で、ロードショーでは、どうでしょう? 第1096回。
「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」
『メッセージ』
人気SF作家テッド・チャンのベストセラー短編集『あなたの人生の物語』に収められた表題作で権威あるSF賞のネビュラ賞(中長編小説部門)受賞の『あなたの人生の物語』を『プリズナーズ』、『複製された男』のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督が映画化した感動のSFドラマ。
地球に飛来した謎のエイリアンとの意思疎通という重責を託された女性言語学者を待ち受ける衝撃の運命を描く。
主演は、『ビッグ・アイズ』、『魔法にかけられて』のエイミー・アダムス。
物語。
現代。突如、宇宙から飛来した巨大な楕円形の飛行体が地球の12ヵ所に姿を現わし、そのまま上空に静止した。
なんの行動も示さない宇宙船は、世界中に動揺と不安を広げていく。
やがて、孤独な言語学者ルイーズ・バンクスのもとに、アメリカ軍のウェバー大佐が訪れる。
大佐は、音声レコーダーを再生し、不思議な音声、宇宙人の声を聞かせる。
「この音声から分かることを言ってくれ」と切り出してくる。
それは、宇宙人との意思疎通を目指すチーム選出のテストだった。
原作は、テッド・チャン 『あなたの人生の物語』(ハヤカワ文庫刊『あなたの人生の物語』所収)。
脚本は、エリック・ハイセラー。
出演。
エイミー・アダムスが、言語学者のルイーズ・バンクス。
その表情と美貌が孤高を表現し、宇宙人との対話に挑む強さになっています。
ジェレミー・レナーが、理論物理学者のイアン・ドネリー。
フォレスト・ウィテカーが、ウェバー大佐。
ジェイダン・マローンが、娘のハンナ(12歳)。
年齢別にキャストを変えていますが、よく似ています。
ツィ・マーが、シャン上将。
ほかに、マイケル・スタールバーグ、マーク・オブライエン、など。
スタッフ。
製作は、ショーン・レヴィ、ダン・レヴィン、アーロン・ライダー、デヴィッド・リンド。
製作総指揮は、スタン・ヴロドコウスキー、エリック・ハイセラー、ダン・コーエン、カレン・ランダー、トーリー・メッツガー、ミラン・ポペルカ。
撮影は、ブラッドフォード・ヤング。
合成と実は狭い世界をそう感じさせないでつないでいます。
視覚効果監修は、ルイ・モラン。
プロダクションデザインは、パトリス・ヴァーメット。
衣装デザインは、レネー・エイプリル。
編集は、ジョー・ウォーカー。
音楽は、ヨハン・ヨハンソン。
静謐な音選び、未知なものに触れる興奮、内省さと広がりの両面をもった音楽になっています。
印象的なテーマ曲は、マックス・リヒターによる『On The Nature Of Daylight』です。
宇宙人との意思疎通の任務に就いた孤独な言語学者が知ってしまう事実を描くSFドラマ。
テッド・チャンの傑作中編小説をドゥニ・ビルヌーヴが映画化。
ほぼ原作通り展開させていて、修飾の品が良い。見た後に言葉が思い出が思索が広がっていく。
超平和的かつ賢い『インデペンデンス・デイ』だが、原作題『あなたの人生の物語』の通り、人生の未知と向き合う滋味がある。
キャストの愛嬌と孤高感の両面が巧みに活かされている。
空港で、到着口を歩きながら出発を思い出す環作。
おまけ。
原題は、『ARRIVAL』。
『到着』、『到達』、『到着した人』に加えて、『出生』、『新生児』という意味もある。
原作小説の原題は、『Story of Your Life』。
原題は、原作の題名よりも意味深くなっている。
邦題は意思の方に傾けて、ちょっと受け入れやすくしている。
原題は事象寄り、邦題は思想寄りという感じ。
上映時間は、116分。
製作国は、アメリカ。
