で、ロードショーでは、どうでしょう? 第1951回。
「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」
『レミニセンス』
他人の記憶を見られる機械が当たり前になった世界で男が失踪した恋人を追うSFサスペンス。
主演は、ヒュー・ジャックマン。
共演は、レベッカ・ファーガソン、タンディ・ニュートン、クリフ・カーティス。
監督・脚本は、TV『ウエストワールド』のリサ・ジョイ。
物語。
近未来、世界は戦争により海面が上昇し多くの陸が沈没していた。
水没しかけたマイアミに住む、退役軍人のニック・バニスターは、機械を使って顧客が望む記憶を追体験させるのを生業としていた。
ある日、失くした鍵を見つけたい、と来たメイと恋に落ちる。
それも束の間、メイは姿を消す。
何度、記憶を探っても、その理由はわからない。
その機械で同じ記憶を探り続けるとバーンという記憶障害を引き起こす。
そんな折、瀕死の麻薬の売人の記憶を探り、情報を探る依頼が来る。
出演。
ヒュー・ジャックマン (ニック・バニスター)
レベッカ・ファーガソン (メイ)
タンディ・ニュートン (エミリー・“ワッツ”・サンダース)
ダニエル・ウー (セイント・ジョー)
クリフ・カーティス (サイラス・ブーザ)
マリーナ・デ・タビラ (タマラ・シルヴァン/当主)
モージャン・アリア (セバスチャン・シルヴァン/息子)
ブレット・カレン (ウォルター・シルヴァン/夫)
ナタリー・マルティネス (エイヴリー・カスティッロ)
アンジェラ・サラフィアン (エルサ・カリーン)
ニコ・パーカー (ゾーイ)
ハビエル・モリーナ (ハンク)
サム・メディナ (フォークス)
ノリオ・ニシムラ (ハリス)
ロクストン・ガルシア (フレディ)
スタッフ。
製作:リサ・ジョイ、ジョナサン・ノーラン、マイケル・デ・ルカ、アーロン・ライダー
製作総指揮:アシーナ・ウィッカム、エリーシャ・ホームズ、スコット・ランプキン
撮影:ポール・キャメロン
プロダクションデザイン:ハワード・カミングス
衣装デザイン:ジェニファー・スタージク
編集:マーク・ヨシカワ
音楽:ラミン・ジャヴァディ
『レミニセンス』を鑑賞。
近未来アメリカ、記憶再生技術者が失踪した恋人を追うSFサスペンス。
説明につかわれる<記憶潜入>は<記憶再生>てとこ。
ノーランの名前で宣伝されているのは製作が弟ノーランで妻のリサ・ジョイが脚本・監督。
記憶SFで物語ネタを物語に組み込んでるあたりに、近い指向はあるが、かなり薄味で、ある2作品に似ている。
つまり、クラシックな探偵ものをSFで見せてくれるので、SFより探偵とセンチメンタルなロマンスに乗れる方ならより楽しめそう。
ヒュー・ジャックマンの貫く芝居が流石。弱った元軍人を女性が支えていくのは探偵ものだからで、真の主人公は別にいる。そこを見抜くと面白さが少し変わる。
レベッカ・ファーガソンの細部が絶妙。タンディ・ニュートンのあるシーンは見所。
詰めが甘い。
クラシカルな探偵ものをSFによる寓話化を使って映像的に仕上げた作品と言える。
その映像の手触りはとてもいのだが、どことなくガジェットにちょい説得力がない。水対策をした車とか防水グッズとか、この世界観を深める手があったと思う。(ロングブーツはよかった)
美術的な弱さが惜しい。SFには哲学とフェチズムがないと支えきれないところが出てくる。哲学はまぁまぁあるのだが、あくまでノスタルジーに留まっている。とはいえノスタルジーは浴びまくれるけど。
水中のシーンはよかったなぁ。
記憶再生映像もちょっと面白みが少ないのよね。
映画サイズのはずなのに、どうにもスケールが小さいのよ。雰囲気はいいのになぁ。
ある水中のカットは素晴らしい。
既視感が強く、そこもまた記憶再現となっている。時代に逆行しているのも狙いなんだろうな。
走らないノーランで追想する九作。
おまけ。
原題は、『REMINISCENCE』。
『追憶』、『回想』。
2021年の作品。
製作国:アメリカ
上映時間:116分
映倫:PG12
配給:ワーナー・ブラザース映画
リサ・ジョイはジョナサン・ノーランの妻なので、クリストファー・ノーランの義妹だったりします。
