もく窓

~良い映画と究極の手抜き料理を探して~  

インファナル・アフェアⅡ

2007年01月31日 | 映画 TV・DVD
 ランク:銅
良かった~。Ⅱを観るとⅠの深みがぐっと増しました。
一つ一つのエピソードや多くのシーンがゴッドファーザーにあれだけ被っているのに、全体としては全く違うストーリーであり、香港テイストになっています。
ハウ氏が知的な感じでゴッドファーザーのアル・パチーノを思わせ、組織を表社会へ変えようとしているところも似ていましたが、渋さというか背負っているものの重みは、やはりゴッドファーザーには敵わないと思いました。が、ホントに良く出来ていました~。Ⅰの少しくたびれ気味の二人よりも、Ⅱの若い二人の方が良いわ~。香港映画見直しましたm(__)m  明日、Ⅲを観よう。


ポセイドン

2007年01月30日 | 映画 TV・DVD
 ランク:鉄
ジーン・ハックマンの旧作に比べると、映像は豪華になっていましたが、人物の描きこみが弱いです。
また、旧作では少年が、天井にトイレが並んでいるのを不思議そうに見るシュールな感じの場面や、クリスマスツリーをよじ登るというメルヘンチックな演出などがあったのですが、本作では、ひたすら水に追われるだけで、上下が逆さまになっている状態の面白さが無かったです。ラストも、救命ボートに乗ってから救援が来るし..。
やっぱり船底に穴を開けて救出してくれないとネ。船が豪華に大型化しているので船底が厚すぎるんでしょうけど(笑)。タイタニックじゃないんですから沈む怖さではなく、閉じ込められた怖さを強調してほしかったです。旧作のラストは、救援隊が船底に穴を開け生存者が出てきます。大海原の真ん中にぽつんと浮いている船底に生存者が出てくるところがいいんです。もしも救援が来なければ・・・と思わせるんですね。
自力脱出で救命ボートではネー、そのうち見つかるよってな感じで、助かって良かったという感動が、薄~い映画でした。


インファナル・アフェア

2007年01月29日 | 映画 TV・DVD
 ランク:銅  原題・無間道 2002年
香港映画初鑑賞。ディパーテッドより良かったです~。こちらを先に観れば良かったです。ストーリーを知らずにハラハラドキドキしながら観たかったなぁ。本作はⅢまであるそうなので、ひとまずⅠを観ての感想、というよりリメイク版とどちらが好みだったかをメモしておこう。
ラウ(コリン)役は立身出世の夢・野望がアメリカ版のほうが大きく、子供時代の境遇からの理由付けもあるし、なんたってデイモン君なのでアメリカ版に座布団一枚♪
ヤン(ビリー)役もディカプリオの方がギリギリの線上にいる緊迫感があって良かったかな。
サム(コステロ)役はニコルスンのあまりの怪演ぶりに退いてしまったので、オリジナルの小堺一幾に谷啓を掛けたような普通の親分さんに座布団一枚。
女優さんは節操の無いアメリカ版よりも、ちゃんと3人分のギャラを出したオリジナルに座布団十枚。
警察の上司はチャーリー・シーンのお父様に座布団一枚。
ストーリーはオリジナルの圧勝♪ ってストーリーは同じか。脚本が細かい部分まで良く練ってあり余韻を残すとこに東洋の持ち味がよく出てました。緊迫感はケータイメールよりもモールス信号の勝ち~♪

Ⅱ無間序曲とⅢ終極無間、楽しみです♪ 早速借りにゆこう。



ディパーテッド

2007年01月27日 | 映画館
 最後にステキな格好で活躍するこの俳優さんに惹かれました(爆)
 ぜひ助演男優賞をとって頂きたいです!

ランク:銅    屋根は金だったけど..

