先ごろから肩が痛く困っている。今日はピンポンの練習日であるが練習は休みとしたい。週に一回の練習日であるが勝って風じゃ者の集まりでこっちも勝ってにしておきたい。東洋整体では肋間神経痛であり、右肩が何か痛くそのうちには良くはなるがと言われているがどうも簡単にはよくならない困ったものである。さわやかの講座が明日は行われるが欠席すればせからしく、出なければなるまいかどうも時間潰しを考えて通学を始めたのであったが月に2回位はどうかなるだろう。
ここでは五高記念館室で遠山先生の処世日誌が出てきたのでそれを清書することにした。遠山先生の処世日誌を転載しているが1回位では意味も分からないので同じことを何回かでも清書することにしたい。
処世日誌
鎮西学館に於いて明治二十四年九月十五日より始める
九月二十日 日曜日 晴
夜深い更に少なくして降雨あり、午前如例、会堂に出席、日曜学校を司る。終わりて説教する。題基督信者の成長(彼後三の十八、彼前二の二
緒言第一 成長 智と徳
第二 成長の要素 一、生命 二、外物 三、運動
第三 一、過去の進退如何(その原因)
二、本学年に於ける決心、旧を去り新を得、過を棄て、徳を積む
例偽善を去りて正直誠実となること、猜疑を去りて信任を養うこと精神大に振いたるにあらざるも自家の所感を携え尽くし満足する。是尽し自家今年の決心を以って此の説教換え足るなり。然れどもの疾飛して止むべからざるが如く我が言の口唇を離れて衆耳を貫く能はざるは単に自家の心中やましきところ在りしが為成り、嗚呼自ら潔白無罪なりとの確信意識なきときは人は甚だ弱きものなり。強き人とは自らを深く信じて正義の大道に立つことを意識する人なるべし。
九月三十日 水曜日 晴
朝如例、教授を終わる、広井、河野2氏来崎、河野氏は井上、泉二氏の書状を持参する入湯、祈会に列す、神心清く大に益を蒙る。然りと雖も世俗的の想念を排除し去るに多少の苦痛を要せり。また井上、泉二氏の書に接す。午後七時よりスペンセル氏に事務を執る月給を領収す。宿元への書状を認める男児てふは如何に尊貴なるものぞ之なかりせば余は幾多か女々しき心情に陥りて之遠大の宇宙を牢獄の如く思うに至たらんも知るべからず。常に余が志を牽制して地上に苦渋せんとす魔力は余が身辺に集まれ利、唯々神明の冥助と自家鍛錬の志向を以って之に当らんのみ凡人のなしたることに満足するは凡人成り凡人の負けしものに負けて慷慨の気振るうことなきは凡人成り、蓋し余は宇宙に大なるサークルを描き出さんことを期するが故に区々る私情便利、虚名を糞土の如く放棄し去らんと欲す。嗚呼任大にして途遠ふし、友を想うの念甚切なり 祈祷、就寝
十月十二日 月曜日 晴
朝七時半少し前に離床、病気の為と前夜の奇夢を追想して也。心気何となく奮わず。鬱結したる気味なり。須ぐにて慨然悟る所在り、自ら眼前に横たわる大志は忽ち予が心を達ちて大に茂錐するところありき祈祷、食事、授業、放課時間を無用に過ごしたるは残念なりき。正午まで授業、川瀬兄の書簡来る。累々数千語緒例により濃厚いやしくも予が為にハ何者をも犠牲と為すに躊躇せざる彼が愛情紙面に躍如タリ。彼の奨励彼の祝福予が為には殆ど天使の声の如く雄壮にまた美妙に聞こえるなり。我が友幽なくば予生活実に憾なきを得ず。然れども共に居るをざるは如何に予に捕り手苦しきぞ心中の杞憂苦楽は之を訴えて重荷を軽くし足ること幾せんぞ、而しじこん他郷の人となる。