もく窓

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「浜口陽三を語る 人と作品」

2009年09月12日 | 雑記
水田美術館主催の三木哲夫先生による講演会を聞いてきました。
浜口陽三の作品はわざわざ観に行ったことがないのに、あちこちで目にしている訳が分かりました。
1万8千枚だそうです。
上の↑「青いガラス」という12cm四方の小さな作品が好きです。

浜口陽三(1909-2000年) ヤマサ醤油の三男として和歌山で生まれ、幼少期を銚子で過ごした千葉県ゆかりの銅版画家です。和歌山と千葉の美術館で収集合戦だったらしいです^^)
が、千葉県にいたのは幼少期だけで、東京美術学校に進み、21才で中退し、フランスへ留学します。31才の時、第二次大戦を避け帰国。翌年、フランス語が出来るため陸軍の通訳として仏印へ派遣され、その後ラオスでマラリアに感染し終戦をベトナムの病院で迎え、翌年、病院船で帰国し、伊豆下田や東京目黒で銅版画制作に取り組みますが、44才で再び渡仏。46才のとき4色版を使った最初のカラーメゾチント作品「西瓜」制作。その後、数々の賞を受賞し、72才のときパリからサンフランシスコへ移住。87才で帰国。91才、老衰のため東京の病院で逝去。
 浜口の作品は現在確認されているもので182点、銅版画なので色違いなどのヴァリアント作品を入れると239点、1点につき25~150枚刷られているそうで、約1万8千枚が存在するそうです。
  






妻、南桂子(1911-2004年)も銅版画家です。 人妻であり4人の子の母でしたが、浜口と出会い、43才の時に浜口を追いパリに旅立ちます。子どもたちに「もう二度とあなたたちには会えません」と言い残して・・・。
          

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