アメリカでは、ワーナー・ブラザースは、2021年公開の17本の映画を劇場公開と同時にHBO Maxでストリーミング配信した。(のちに一か月の期間限定となった)
今作もその一本で、その方針を受け入れがたいものとして、クリストファー・ノーランはワーナ・ブラザーズとの関係を解消した。
ややネタバレ。
レミニセンスを<記憶潜入>としたのは宣伝のミスリードよね。
『インセプション』の<夢潜入>を想像させたかったのだろうなぁ。
どちらかというと<記憶再生>よね。
で、記憶再生だと最近では『ミッション:8ミニッツ』、『リキッド・ドリーム』があり、あれこそ記憶潜入という感じ。
描写的には『ビッグフィッシュ』、『オールド・ボーイ』がまさに記憶潜入だった。
タンディ・ニュートンは微妙に名前の綴りが変わっている。
ネタバレ。
つまりは、【俺の『めまい』】。
だが、『めまい』よりも『ストレンジ・デイズ/1999年12月31日』の方を思い出す。(『ストレンジ・デイズ/1999年12月31日』も【俺の『めまい』】っぽい作品)
記憶再生装置、記憶再現ディスク、記憶中毒、元警官、娼婦の殺害、離れた恋人を取り戻す、と要素がかなり重なるため。古い装置は主観だったので映像も似ている。
ただ、かなりハードな描写(アメリカではR指定)の作品であり、ジェームズ・キャメロン製作・脚本で妻のキャスリーン・ビグロー監督だったため、キャメロン推しの宣伝だった。今作も製作のジョナサン・ノーラン推しの宣伝(しかもJ・ノーランと表記)。まだ『ストレンジ・デイズ』はJ・キャメロンが原案・脚本を書いているけどね。
実は、もう一つある。
『ダークシティ』も水没する町など、ファム・ファタールが歌手、記憶の世界とか要素が似ている。
ヒュー・ジャックマンとの相性で選ばれたのだろう(『グレイテスト・ショーマン』で共演もしている)が、レベッカ・ファーガソンが『ミッション:インポッシブル』シリーズの印象で、裏切りと強さを感じさせるため、フレディへの無責任を逆に感じてしまう。
ノーラン・ファミリーでは、ウォーリー・フィスターの『トランセンデンス』もあり、タイトルも評価も似た感じになってしまった。
どちらも、失われた過去を求めるという意味では、ノーランのストーリーの構成と似ている。
水没都市は『A.I.』で描かれている上、サイラスを追いつめるシーンは明るい『ブレードランナー』。『オルタネード・カーボン』にも似ている。記憶の女性の再現は『惑星ソラリス』も思い出す。
記憶を思い出したようなネタは『トータル・リコール』でもある。
3D再現のものと一緒の画面にいる姿は『ブレードランナー2049』にも似ている。
水から出てくるヒュー・ジャックマンはウルヴァリン。
水の中のピアノもどこかで見た気もする。
でも、SFハードボイルドは『アルファヴィル』、フィリップ・K・ディックなどで定番のスタイル。
そもそもペーパーバックには探偵小説が多く、ともにサブジャンル扱いだったので、融和性が高かった。
設定の描き方が甘い。
レミニセンスでバーン(燃焼)はどういう状況で起きるのか(エルサにはなぜ起きないのか)、その酷さをタマラで描く(認知症と関係あるのか)のにワッツはニックの依存をゆるくしか止めないのか。(気持ちがわかるからというのは理解できるが、その静で、最後の展開が読めてしまうので説明と機能がやや不足する)、メイの最後を見るときにすでにニックにバーンが起きてると認識しているのかも。
もちろん、あのシーンはメイがサイラスの記憶を見ることを意識して記憶のダイイングメッセージを残しているので、ニックがそれを理解しての行動ではあるが。
エルサには記録メディアを渡そうとするが、あれを2Dで再生する装置があるのね。(古い装置はプロジェクターで投影した2Dの白黒映像。これは古い映画のスタイルという直喩)
記憶だけ記録したものと作業を確認用に記録したものがあるのが分かりにくい、下位互換できるメディアということなんだろうけど。
レミニセンスは高いはずなのに、鍵探しに使うメイがいるから、鍵を替える1万円くらいよりは安いけど、頻繁にやるには高いくらいの娯楽と考えたら5000~8000円くらいなのか?