嗚呼然れども是戦いの為なりあに私心を以って天意を追うげんや豈私情を以って天の指定にげにかんや、神意なるべし、午後授業を終わりスペンセル氏に執務、二時十五分喫食、倉園兄の来信あり、井上姉の来状あり、途中においてラッセル氏に避ス。直ちに倉園氏の文意を伝える。倉園氏は五十金を学校の為に投ぜんと乞う、奇特感ずべし。入湯、祈祷会に出席す。寺田兄司会者の求めにより世界最大の者を読む。ジョンソン氏の事務を取る二時二十分間。大石兄への書状を認める、イザヤを例の如く通読す、ヨハネ伝14章を読むキリストの言を聞くの感在り『人若し我を愛せば我言を守らん且つ我が父は之を愛せん我伝来来りて彼と住むべし』嗚呼何たる約束ぞ。我等とは父と子なり彼ら来りて我と住む、何等の幸福ぞ。全能全知全愛の神と共に住むときは如何なる意味なるぞ、之余りに高大にしてまた愛の大にすぐるが故に罪或る我に取りては過分なり。実に信ずることを難きを覚える程なりされど神自らを敬いたもう。決して虚言にあらず、信ずべきの言なり此れ意味を実地に得るときは天下何者か、楽しからざん。何人が愛し難カラン・主よ願わくば我をして真に主と共に在らしめ給え、今寝床に眠る間も僕と共に住み給え、我友等とともに住みたまえ。アーメン アーメン心気蒼然気宇順大なれを覚える。此の経験を毎日繰り返さんことを欲す。あす来たらば実地上に於いて此れを行い以って主のともに住み給うことの空想ならざるを知らん、楽しき哉。安然として寝に就く、而して愛友の楽しき幻影も今夜我脳裡に入るの余地を得をあたわず。予は心堂の奥殿を以って主に進めたるを喜ぶ
註 大志とは蓋し洋行の大志を意味すべし
井上トモ子姉 活水の高等科に在学、後渡米医学を修める
川瀬小太郎氏 牧師、故人
ラッセル氏 活水女学校の校長
寺田亀喜氏 八代の人鎮西の高等科卒業後渡米
ジョンソン氏 エッチ、ビー、ジョンソン氏は数年前故人になる。
倉岡、大石氏はともに不詳
ここでは五高記念館室で遠山先生の処世日誌が出てきたのでそれを清書することにした。遠山先生の処世日誌を転載しているが1回位では意味も分からないので同じことを何回かでも清書することにしたい。
処世日誌
鎮西学館に於いて明治二十四年九月十五日より始める
九月二十日 日曜日 晴
夜深い更に少なくして降雨あり、午前如例、会堂に出席、日曜学校を司る。終わりて説教する。題基督信者の成長(彼後三の十八、彼前二の二
緒言第一 成長 智と徳
第二 成長の要素 一、生命 二、外物 三、運動
第三 一、過去の進退如何(その原因)
二、本学年に於ける決心、旧を去り新を得、過を棄て、徳を積む
例偽善を去りて正直誠実となること、猜疑を去りて信任を養うこと精神大に振いたるにあらざるも自家の所感を携え尽くし満足する。是尽し自家今年の決心を以って此の説教換え足るなり。然れどもの疾飛して止むべからざるが如く我が言の口唇を離れて衆耳を貫く能はざるは単に自家の心中やましきところ在りしが為成り、嗚呼自ら潔白無罪なりとの確信意識なきときは人は甚だ弱きものなり。強き人とは自らを深く信じて正義の大道に立つことを意識する人なるべし。
九月三十日 水曜日 晴
