昨日(8/22)から今朝までは長い一日だった。
全身麻酔による検査は担当医の手術後の2番目12:00となった。カミさんが立ち会うつもりだったが駄目で、コロナ禍以降色々な規則が変わったのだろう。当日は飲食禁止という事で8:00には検温•血圧測定をして、点滴スタンドを繋いだ。前夜は隣りベッドの人の痛がる声などでよく眠れなかったが、ベッドに横たわっても眠くならないので、談話室のソファに座りながら、YouTubeで米民主党大会の動画や、日経電子版を読んでいた。
一昨日からこの談話室にいると、患者さん同士や見舞い客との会話が耳に入ってくるが、どういう訳か腎移植の話が多い。60代の父親がドナーになった30代の男性、70代と思われる御夫婦で奥さんがドナーとなり移植手術前の人など。隣りの人もどうやら腎移植手術を3日前に受けて、奥さんがドナーとなり今日退院らしい。ご主人は63歳だが退院の見通しは未だのようだ。看護師が来て何らかの処置をする時に生年月日•姓名を言わされるので分かる。ここで分かったはドナーは親族が多く、退院も早いという事。
そうこうしている内に昼になり、パジャマから手術着に替え、点滴スタンドを引きながら看護師に案内され2階の手術室に向かう。
そこは正に手術室エリアで何室も並んであった。移動時間も考えると12:10頃だと思うが、麻酔をかけられ、2、3度返答してる内に完全に分からなくなり、次に麻酔から覚めたら5年来の担当医が居て、(無事終わりましたよ)と声をかけてくれた。そこからベッドで部屋に戻るまではボンヤリして覚えていないが、酸素マスクや心電図モニター、出血止め、排尿、点滴の管が繋がれていた。
しばらくその状態でぼうっとしていたが、カミさんに麻酔から醒めたらメールしてと言われていたので、呼び鈴を押して看護士さんからロッカーに入れておいたiPhoneを取ってもらったら時刻は16:30になっていた。Lineを開いたら14:00頃にカミさんからのメールが入っており、病院の担当医から(無事終わり、麻酔から覚めるのを様子見してます)との電話があったと書いてあり、病院名を名乗られた時は一瞬ドキッとしたとも。11年前の手術には兄、娘、カミさんが立ち会ったが、それが無くなり電話連絡となったのだろう。
それからは前述の5本の管以外に、エコノミー症候群による血栓防止の為のマッサージ機?が付けられ、交互に圧力をかけられ、それが文字通り(足かせ)となり、一睡も出来ず朝を迎えた。酸素マスクは21:00に外されたが、その時にマッサージ機は外れないかと聞いたが駄目だった。そんながんじ絡め状態でも助かったのは、吐気がなかった事だ。
前回酷かったので、何回か麻酔担当医に聞かれた時に伝えてあったので、枕元にあった容器も使うことも無かった。
そんな長い夜は、持ってきた再読のトランプ本を枕元スタンドで読んで過ごしたが、眠くなるどころか逆に改めてトランプの無知蒙昧さといい加減さを知り、眠れなくなってしまった。
今、朝粥の朝食を食べ終えたところで、全く塩っ気のないお粥だったが完食した。
9:00から担当医の回診があり、自力で排尿出来るかが退院の前提だ。早くマッサージ機を外してくれれば、自由がきくのだが。
昼食に期待して時間を潰そう。