今年初映画鑑賞。タクシードライバーのスコセッシ監督、レインメイカーのマット・デイモン、ギルバート・グレイヴのディカプリオ、カッコーの巣の上で←古い~(^.^;; のニコルスン、というので期待しすぎたのがいけなかったかも。

娯楽映画に何を期待していたの?
何と言われると...ゴッドファーザーのような..
映画史上に燦然と輝く金字塔を期待しちゃったのか?
う、うーん、アカデミー賞にノミネートされてたから、せめてトラフィックくらいに面白いのかと..。
トラフィックは良く出来ていたよ。キャサリン・ゼタ・ジョーンズの圧勝ですな。その点については、どう見ても精神科医にみえなかったし、好みじゃなかったからランク:鉄に異論は無いね。
その点て、女優さんのことなのね。彼女が託された手紙を最後にちゃんと渡したから、マット・デイモンも殺されて、後味がすっきりしたんじゃない。
でも、最後まで女医というより場末のウェートレスって感じだったぞ。
まあね。でも、ラストシーンのマサチューセッツ州会議事堂の金ピカの屋根とネズミは良かったわね。
あの屋根は23金だそうだよ。
最初、イスラムの寺院かと思っちゃった。
建てられた当初は銅葺きだったのが、後に23金張りに改修されたものなんだってさ。JFKが下院、上院時代に働いていたところだから、アイリッシュ系の立身出世の象徴として23Kの金ピカでピッタリだったね。独立宣言が読まれたのはここではなく旧州会議事堂のほうらしいよ。あのラストシーンがあったから、ドンパチやってた映画を振り返ってみて、憎々しかったマット・デイモンが哀れに思えるんだな。
自分が只のネズミでしかなかったって知ったデイモン君、ほんとカワイソー。レインメイカーが大好きで何度も見たせいか、デイモン君は正義感溢れる良い人というイメージから抜けられないわー。
しかし外国映画を観るたびに語学ができないのが悔やまれるな。
ホントにそうだわね。ところでインファナル・アフェアは観てみる?
香港映画は遠慮したいね。
でもオリジナルとリメイクと比べるとオリジナルの方が評判良いみたいよ。借りてみましょ。

二人で観に行ったので、ジョーズ様のブログの形式をパクッて記録してみました。


クルミ入りライ麦パン

2007年01月25日 | 雑記

PAULのセーグル・オ・ノア、450gで550円だったかな。PAULのパンはとっても重~くて、固~くて、美味しい!
いつも八重洲の地下街で買っていましたが、八重洲南口のパシフィックセンチュリーの中にレストランもあるそうです。なんとスイーツもあるらしい。知らなかったわーー。あ~、スイーツも食べてみたい・・・



深大寺

2007年01月24日 | 雑記
吉祥寺からバスで25分の深大寺へ行ってきました。
お寺は由緒あるところだそうですが、あまり大きくはありません。
門前の蕎麦屋群が立派です。余りにたくさんあるので何処で食べようか迷ってしまいました。今回食べたところは手打ちでしたが、イマイチ。次回来る時は良く調べて、私好みのお店で食べるぞ!
鬼太郎茶屋なんてお店もありました。屋根の大きい下駄が目印で、可愛い?グッズがいっぱいでした。こんな蒟蒻が食べられるそうです。
    