朝如例、教授を終わる、広井、河野2氏来崎、河野氏は井上、泉二氏の書状を持参する入湯、祈会に列す、神心清く大に益を蒙る。然りと雖も世俗的の想念を排除し去るに多少の苦痛を要せり。また井上、泉二氏の書に接す。午後七時よりスペンセル氏に事務を執る月給を領収す。宿元への書状を認める男児てふは如何に尊貴なるものぞ之なかりせば余は幾多か女々しき心情に陥りて之遠大の宇宙を牢獄の如く思うに至たらんも知るべからず。常に余が志を牽制して地上に苦渋せんとす魔力は余が身辺に集まれ利、唯々神明の冥助と自家鍛錬の志向を以って之に当らんのみ凡人のなしたることに満足するは凡人成り凡人の負けしものに負けて慷慨の気振るうことなきは凡人成り、蓋し余は宇宙に大なるサークルを描き出さんことを期するが故に区々る私情便利、虚名を糞土の如く放棄し去らんと欲す。嗚呼任大にして途遠ふし、友を想うの念甚切なり 祈祷、就寝
十月十二日 月曜日 晴
朝七時半少し前に離床、病気の為と前夜の奇夢を追想して也。心気何となく奮わず。鬱結したる気味なり。須ぐにて慨然悟る所在り、自ら眼前に横たわる大志は忽ち予が心を達ちて大に茂錐するところありき祈祷、食事、授業、放課時間を無用に過ごしたるは残念なりき。正午まで授業、川瀬兄の書簡来る。累々数千語緒例により濃厚いやしくも予が為にハ何者をも犠牲と為すに躊躇せざる彼が愛情紙面に躍如タリ。彼の奨励彼の祝福予が為には殆ど天使の声の如く雄壮にまた美妙に聞こえるなり。我が友幽なくば予生活実に憾なきを得ず。然れども共に居るをざるは如何に予に捕り手苦しきぞ心中の杞憂苦楽は之を訴えて重荷を軽くし足ること幾せんぞ、而しじこん他郷の人となる。嗚呼然れども是戦いの為なりあに私心を以って天意を追うげんや豈私情を以って天の指定にげにかんや、神意なるべし、午後授業を終わりスペンセル氏に執務、二時十五分喫食、倉園兄の来信あり、井上姉の来状あり、途中においてラッセル氏に避ス。直ちに倉園氏の文意を伝える。倉園氏は五十金を学校の為に投ぜんと乞う、奇特感ずべし。入湯、祈祷会に出席す。寺田兄司会者の求めにより世界最大の者を読む。ジョンソン氏の事務を取る二時二十分間。大石兄への書状を認める、イザヤを例の如く通読す、ヨハネ伝14章を読むキリストの言を聞くの感在り『人若し我を愛せば我言を守らん且つ我が父は之を愛せん我伝来来りて彼と住むべし』嗚呼何たる約束ぞ。我等とは父と子なり彼ら来りて我と住む、何等の幸福ぞ。全能全知全愛の神と共に住むときは如何なる意味なるぞ、之余りに高大にしてまた愛の大にすぐるが故に罪或る我に取りては過分なり。実に信ずることを難きを覚える程なりされど神自らを敬いたもう。決して虚言にあらず、信ずべきの言なり此れ意味を実地に得るときは天下何者か、楽しからざん。何人が愛し難カラン・主よ願わくば我をして真に主と共に在らしめ給え、今寝床に眠る間も僕と共に住み給え、我友等とともに住みたまえ。アーメン アーメン心気蒼然気宇順大なれを覚える。此の経験を毎日繰り返さんことを欲す。あす来たらば実地上に於いて此れを行い以って主のともに住み給うことの空想ならざるを知らん、楽しき哉。安然として寝に就く、而して愛友の楽しき幻影も今夜我脳裡に入るの余地を得をあたわず。予は心堂の奥殿を以って主に進めたるを喜ぶ
註 大志とは蓋し洋行の大志を意味すべし
井上トモ子姉 活水の高等科に在学、後渡米医学を修める
川瀬小太郎氏 牧師、故人
ラッセル氏 活水女学校の校長
寺田亀喜氏 八代の人鎮西の高等科卒業後渡米
ジョンソン氏 エッチ、ビー、ジョンソン氏は数年前故人になる。
倉岡、大石氏はともに不詳