一期一会

日々是好日な身辺雑記

北アルプス蝶ヶ岳登山

2020年10月02日 | 山登り

28日(月)から2泊3日で北アルプスの蝶ヶ岳への登山に行ってきた。
いつもの山行きの相棒は、体力の衰えを感じたか7、8時間歩行の北アルプスはパスという事で単独行となった。例年だと7月の梅雨明けに夏山登山をしてきたが、今年はコロナ禍で(来ないで下さい)(出かけないで下さい)との声で行けなかった。
今回は槍・穂高連峰を眺めるのに絶好の北アルプス随一の山、蝶ヶ岳と紅葉の涸沢カールを主目標として計画を立てた。そしてコロナ禍でもあるので山小屋は3密を避け、二段ベッドでカーテンがある徳沢ロッジと横尾山荘を利用する事にし、初日は松本まで電車、上高地までバス、その日は徳沢ロッヂ泊。2日目は長塀尾根を上って蝶ヶ岳へ、蝶槍から横尾へ下って横尾山荘泊、3日目が涸沢カールへ紅葉を見に行き、15時頃まで上高地に下山しその日に帰ってくるという計画を立てた。

それからネットで涸沢カールの紅葉状況と山小屋の予約状況を調べていたが、涸沢ヒュッテは9月26日から10月11日まで、横尾山荘は10月1日から満室で、28日〜30日が僅かに空きがあるという状況だった。紅葉は10月第2週が見頃のようだったが、天気予報を確認して土曜日に28日、29日の宿泊を予約した。

9月28日(月)
自宅発(7:00)→立川(7:53発特急あずさ3号)→松本(10:23着/1045発)→新島々乗換え→上高地バスターミナル(12:35着昼食)→自然探勝路・明神池(14:00)→徳沢ロッヂ(15:00着)

 (河童橋からの穂高連峰)


 (明神池)


 (徳沢ロッジ)




前日まで秋雨が続く天気だったが一転この日はすっきりとした秋晴れとなり、絶好の登山日和だった。河童橋を渡って自然探勝路を明神池へ。初めて泊まった徳沢ロッヂは松本民芸家具と暖炉のあるカフェラウンジ、ウォシュレットトイレと今までの山小屋にない雰囲気と設備だった。
コロナ対策の方は検温での入館、2段ベッドの8人相部屋も半数での運用で、食堂の席もアクリル板で区切られていた。

9月29日(火)
徳沢ロッヂ(6:00発)→長塀山2585m(10:00着/10:15発)→蝶ヶ岳2677m(11:20着:昼食12:00発)→蝶槍(12:40着)→横尾分岐(13:30着)→横尾山荘(16:40着)

この日はコースタイムが8時間の蝶ヶ岳に上り横尾に下るピストン登山だったので、7時の朝食では遅いので、前日に弁当を作っておいてもらい、5時にそれを食べ6時に出発する。チマキ2個と豚肉の甘煮、リンゴ、紙パックお茶となかなかの内容だった。

樹林帯を上っていくと、樹々の間から穂高の山並みが見えるという徳沢からのアプローチならではの気持ちの良い上りだ。
前を行く人も後から来る人もいない静かな山行きだ。1時間歩いて5分の水飲み休憩というペースで上り、ほぼコースタイム通りの10:00に長弊山に着く。



そこでリュックをおろし、クッキーやチョコを食べて休憩していたら、滋賀県の信楽から来たという単独行の74歳の男性から話しかけられる。
前日に西穂高岳に上り上高地明神館に泊まったというこの男性、とてもその歳には見えない身体つきだったが、山登りは若い時からで、今でもバトミントンをしているという事だった。長塀山から蝶ヶ岳までの1時間のなだらかな上りを2人で色々と山に関わる話をしながら上った。オープンで気さくなお人柄で、初めての登山が高校生の時に横尾から蝶ヶ岳への登山で5月だったので苦労したとの話もあった。そして上り着いた蝶ヶ岳で後を振り返ると下の写真の穂高連峰の偉容が目の前に迫り右手には槍ヶ岳も見え、思わず2人で(凄い)と声をあげた。

(蝶ヶ岳からの穂高連峰)

右から下っている所が大キレット、そして北穂高岳、涸沢岳、奥穂高岳、前穂高岳が見える。全て登ったが40代の頃に単独行で登った槍ヶ岳から大キレット、北穂高岳というルートが最も思い出深い。上級難ルートというこのコース、大キレットの滝谷の絶壁、北穂高岳に上る北壁など、今になるとなんで登ったんだろうと思う。大キレットの様子はネットで見れるが、今では恐くてとても登れない。
(蝶槍からの槍ヶ岳)


蝶ヶ岳頂上では途中から追い抜かれたスペインとイタリアの若い男性2人と写真を取り合ったり4人での自撮りをした。スペインを1か月で廻った話やイタリアのドロミテ山塊の写真を見せたりした。登山での一期一会である。
この日は蝶ヶ岳ヒュッテに泊まるという男性と別れ、ベンチで持参したパンと野菜スムージー、チーズなどでランチを取る。
(楽しかったです)の声を頂いた信楽の男性からは、日常的に鍛えていれば75歳位までは北アルプスの主峰に上れるのだという思いも頂いた。