映倫は、G。
受賞歴。
2016年のアカデミー賞にて、音響賞(編集)を、Sylvain Bellemareが受賞。
2016年の放送映画批評家協会賞にて、脚色賞をエリック・ハイセラーが受賞、SF/ホラー映画賞を受賞。
キャッチコピーは、「ある日突然、巨大飛行体が地球に。その目的は不明―― 言語学者ルイーズが解読した、人類へのラストメッセージとは――。」
あらすじ、理由を知りたいでしょ、という煽りタイプですね。
ややネタバレ。
エイミー・アダムスは『マン・オブ・スティール』でカル・エルを魅了しているので、宇宙人との意思疎通役には適任か。
設定的に同系統の映画に『宇宙人王(ワン)さんとの遭遇』がありますね。こちらはSFコメディ・サスペンスになっています。
宇宙船がバカ受けに似ていると言われているが、ある一方から、二次元的に見ると似てはいるだけで、実際は一面が凹んでいたりで、三次元で比べるとけっこう違っている。(ポスターの印象のせいで騒がれたが、話題になって映画への興味が引き起こされたのはよかった)
実際には、太陽系を公転する実在の小惑星エウノミア(別名、第15番小惑星)を参考に、「地球上にはないイメージで、人間には計り知れないように見せたい」というこだわりによってデザインされたものだという。
マグリットの絵画『ピレネーの城』の浮遊している巨岩も想起させる。
『2001年宇宙の旅』のモノリスから逆を張った感じもしたりして。
『コンタクト』の丸い宇宙船からの発展かも。
ネタバレ。
最初のハンナとのシーンは時間軸をずらした観客へ向けた映画的技法であり、ルイーズがヘプタポッドの壁に触れてからは彼女自身が実時間軸でイメージとして未来を見れるようになっているのではないか。
か、ヘプタボット語を理解した場合、あんな感じで未来が見える、っていうことを映画そのものの構造にも適用させたのだろう。
ヘリの中でルイーズとイアンが話していた言語か科学のどちらが基礎かの論争について、イアンがルイーズと離婚していて、彼が未来を見ることができないことから、科学も言語を通した思考によって理解されるということであり、言語に軍配を上げているのではないか。
言語学者もコミュニケーションが上手くいかないわけで、そのマイナスとプラスまるごとで人生であると描いている。
原作の方がより邦題の『メッセージ』が合う感じ。ルイーズがハンナへ人生について語りかけているスタイルがとられているので。
受け入れる(踏み込む)勇気についての物語とも言える。
防護服を脱ぎ、壁に触れたからこそ、ルイーズはヘプタポッドの生息空間に受け入れられたのだろう。それを望んでいたからこそヘプタボットは何のアプローチもしてこなかったのかもしれない。
宇宙船に入ることそのものがそれを表現している。
「会わなければ解読できない」というルイーズの要求(踏み込み)をウェバーも受け入れる。
防護服を脱いだルイーズを見て、イアンも脱いだのも、受け入れる行動。
(最初に防護服を脱いで踏み込んできたことがヘプタボットにとって、ルイーズこそという評価になったのだろう)
シャン上将への電話もそう。彼は妻の死をルイーズの言葉で受け入れたのではなかろうか。(相手が見えない電話だからこそ妻の言葉に聞こえたのではないか。つまり言葉だけだからこそ受け入れられたのではないか)
そして、ルイーズはハンナの死を受け入れる。それは、ルイーズはイアンを受け入れることにつながるわけだ。(ただし、イアンはハンナの未来を知ったことで受け入れることができなくなり、二人の元を離れます)
そもそも、連絡もせず地球に踏み込んできた宇宙船を攻撃せず(他の星では否応なく攻撃されることもあるのではないか)に受け入れた(そうなる未来を知っていたのではないか。それかヘプタボットはコミュケーションが苦手?)