伊藤道朗

2007年01月23日 | 映画 TV・DVD
  伊藤道朗(1893~1961年) ↑似てなくてスミマセンm(__)m

 NHKスペシャルを観ての覚え書き
この番組を観るまで、道朗のことは全く知りませんでした。道朗は、むか~しザ・ピーナッツと共演していたジェリー伊藤さんのお父様だそうです。ダンサーとして欧米では有名だったそうで、イサム・ノグチがマスクを造っています。私はこのマスクを観てイサムノグチのことも知りたくなりました。素晴しいマスクです。
道朗は若き日、ドイツへオペラ留学しますが、現地の人の声量に圧倒され、身体の小さい日本人には向かないと悟り、同じくドイツへ留学していた山田耕筰の勧めもありダンスの道へ進みます。が、第一次大戦勃発のためドイツを離れイギリスへ渡ります。芸術家が集まる「カフェ・ロイヤル」で、たまたま披露させられたダンスで、時の首相アスキスなどから賞賛されて、一躍有名人になります。代表作「ピチカット」を完成させます。
当時無名の音楽教師だった組曲「惑星」の作曲者グスターヴ・ホルストは人気の道朗の舞台を見て感動し、舞台後すぐに道朗と会い、その後、日本組曲を作曲します。組曲の中の「桜の樹の下で」は「♪ねんねんころりよ~おころりよ~坊やは良い子だねんねしな~♪」のメロディでした。たぶん、道朗が歌って聞かせたのでしょうネ。
アイルランドの詩人W・B・イェーツは道朗から日本の能を学ぼうとしますが、道朗は能を退屈なものと捉えており知識が無かったので、イェーツと共に学び、「鷹の井戸」を共同制作します。
1916年、イギリスでの評判を引っさげて、戦時下の好景気に沸くアメリカへ渡ります。が、ミュージカルやコメディーが流行っていたアメリカではすぐには受け入れられなかったようです。アメリカで再び山田耕筰に出会い、支えてもらいます。「芸術は世界を変えることが出来る」と考えていた道朗は、ワシントン会議のためにアメリカへ来ていた幣原喜重郎に面会に行き「軍縮会議で決める戦艦の数を各国1艘ずつ減らして、その資金を芸術支援にまわして欲しい」と申し出ますが、幣原に「今回、日本はお客様としてこの会議に参加しているので、そういうことは言えない」と断られます。道朗はそれではと、ラシュモア山の彫刻を制作し大統領と親交のある芸術家ボーグラムと共に、大統領ハーディングに訴えに行きますが、ハーディングに「この会議はこれからのことを決めるのではなく、戦争の後始末をするのだから、今回、そんな提案をするのは筋違いだ」とテキトーにあしらわれます。
1927年アルベニス作曲の「タンゴ」で道朗独自のタンゴを完成させ、アメリカでも名声を得ます。が、日本の真珠湾攻撃により連行され、ミズーラ収容所へ入れられてしまいます。大川周明の米国の会社に関係したことでスパイ容疑が掛かったためでした。大川周明の商社は、アメリカの石油を日本が輸入し、満州のタングステンを日本がアメリカへ輸出して経済によって日米の親交を図り、戦争を回避する目的のための事業でした。が、上手くゆかず、また、中華民国による、日本の上海無差別爆撃等の残虐行為のプロパガンダが米国で反日感情を煽り、米国の太平洋戦争参戦へ向かわせます。道朗は戦争が終わると日本へ強制送還され杉並で暮らしますが、占領軍の慰安のための公演の責任者になり再びダンスの世界へ戻ります。東京オリンピック閉会式の総監督となり、聖火をシルクロードを通って運ぶという壮大な構想を立てますが、脳溢血の為、実現ならず逝去。68才でした。



ククーシュカ

2007年01月20日 | 映画 TV・DVD
ランク:銀  2002年 ロシア映画 
何の予備知識もなく観て、とても気に入ってしまいました。
自然が美しい。小さな納屋が素敵。そこで一人で暮らすアンニは強い生命力を持っていて魅力的。ラップ人の民族衣装もとても可愛い。
通じないのをいいことに、言いたい放題の勝手な会話?に笑ってしまいますが、言葉が通じないことから起きる悲喜劇の中でも、言葉が通じなくても人は理解しあえることもあるということに感動しました。
アンニは、空爆を受けて亡くなった人を何度も埋葬しているので、戦争に行って4年も戻らない夫は帰らぬ人となったと考えていたと思います。大自然と共生しているアンニにとって子孫を残すことは本能だったのではないでしょうか。子供を身ごもったことが分かったので、もう男達は御用済みなので、「故郷へ帰りたい」という男達の気持ちを汲んで、身支度を整えて帰してあげたのだと思います。
魂を呼び戻すために一晩中祈祷したことも、愛しているからと言うよりは、子供の父親になる人だからというほうが強かったように思います。もちろん、人間として出来る限りの手を差し伸べたということはあるでしょうが。
力強く生きるアンニの姿から元気がもらえる御伽話でしたが、フィンランドとロシアの複雑な歴史や国民感情などが分かっていると、もっと楽しめたのになぁと残念です。で、ノラネコさんのブログを読んで、な~るほど 