サイラスはメイの記憶をレミニセンスで探ってフレディのことを探ればよかったと思う。
旧型なら持ってるやつが裏社会にもいるでしょ。金はあるんだから。
そう簡単じゃないのかもしれないから、ああなったのかもしれないけど、今作はレミニセンスの話だしなぁ。
フレディはどうなったか、ちらっとは描いてよ。
ピアノシーンは水中で注射を射すべきだったろう。
水中で攻撃されたら、自分の方が危ない。実際、それでピンチになる。
あの息の状態で無音で後ろから近づくのはご都合を感じる。(脚も悪いのに)
主人公のナレーションから始まるのは、フィルムワールの定番。
だが、レミニセンスをするときにもニックはナレーション(言葉のでの誘導)を使う。
つまり、この物語自体がニックのレミニセンスを見ているという構造にも見える。
それは、ニックがバーンを起こしており、記憶中毒になっており、現実と記憶の区別がつかない状態にあるともいえる。ただし、メイの記憶のような回想もあり、その映像もあるので、それを見る機会はニックにはないので、記憶の捏造も出来るとなるので、それはさすがに説明が必要だったろう。
そして、それを見たワッツ(メイという麻薬バッカ中毒と合わせて、二人目)は、ついにアル中から立ち直ったのかもね。
ニックの記憶の中のメイを見ているということなら、メイがバッカ中毒らしい行動をしていないのは、美化ということなのかも。
提案。
あえて、サイラスを女性にしたらどうだったろうか。ワッツで女性の強さを強調して、なおかつサイボーグ腕とかにする(ピアノシーンはその腕が外れたことで外せなくなる)、同じ元軍人にして、ニックとワッツの境遇と重ねる。やけどで容姿を奪われたことでさらに凶暴になる。
まぁ、そうすると現代性はクラシカルさは失われちゃうかもしれないけどさ。
でも、義手とか欠損はフィルム・ノワールの定番だし。
あと、ワッツを上官にしたら、どうだったかなぁ。
そう、この映画のもう一人の主役はワッツ。
この物語は3人の主役がいる。
ニック、メイ、ワッツです。
全員がある種の中毒。メイはバッカ中、ワッツはアル中、ニックは記憶中(バーン)。
それぞれ、それとどう向き合うかの物語でもある。
メイはバッカを奪い追われ、バッカをやめるが、それによりサイラスに脅され、命を落とす。
ワッツはアル中をやめることで娘と向き合う。
ニックはバーンを進行させつつ、バーンの富豪の事件に巻き込まれ、バーンに埋もれる。
そして、全員がそれを通して、過去と向き合う羽目になる。
頭文字はN、M、Wで、Nは一本線が入れば、MにもWにもなる。逆もしかり。
オルフェウスの神話はなぜか日本でも『古事記』にイザナギが死んだイザナミを黄泉の国まで追いかけ、見ることで連れて帰れない、という似たエピソードがある。
ちなみに、オルフェウスは妻エウリュディケを冥界から連れ戻せずに帰ってからオルフェウス教の教祖となり、神(ディオニューソス)を怒らせ、首を斬られる。その首は河に投げ込まれるが首だけで歌を歌い続けて流れていった。
ちなみに、ディオニューソスは死んだ母セメレーを冥界から連れ戻すことに成功している。
途中で、オルフェウスの話が出るのでオルフェウスがニックで、メイがエウリデュケに当たるだろうと推測され、エウリデュケは死んでいるため。メイも死んでいるだろうという推測させるので、リサ・ジョイは語り手として、ちょっと正直すぎると思う。
イヤリングが何か月も残っていたのは、あの通りに意外と車が通るので、ちょっとなぁ。
しかも、最初のニックは水の中のトランプを拾う(ハートのクイーンを拾うのがこの物語を象徴している)ので、水の中を見る癖があるのに気づかないのもなぁ。
あのトランプ男が拾っておいて、突然渡すってのはどうかしら。ニックが再び落ちていたトランプを拾い渡す。すると、トランプ男が「勝負しよう……これを賭けて(イヤリングを出す)」。
そうすれば、冒頭のニックの行動が伏線になる。
トランプ男の記憶再生をして、特殊な脚だけのような記憶の映像を見るというのもありだったと思う。
最後の方に、トランプが水の中にあるカットがある。
珍しいのは、アメリカの探偵ものなのに、車に乗らないで電車移動。
脚が悪いのに、水没都市で近所に家があるってことなんだろうけど。
劇中で、メイが歌う『Where or When』(作曲:リチャード・ロジャース/作詞:ローレンツ・ハート)は、舞台『Babes in Arms』の一曲で、『青春一座』(1939)として映画化もされている。
多くの歌手にカバーされた。邦訳では『いつかどこかで』とされることが多い。「いつ? どこで?」と物語の始まりを促す質問のような言葉で、今作でも、ニックは記憶を再現させる際に、「君が以前、訪れた場所」のように物語のはじまりのように話しかけており、メイの記憶ディスクを「STORY」とタイトルを入れていたり、メイも「物語をきかせて」とねだる。
映画づくりや物語の構造そのものをストーリーに織り込むノーラン節(兄弟ともに)と同様の傾向がある。(『メメント』の逆進行、『テネット』のプロタゴニストなど)
記憶の一部でその人を知ることはできない、というのは「群盲、象を評す」であり、探偵ものがジャンルが持っているテーマの一つ。
好みの台詞。
「物語をきかせて」「どんな?」「ハッピーエンドの」「ハッピーエンドはない。結末はいつも悲しいんだ。特に物語が幸せであればあるほど」「なら、そうなる途中まで話して」
というが、物語自体が終わらせるべきところで終わるものなので、ニックの認識には納得しづらい。ただニックの現実への思いから出た言葉ではあるので、ニックにとっては物語=現実となるのでメイがそれを柔らかく着陸させたとは理解できる。
それは悲しい終わりを予測しているメイの気持ちでもある。
そして、ニックは自分の人生を終わらせたいところで終わらせる道を選ぶ。
途中を繰り返せば、ハッピーエンドのまま、そのままにニックの物語は閉じる。
悲しいハッピーエンド。