考えてみると、ルイーズはあのはみ出し気味な性格で苦労してきたのだろう(携帯のベルには寛容だが)。
それとも、元々暗めで強気(前に軍の仕事でペルシャ語を翻訳した時は出なかったんだろうな)がこの騒ぎで明るく弱気になったのかもしれない。(未来でシャン上将と会う時には、やや落ち着いていた気がする。言語学的なチャンスに人が変わるタイプかもしれない)
ドアや壁、遮るもの、何かを開ける閉めるがモチーフになっていることにも受け入れる、またはそのための障壁を表わしています。
時間はしばしば過去・現在・未来に三分されるが、この三者に対応する時制がすべての言語にあるとは限らない。
英語やドイツ語を含むゲルマン語派の時制は非過去と過去であり、非過去が現在と未来の両方を示す。日本語、ドラヴィダ語族、ハンガリー語なども、同様に非過去と過去の区別を持つ。一方、ケチュア語を始めとする南アメリカの諸言語や、ユカギール語は非未来と未来の区別を持つ。(ウィキからの引用)
映画内で出てくる、【サピア=ウォーフの仮説】について。
人間は何かを考えるときには頭の中で無意識であっても言語を使用している。この事から言語無しの思考は難しく、また複雑な思考は言語無しには不可能であると考えられる。この言語と思考の関係についての一説が【サピア=ウォーフの仮説】として有名で、【言語相対性の仮説】とも言われる。
言語相対性の仮説とは 大まかに言うと言語=思考という考え方。つまり、思考が必ず言語を用いてなされるのならば、その言語の影響を思考は受けてしまう、という考えである。さらに踏み込めば、違う言語を用いているならば世界観も違う、と考えており、なんらかの形で言語を統一しない限り同じ世界観は得られないとも考えられる。
これはヨーロッパ、特にドイツにおいて伝統的な考えだった。それをアメリカの言語学者であるE・サピアの考察をへて、その弟子のB・ウォーフがまとめて、発表したことにより非常に注目を浴びたため、2人の名前を取って【サピア=ウォーフの仮説】と呼ばれている。(ネットより引用)
有名なのは、虹の見え方で、日本では7色だが、世界では結構まちまちで2~無限の色がある。
虹の色は言語圏によって捉え方が異なる。
ジンバブエのショナ語では虹を3色と捉え、リベリアのバッサ語を話す人々は虹を2色と考えている。このように、虹の色とはそれぞれの言語の区切り方によって異なる色の区切り方がなされるのである。虹の色が何色に見えるのかは、科学の問題ではなく、文化の問題である。何色に見えるかではなく、何色と見るかということである。
7色なのは、ニュートンの虹の研究に由来する学校教育によるものである。当時のイギリスでは虹の基本色は赤黄緑青紫の5色と考えられていたが、ニュートンは柑橘類のオレンジの橙色と植物染料インディゴの藍色を加えて7色とした。彼は虹の色と色の間は無限に変化していることを知っていたが、それにもかかわらず、虹を7色としたのは、当時、7が神聖な数と考えられていたから。音楽のオクターブもドレミファソラシの7音からなるのも。ニュートンは美しい虹も7つの基本の色からできているとしたのである。
元々、日本では昔は、5~8色(主に5色)とまちまちであった(しかも、沖縄では古くは2色(明と暗)だった)が、教育によって7色になった。(ウィキより引用)
虹の色を数えたことがあるだろうか?
実際に観測すれば、虹は光であるがゆえ、黒から白までグラディエーションによって無限に色を持つ。
たとえば、色鉛筆を思い浮かべるときに12色や24色で浮かばないだろうか?
(12色の色は、白・黒・黄色、橙・黄緑・緑・水色・紫・桃色・赤・茶色・青が定番と思われるだろうが、最近では、白はほとんど使わないと白が入っていないものも増えている。入っているのは薄橙色(肌色))。
虹には白色もあるが、数えないのは言語的分類によるためであろうということだ。考えから外れるのだ。
実際の眼には無限の色が見えている(はず)。
しかし、虹という時点でそれぞれの文化に合わせた色で限定して見てしまう。
ようは、一人の頭の中で分かっていても、他と共有するため、お互いが理解できるように考えるクセとかルールのようなものに縛られてしまう、ということだ。
日本人は日本語で考えるから、日本人のようになり、関西弁なら関西人ようになる。
(現在は、言語が思考を規定する、言語から思考が生まれたという仮説は、そこまで強いものではないというのが通説になっていて、せいぜい、言語が思考に影響はする、ぐらいになっている)