撮影時、26才だったアンニさん、かわいい♪
       



コール

2007年01月19日 | 映画 TV・DVD
ランク:鉄  出演:シャーリーズ・セロン ケビン・ベーコン ダコタ・ファニング  2002年
盛りだくさんで飽きずに最後まで観られるので、お暇な時には良いかも。

お気に入りシーン:家にいた侵入者に驚いてシャーリーズ・セロンが、アイスクリームを放り出す場面



「散るぞ悲しき」

2007年01月16日 | 
昭和18年、広東の南支派遣軍駐屯地にて撮影。ジャーマンシェパードを従えた栗林忠道(中央)と軍属の貞岡信喜(後列右から三人目)

「散るぞ悲しき」読了。 梯久美子著(1961年熊本県生まれ。北大卒業後フリーライター)
イーストウッド監督の映画では分からなかった戦争の経緯が分かり、再び涙、涙、、。不条理に耐え、いかに無念であったでしょうか。

 ↓「散るぞ悲しき」より抜粋
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栗林辞世の句
  国の為重きつとめを果たし得で矢弾尽き果て散るぞ悲しき
平成6年2月、初めて硫黄島を訪れた天皇が詠まれた歌
  精魂を込め戦ひし人未だ地下に眠りて島は悲しき
返歌ということは無いんでしょうけど、そうとも取れる歌です。

夫(栗林)が硫黄島で戦死したとき、妻:義井は40才だつた。19才で嫁いで来て以来、家庭から出たことのなかった主婦が、子供たちを抱え、自分が生活を支えなくてはならなくなつた。
次女のたか子は、終戦直後、両親の実家のある長野市で、どこからかのしいかを仕入れてきて露天で売っていた母の姿を覚えている。東京に戻ってからは、中野駅の近くにわずかな場所を借り、下駄や履物を売った。
その後は保険の外交員をし、やがて世田谷にあった紡績会社で住み込み寮母の職を得る。たか子は高校を出るまで、母と一緒にこの会社の寮で暮した。その後は、台所もトイレも共同の、一間のアパートに住んだ。硫黄島で亡くなつた将兵の遺族がお金を借りに来ると「今、このくらいしかないんだけど…⊥と謝りながら、できる限りの金額を渡したという。
「母はお嬢さん育ちで、結婚してからはずっと父に守られてきました。それまでただの一度も働いたことがなかったのに、終戦直後の大変な時期には露天で物売りまでやって、私たちを育ててくれた。そして、兄だけでなく女の子の私も大学に進ませてくれました」
栗林は義井に、軍人の妻として夫の名を汚さぬように生きよとは言い残さなかった。むしろ逆のことを、硫黄島からの手紙で伝えている。子供たちの養育をよろしく頼むという意味のことを述べた後で、次のように書き記しているのである。
 なおこれから先き、世間普通の見栄とか外聞とかに余り屈託せず、自分独自の立場で信念をもってやって行くことが肝心です。(昭和19年9月4日付妻・義井あて)
陸軍中将だった栗林は、硫黄島守備の功績によって大将に叙せられた。〝大将の妻〟としての誇りを義井は胸に秘めて生きたはずだ。しかしそれは、家名を守り夫の武功を子々孫々に伝える、というようなものではなかった。当の夫が、そんなことを望んでいなかったからである。
「世間」も「普通」もどうでもよい、信念をもって自分らしく生きよ。きびしい現実に立ち向かい、子供たちとともに強くあれ、それが、もう自分が家族を守ってやることはできないと覚悟した栗林が妻に求めたことであった。それに応えて、義井は見栄や外聞とは無縁の強さをもって戦後を生きたのだった。
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栗林の末子・たか子さんは早大仏文科を卒業後、大映の助監督と結婚し3人の子供に恵まれ、その後、日本女子大で幼稚園教諭の資格を取り義父が開いた川口ふたば幼稚園の園長となったそうです。2004年68才で逝去。息子の新藤義孝氏は現衆議院議員だそうです。


