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スティーヴン・ダルドリー監督 2008年 原題The Reader
ケイト・ウィンスレット演ずるハンナに目が釘付けになりました。
ハンナを見たくて二度目を観ました。
二度目を観て、ますますケイト・ウィンスレットの演技と美しさに惹かれました。
原作本も読んでみました。
原作には、マイケルの娘は出てきませんでした。映画は蛇足と思いました。
大人になったマイケルを演じたレイフ・ファインズ、いつも煮え切らない役ですネ。
彼が演じると、ハンナと出会わなかったとしても、奥さんや子供と上手くいかなかっただろうと思えてしまって、、
レイフ・ファインズより、もう少し芯が強そうな人のほうが良かったかと思いました。
また若いマイケル役のデヴィッド・クロスも、もう少し大人びている感じの青年のほうが、良かったように思いました。
ホロコーストという怖ろしい事実と、その罪を裁く難しさに気持ちが重くなりました。
ブルーノ・ガンツ演じる大学教授が「その時代の法で裁かれるべき」と言っていましたが、
ハンナが裁判官に向かって言った「あなたならどうしました?」という言葉は、映画を観た人にも問いかけていると思いました。
『私は貝になりたい』という映画の中で、フランキー堺演じる床屋さんの二等兵がBC級戦犯として裁かれます。
「とにかく貧乏だったからな、、 小学校出るなり十二で床屋の丁稚子小僧だ。怒鳴られたり、こずかれたりしながら、やっとの思いで免許状をとったって店なんか持てやしない、、 カミさんと知り合いになって、お互いに血のにじむような金貯めて、やっとの思いで店を開いて、子供も出来て、やっとこれからだという時に、赤紙で、、 。」
上官の命令で捕虜を殺した床屋さんは有罪判決、絞首刑となります。
床屋さんが家族にあてた手紙
「房江 健一 さようなら
お父さんはもう二時間ほどしたら死んでいきます
おまえ達とわかれて遠い遠いところへ行ってしまいます
もう一度会いたい
もう一度みんなで暮らしたい
許してもらえるのなら手が一本 足がひとつもげてもいい
おまえ達と一緒に暮らしたい
でももうそれも出来ません
せめて生まれ変わることが出きるのなら、、
いいえ お父さんは生まれ変わっても人間になんかはなりたくありません
人間なんて嫌だ
牛か馬のほうがいい
いや 牛や馬ならまた人間からひどい目に遭わされる
どうしても生まれ変わらなければならないのなら いっそ深い海の貝にでも、、
そうだ 貝がいい
貝だったら 深い海の底の岩にへばりついているから なんの心配もありません
兵隊に取られることもない
戦争もない
房江や健一のことを心配することもない
どうしても生まれ変わらなければならないのなら
、、、、、私は貝になりたい。」
東京裁判での米国人弁護士J・ファーネスの言葉
真に公正な裁判を行うのならば、戦争に関係のない中立国の代表によって行われるべきで、勝者による敗者の裁判は決して公正ではありえない。
米国人弁護士ブレークニーの言葉
戦争は犯罪ではない。
戦争法規があることが戦争の合法性を示す証拠である。
戦争の開始、通告、戦闘の方法、終結を決める法規も戦争自体が非合法ならまったく無意味。
国際法は国家利益追及の為に行なう戦争をこれまでに非合法とみなしたことはない。
歴史を振り返ってみても、戦争の計画、遂行が法廷において犯罪として裁かれたためしはない。
我々はこの裁判で新しい法律を打ち立てようとする検察側の抱負を承知している。
しかし、そういう試みこそが新しくより高い法の実現を妨げるのではないか。
平和に対する罪と名付けられた訴因は、ゆえに当法廷より却下されねばならない
国家の行為である戦争の個人責任を問うことは法律的に誤りである。
なぜならば国際法は国家に対して適用されるものであり、個人に対してではない。
個人による戦争行為という新しい犯罪をこの法廷が裁くのは誤りである
戦争はどんな戦争であれ犯罪ではない。
まして戦争に伴なう人命殺傷は犯罪者の殺人と違う。
それは殺人罪ではない。戦争が合法だからである。
つまり合法的な人殺しなのだ。
殺人行為の正当化である。
例え嫌悪すべき行為でも犯罪としての責任は問われない。
これを問うことは、戦勝国の殺人は合法的だが、敗戦国の殺人は非合法だというのに等しい。
↑段々視点がずれてしまったけど、備忘録として。
ハンナも貝になりたいと思ったのでしょうか。