ルイーズは、ヘプタボット語で考えるようになってから、脳が変革し超能力的なものが発揮され、未来が見えるようになったというわけだ。
これは、映画のおける台詞と字幕、ひいては映画の見方についても考えさせる。
私たちはだいたい見る映画の未来を知っている。それは、だいたい2時間くらいで終わる、ぐらいのことであったり、物語の終わり方、までであったり。その途中を埋めるように映画を見る。流れているのはリアルタイムな時間進行だが、物語の進行においては時間は変化する。
これがヘプタボットの考え方に近いのではなかろうか。
映画は一定の方向にしか流れないが、タイトルの出た位置から始まると考えたら、思考的に逆に映画を流せる。
おいらとしては、最後のヘプタポッドの槽の中に入ってからの展開における字幕の見せ方はもうちょっと凝って欲しかった。
古典的ではあるので、文句はつけにくいのですが、もうちょっとルイーズが脳内でナチュラルに理解している感じを見せることで、思考が変わったというのも見せて欲しかったのよね。
あくまで、文字からのヘプタボット思考法の理解だから限定的なんだろうね。
自分の未来だけしか見えないってことなんだろう。
藤子・F・不二雄先生的に言えば、『未来の思い出』を持てるようになる。思い出なので、思い出せるところだけが出てくる。
ヘプタボットが3000年後が見えるのは、長々寿だからなのか、思考法を完ぺきにつかめば種族の未来とかも見えるのかもね。
それとも、ヘプタボット語がわかったことで、ルイーズにテレパシーの受信機能が生まれたのかもしれない。
単独じゃ無理なのかもしれない。地球人同士でもヘプタボット語で意思疎通できるようになったら、使えるのかもしれない。
ルイーズが書いた本でヘプタボット語が理解できるようになった人が出てきたら、未来を見えるようになるのかもしれない。
シャン上将の電話をするくだりがあの描写では未来は決定していないになってしまうので、ハンナの死が避けられるかもしれないということになってしまうので、運命に立ち向かうという要素が強くなってしまった気はします。
あそこでルイーズが、シャン上将の質問「なぜ私の電話番号を?」に対して、「今あなたから聞くんです」と言えばよかったのでは?
ハンナの死因は映画では病気でしたが、原作では、ロッククライミングによる事故です。
原作は未来を知るがゆえに心配性になったルイーズが娘を縛り付け、ハンナはそれに反発して冒険的な性向になったことということも書いています。
ただ、シャン上将も、あの事件の後でヘプタボット語を理解していったとすれば、シャン上将にとってはこの未来が見えたゆえに、ルイーズに電話番号を教えようとなる。
科学で、時間は一定に流れるものではなく並列的であるなど、いくつかのとらえ方の説がある。
今作のインスパイア元は、アイザック・アシモフの『ファウンデーション』に出てくるハリ・セルダンの心理歴史学(未来の歴史を読み取る学問。数千年もの先の未来の歴史が読み取れる)ではなかろうか。
心理歴史学を遠い星域のヘプタボットが用いていて、それで出た未来予測の結果を覆すために、人類に3000年後の助けを求めた。
映画に出てくる“非ゼロ和(読みはひぜろわ、英語ではノンゼロサム:non zero sum)とは、複数の人が相互に影響しあう状況の中で、ある1人の利益が、必ずしも他の誰かの損失にならないこと、またはその状況を言う。 (ウィキより引用)
アボットとコステロは、バッド・アボット(Bud Abbott。サーカスの芸人だった)とルー・コステロ(Lou Costello。スタントマンでアマチュアボクサーでもあった)の二人組からなるアメリカの超有名お笑いコンビで、1930年代の無声映画時代から1950年代まで多くの映画が作られた。アニメにもなっている。
のっぽで細身なアボット(マヌケでいいやつ)とチビで太っちょなコステロ(知恵者できつめなヤツ)は多くのコメディの基本スタイルとなっている。彼らのしゃべり芸と幼児的な物言いなども、物語を象徴している。漫才に近いスタイル。
ヘプタボットも、細身の方をアボット、太めの方をコステロと呼ばれる。
彼らのテレビショーのタイトルは『This Is Your Life』で原作題名に重ねてあるし、彼らの有名なネタは「Who's on First?(誰が最初?)」で、そのオチは「I don't give a damn(かまわないさ)」というのがある。(ウィキより引用)