蝶ヶ岳からは蝶槍に行き、横尾分岐に戻り樹林帯を横尾へ下った。机上のプランでは15:00頃に横尾山荘に着く予定だったが、ヘトヘトになって横尾山荘に着いたら16:40だった。横尾分岐からは2時間のコースタイムが水飲み休憩1回だけだったが1時間も遅かった。




  
横尾山荘も8人2段ベッドの相部屋が半数での利用だった。風呂に入り夕食を終えてから翌日の涸沢カール行きについて検討し直した。徳澤ロッヂでの相部屋の2人の男性が紅葉は20%くらいだと言ってたのと、この日の下山ペースで行くと上高地16:00のパスに間に合わないのでは思った。
5年前の10月の涸沢•屏風の耳のブログを読み返して見ると、パス出発の5分前に着いたとあった。この時はパノラマコースを通って上高地という険悪路だったが、明らかに5年前より脚力は衰えているだろうと思った。そんな事から涸沢カール行きは止めた。
9月30日(水)
横尾山荘(9:00発)→徳沢園(10:30/10:50)→上高地バスターミナル(13:00)
(前穂高岳のモルゲンロート)


(横尾山荘からの前穂高岳)


(徳本峠入口からの明神岳)


涸沢カール行きを止めたので横尾山荘周辺を散策し9:00に出発する。
徳沢園ではソフトアイスコーヒーなるものを飲んでのんびりと休憩を取る。
梓川に沿って明神岳を眺めながら歩いて13:00に上高地バスターミナルに着く。
16:00発の松本行きのチケットを購入していたので、13:50発に変更してもらい17:30に帰宅した。

(2015年7月奥穂高岳から前穂高岳の吊尾根)7


今回の単独登山には娘から心配と反対のLineメールが何回か届いた。ANAのとくたびマイルを使って四国旅行でもとか、子供の頃から知っている相棒と一緒に行けないのかとか。カミさんは手術入院が無くなったからか、(気をつけてよ)と言うくらいだった。
娘はネットで見た燕岳に単独登山した奈良県の70代の男性の遭難のニュースを知らせてきた。
14日から燕岳に入山し、17日18時頃に道に迷って遭難と警察に連絡があり、翌日捜索に入ったが携帯のバッテリーが切れたのか連絡が取れなくなっていた。浮石を踏んだのか捻挫もしていたらしい。警察は連絡を貰った時点でビバークするように言ったらしいが、2000mの気温はどうだったんだろう。今日現在まだ発見されていないようだ。先週の天気からすると生存の可能性は低いだろう。

燕岳も登山した事があるので、何であそこで道に迷って遭難なんだろう?と思った。
地図を広げネット記事を見ながら確認したが、分からない点があった。14日に燕岳に入山し17日の下山で道迷いの遭難らしいが15日、16日の行程が分からない。普通に行けば翌日15日の下山になるのだが、17日に東沢乗越から沢を下ったという事は、餓鬼岳、唐沢岳に上ったというしか考えられない。このコースは一般的ではないので上級者だったのだろう。

相棒と2017年の9月に燕岳に上った時は
翌日に逆の大天井岳から常念岳に縦走し、常念小屋に泊り烏帽子沢を下山した。

遭難者がとった東沢乗越から燕岳登山口までのルートは地図では破線の険悪路となっており、浮石やペンキマーク外さないように注意とも記されている。ガイドブックにも(赤ペンキ印に従ってルートを間違えないように)と書かれ、右岸から左岸と河原を7回渡り返しながら下るのだ。
薮漕ぎもあるだろうから、普通は取らないルートだ。

このニュースを知り、長野放送のサイトを見たら14日から22日の間に、横浜市の70代女性が15日に八ヶ岳でロッククライミングで転落し亡くなり、22日には新潟市の70代男性が奥穂高岳から前穂高岳を結ぶ吊尾根から滑落し死亡との記事があった。
2015年7月に写真のこのルートを通ったが、確かに滑落の可能性があり、登山難易度を示す「山のグレーディング」では槍⇄北穂高の大キレットに次いでの難易度にランクされている。

この3件の山岳事故はいづれも70代の単独登山者であるが、背景から推測すると若い時からの登山愛好者なのだろう。私も20代から登山をしているが、あの時代は週末になると新宿駅の西口広場が夜行列車を待つ登山者で賑わっていた。その頃からの経験が過信になっているのだろうか。

こんなニュースを見ながらも、今回の山行きで北アルプス登山への思いが強くなり、今持っているのが25年前の槍・穂高のアルペンガイドなので、アマゾンに最新のアルペンガイド(北アルプス槍・穂高)を注文した。
今月下旬には相棒と飲むので、1日5時間くらいのヘルメットなしルートのコースを幾つか考え提案してみよう。
筋肉痛が取れたら長めのジョギングを再開しよう。