父、帰る

2007年01月11日 | 映画 TV・DVD
ランク:銅  アンドレイ・ズビャギンツェフ初監督作品 2003年
↓Yahoo映画レビューより勝手に転載いたしました。
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物語は神話か聖書の一挿話のようにシンプルだ。母と暮らしていた2人の兄弟のもとに、ある日突然、12年ぶりに父が帰ってくる。父は兄弟を車に乗せ、湖へと旅に出る。12年間の不在を一気に埋めるかのようにさまざまな試練を課す父に兄弟は反発し、やがて思いがけない結果を生む。
 冷涼な画面、寡黙で硬質なタッチ。ロシア映画独特の神秘性を放ちながら、しかし、映画はサスペンスといえるほどの牽引力で観客の興味をつないでいく。「父はいったい何者で、何をしたいんだ?」──兄弟の疑問と不安を観客も共有しながら、謎だらけの旅が進んでいく。
日曜から土曜まで1週間の物語は聖書の「創造の7日間」を思わせるし、ロシア語で「帰還」を意味する原題は、「父の帰還」と同時に、7日間のイニシエーションを終えた「兄弟の帰還」、そして、父の「新たな帰還」ともとれる。カインとアベルのように性格の違う兄弟を演じた子役たちが鮮烈だが、兄を演じた少年は本作の完成直後、湖を再訪して溺死。これも「帰還」とするのは不謹慎だろう。あらためて冥福を祈りたい。 (田畑裕美)
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映像も俳優陣も現実感があり映画に惹きこまれてしまい、目が離せませんでした。親子の関係を旧約聖書に絡めて象徴的に描いた作品だと思います。誰しもが親に対して似たような気持ちを抱いたことがあるんじゃないかしらと思いながら観ていました。
帰ってきた父親がベッドで眠っているシーンは、足のほうから撮っている映像で、マンテーニャの「死せるキリスト」の画そのものでした。12年前の家族の写真が挟んであったのは旧約聖書の絵本版で、アブラハムがイサクを山頂で神に捧げようとしているページでした。タールを塗って船を造って漕ぎ出すと、晴れて良い天気だったのに大雨になるところなどノアの箱舟を連想しました。などなど、聖書を連想させる場面満載ですが、キリスト教の知識が無いので理解できなかったのが残念です。今回はTVで観たので、今度、DVDをレンタルして特典映像をチェックしたいなぁ。学生時代、必修だったキリスト教概論、寝てないでちゃんと聞いていればよかったわん (;-_-)ξ





脳年齢

2007年01月09日 | 雑記
お正月に帰省した息子が「wiiは買えなかったので、これにしました」とピンク色のDSliteと脳トレのソフトを買ってきてくれました。オー、一度やってみたかったと早速試してみたら、ナント脳年齢80才!、、、。
ウソでしょう!と、すぐに再チャレンジしたけど、次の日になるまで記録は書き換えられないのね、、。
なぜか、パパは脳年齢38才でした。息子が私に買ってきたわけが分かりましたわー。
セッセとトレーニングして子供に迷惑掛けないようにせねば、、。


あけましておめでとうございます

2007年01月06日 | 雑記
今年は、月に一本は劇場で映画を観ようという目標を立てました。
時間を上手く使って、また気持ちを上手に切り替えて
目標達成のための努力をするぞー! 気合入ってます!

映画好きの方には笑われてしまいそうな
ささやかな目標ですが、目標を持つって、いいことですね。
暮れからお正月にかけて慌ただしくて疲れていたのですが
元気が出てきました。頑張って生きていこう。