これは、そのままルイーズの状況および心境に当てはまる。
アニメでは、「助けて! アボット」「待ってろ! コステロ」のやりとりが有名。
実は、裏では仲が悪かったコンビとしても知られていて、この関係は国家間ひいてはイアンとルイーズの結婚後の関係に似ていると言えるかもしれない。そして、「助けて地球人」「待ってろヘプタボット」になるわけだ。
ただ、現実では逆にコステロが先に死亡している。
ちなみに、エルヴィス・コステロは、キングのエルヴィス・プレスリーと父方の祖母の旧姓コステロからつけた芸名。
ルイーズがシャン上将に言った妻の最期の言葉をエリック・ハイセラーはセリフにしており、映画内でも言われているが、ヴィルヌーヴ監督は中国語にあえて字幕を付けさせなかった。
一応書くと、妻の辞世の言葉は中国語で「In war there are no winners, only widows.(戦争に勝者なし。寡婦(未亡人)だけが残される)」。
ここにもコミュニケーションの難しさを組み込んでいる。
このセリフが分からないということ、描かれないことで映画の評価を下げる者もいるが、そここそこの映画が描こうとしたもの。
結果はわかる、意味は後から調べればわかる。
原作では、何年もかけて言葉を解読していきます。あと、国家間の対立はほとんど描かれません。
国家間の対立を描いたことで、ドゥニ・ヴィルヌーヴの映画になっている。
時間感覚が小説は長くて、映画は短い。
原作のヘプタボット文字(表義文字)は変形する。
以下、原作『あなたの人生の物語』より引用。
「この言語には、句読が記されることはまったくない。構文は各表義文字の結合という方法で表され、発話の抑揚を表す必要はない。文を整然と形成するための主部‐述部の組み合わせというものは、どこをどう見ようが探しだせないことはまちがいない。ひとつの“文”をなすのに、ヘプタポッドは好きなだけいくつでも表義文字をつなぎあわせているように見える。節、あるいは文とページとのちがいはただひとつ、そのサイズのみときている。/〈ヘプタポッドB〉の文のサイズが相当に大きくなったとき、その視覚的効果は目覚ましいものになる。解読しようという意図なしに見た場合、その文字は、たがいに少しずつ方向のずれたおのおのの線がすべてからみあってエシャーの描く格子めいた様相を呈し、奇想天外な、走り書きで描かれた祈りをささげるカマキリのようなものに見える。最大の文がもたらす効果となると、目が潤んできたり頭が朦朧としてきたりと、サイケデリック調のポスターに近い。」
変形し続ける四次元図形、動く曼荼羅みたいなものか?
映画版の文字は習字というか、禅の円相や、ペルシャ文字にも似ているから、ルイーズはペルシャ語にも強いというのを見せておいたのだろう。(アラビア習字というのもある)
麻雀は結果から過程を想像(捨牌から相手の持牌と相手の思考を想像出来る)し、回転する位置関係を持つゲームで、麻雀というゲーム自体がヘプタボットの円の表義文字をイメージさせる。
hannahは回文的な構造を持つ名前で、パリンドローム(回文構造ともいう.特にDNAの塩基の構造をいう場合が多い)的でもある。
テッド・チャンは物理用語である“変分定理”から発想してこの小説を書いたという。
変分原理(へんぶんげんり、英語:variational principle)は、変分法を用いた物理学の原理。 特に、幾何光学においては、フェルマーの原理といい、電磁気学におけるディリクレの原理といい、古典力学、電磁気学、量子力学などにおいては、作用次元を持つので、最小作用の原理という。
変分原理は積分の形で扱うので、座標系の取り方に依存しない。従って拡張性に優れ、いろいろな分野に応用、利用される。(ウィキより引用)
原作では、フェルマーの原理として出てくる。これの説明はまさに物理的な考え方なので、非常に難しい。ウィキを読んでもお手上げ・・・。
すごく端的に書くと、「光は水の中に入らなければわからない最短距離をあらかじめわかってるように水の中を進む」というもの。
映画と原作小説でパラレルワールドを見たような感覚を味わえたなぁ。
この映画は、これはこういうことかなと考えて、話合うことにこそ思いが置かれているんだよ。
難しいからこそ、価値のある映画ってあるの。
さぁ、映画に踏み込もう!
テッド・チャンは「この映画は文字通りミラクルだ」と称えている。